ピンク・フロイド『ウマグマ』の2枚目
前回の『ウマグマ』の1枚目ライブ録音に続き、今回は2枚目、アビーロード・スタジオでの録音です。
この2枚目、リック・ライト、ロジャー・ウォーターズ、デイヴ・ギルモア、ニック・メイソンの順に4人のメンバーが一人ずつ書いて演じた曲が収録されています。
リック・ライトの「シシフォス組曲(Sysyphus)」
シシフォス(シーシュポス)はギリシャ神話の登場人物で、死を免れるために神々を欺き、その罰として巨大な岩を山頂に押し上げる苦役を与えられます。もう少しで山頂に届くという瞬間に、岩は重みのために麓まで転がり落ちてしまう。これが永久に続くという話です。
フランスの文学者カミュがこの神話の不条理をテーマにした「シシフォスの神話」という作品を書いており、ライトの曲はカミュの著作にヒントを得て曲を作ったとか。
リック・ライトは メロトロン、オルガン、ピアノ、電子ハープシコード、エレキギター、ビブラフォン、チューブラ・ベルズ、スネア・ドラムにシンバルを担当。
アルバム・プロデューサーのノーマン・スミスがティンパニとゴングで入っています。
パート1は短い序章で、これから始まる古代神話の始まりを告げるかのように、ライトのメロトロンによる弦と管楽器のオーケストラに加え、スミスのティンパニの音が物々しくとどろきます。
パート2はグランドピアノによる繊細でもの悲しい旋律から始まり、シンバルとともに前衛ジャズの様相を呈し、ドロドロという効果音とともに、シシフォスの救われない状況を表すかのような不協和音の洪水になっています。
パート3はパート2を受けて電子ハープシコードの不協和音と打楽器を中心に混沌とした塊です。後ろでファルフィッサなのかメロトロンなのか、しきりに不気味な音がします。
この辺り、例えるならばヒエロニムス・ボス(ボッシュ)のゴチャゴチャした絵画を見ているかのような不快感があります。
前のパートとは打って変わって静謐なストリングス(メロトロン)の牧歌的旋律と鳥の啼き声、せせらぎの音で始まるパート4。シシフォスの絶望的な世界にも明るい朝が訪れたかと思いきや、空を漂う暗雲。
たちまち暗転して不協和音で混乱した世界へ。
あたかも山頂へ到達したと思ったせつなに岩が瞬く間に奈落の底に転がり落ちるかのように。
最後はパート1のテーマに戻り、再び絶望的な物語は繰り返されます。
ロジャー・ウォーターズの「グランチェスターの牧場(Grantchester Meadows)」
ピンク・フロイドの一つの特徴と言えるイギリスの田園風景を歌った曲、無条件に好きです。
グランチェスターはギルモアが生まれ育ち、ウォーターズも少年時代に過ごしたことがあるケンブリッジ市の郊外。
凍てついた風が吹く夜がさって、鳥が啼き霞みがかった朝が訪れる。
雲雀(ヒバリ)の声、雄狐の鳴き声。
カワセミ(Kingfisher)が水中に飛び込む様子。
緑色の川は木々の間を縫い、笑い声を立てながら終わりのない夏を、海に向かって流れていく。
イントロでは鳥の囀りと虻のような羽虫の音の効果音が使われ、続いてウォーターズの囁くヴォーカルが牧歌的な美しい詩を歌います。
ヴォーカルの重録でエコーがかかっているような効果。
クラシックギターはダブル録音で、一台はメロディを奏で、もう一台は装飾を被せている。ギターのフィンガリング・ノイズが心地いい。
途中川の流れる音や水鳥の羽ばたく音、遠くで吠えている狐らしい声が効果的に使われています。
最後にイントロで出てきた虻かハエのうるさい羽音が再び現れ、続いて人間の足音とハエ叩きを振り回す音、ついにバシッと命中した音と共に曲が終わるあたり、ユーモアのセンスが感じられます。
カワセミの雄は派手な羽根色
続く「毛のふさふさした動物の不思議な歌(Several Species of Small Furry Animals `Gathered Together in a Cave and Grooming with a Pict)」もウォーターズの作。
これは曲というよりも効果音と音声の集合で、小鳥の囀り、アヒルのような家禽、ウシガエル、ネズミがたてるような音が聞こえますが、全てウォーターズが声とマイク、録音スピードの速度で作った音らしい。
「カムバック・アフー(多分違う)」のように聞こえる音声の繰り返しは洞窟の原人の祈祷のようです。当時としては前衛的で実験的な作品だったのでしょう。
タイトルのPictはスコットランドの原住民のこと。
後半はウォーターズの友人のスコットランド人ロン・ギーシンのスコットランド方言によるスピーチらしきものが入っていますが、最後の「Thank you」以外何を言っているのか全く分かりません。
デイヴ・ギルモアの「ナロウ・ウェイ(Narrow Way)」
それまで一人で曲を作ったことがなかったギルモアは自信がなく、ウォーターズに「せめて作詞ぐらいは手伝ってくれ」と頼んだところ、「それぐらい自分でやれ」とにべもなく断わられたという逸話が残っています。
そのギルモアはこの自作でヴォーカル、アコギ、エレキギター、ベース、キーボード、ドラム、パーカッション、マウスハープ(Jew’s Harp)を一人でこなすという多彩さを見せています。
パート1ではブルースがかったカントリー調の曲。
アコースティック・ギターの重録で3本のアコギの演奏のように聞こえますが、そのうち1台がスティールギターがかった音を出しているのはボトルネックによるスライドでしょう。
このアコギをバックにエレキのスライド音やファズで歪んだ音が流星のように飛んできては消える。シンセサイザーのように聞こえる音はファルフィッサ・オルガンでしょうか。
軽いパート1に対してパート2は歪ませたギター、キーボード、ベース、パーカッションがユニゾンで重苦しいフレーズを繰り返すというイントロで始まります。
このフレーズが曲全体を覆う中、これもファルフィッサ・オルガンなのか、なんとも神秘的な音を出し始めます。
暗黒の宇宙空間に浮遊しているというイメージのピースで、結構好きです。
パート3のイントロのお経のようなコーラスはどうやらメロトロンらしい。
アコギをバックにけだるい囁きヴォーカルが心地いい。
これも重録でセルフでハモっていて、声にエコーがかかっているようです。
まさにピンク・フロイド、という曲で、この曲とグランチェスターはいきなり聞かされてもピンク・フロイドの曲だとわかるメロディと曲調です。
ちなみにギルモアとウォーターズは声質も歌い方も似ていますが、ニック・メイソンに寄れば両者のヴォーカルの判別は「音程が合っていればギルモア」だとか。(出典:市川哲史著「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう」)
途中からベース、ドラムを入れてますが、器用だなと思います。
何重にも重ねて入れていってよくバンドが演奏しているように聞こえるものだと。
ニック・メイソンの「統領のガーデン・パーティ(The Grand Vizier's Garden Party)」
パート1は当時の夫人リンディー・メイソンの美しいフルート・ソロとそれに続くドラム・ロールだけの短い曲。
これがガーデン・パーティの入口ということらしい。
パート2の冒頭は和太鼓に聞こえるティンパニのバチ打ち、雅楽を思わせる吹奏楽器(フルートに聞こえない)、おそらくテンプル・ブロックと思われるパーカッションで東洋的な印象。
やがてくぐもった途切れ途切れのドラム音と聖歌のようなメロディを奏でるこれもくぐもったフルートの音。
なんかガーデン・パーティというよりも冥界の亡者の饗宴のような。
地の底から響くドラムは収録事故のようにいきなり切れたり始まったり。
最後部はドラム・ソロでパーティのクライマックスとなります。
パート3はパート1と同じ旋律のフルートのみで、これがパーティの出口のようです。
終わりに
このスタジオ版についてはメンバー自身があまり満足していなかったようです。
レコード・コレクターズ誌には「(ウマグマが神秘の次のステップとして機能し得ず)一回休憩の印象がこのアルバムにはつきまとう」(2016年12月号)とまで言われています。
確かに寄せ集め的な印象はあるものの、この時代ならではの前衛的というか、それぞれ出せる音の限界を試しているような面白さとまだ若かったピンク・フロイドというバンドの可能性を感じさせるアルバムで自分的には悪くないのではと思います。
「グランチェスター」と「ナロウ・ウェイ」のウォーターズとギルモアのぼそぼそ囁くヴォーカルも一興で。
さて1970年のアントニオーニの映画『砂丘(Zabriskie Point) 』にピンク・フロイドは「51号の幻想」、「若者の鼓動」、「崩れゆく大地」の3曲を提供しています。
これも深夜映画で見た記憶だけはあるのですが、ピンク・フロイドの曲を待っているうちに映画がつまらなくて寝てしまったような。
この3曲は飛ばしてピンク・フロイドには次回は「原子心母」でお目にかかりたいと思います。
ピンク・フロイド『ウマグマ』のライブ録音は一押し
『夜明けのパイパー』『神秘』『モア』とのろのろと歩を進めてきましたピンク・フロイド関連。
この記事進行のタラタラぶりでは『狂気』や『ザ・ウォール』ははおろか『原子心母』に達する以前にブログに飽きて放り出してしまう恐れもありますので、今回は『ウマグマ』で行ってみたいと思います。
ご承知の方も多いと思いますが、2枚組の『ウマグマ』は1枚目がライブ、2枚めがスタジオ録音という構成になっています。
ライブ盤は全4曲。
『夜明けのパイパー』に収録された「天の支配」、シングルとして発表された「ユージン斧に気をつけろ(Careful with that Axe, Eugene)」、『神秘』から「太陽讃歌」と「神秘」。
ちなみに『ウマグマ(Ummagumma)』という奇妙キテレツなタイトルですが、性的隠喩を含むスラングという説、SF小説『デューン』に出てくる呪文ウマーが語源、という諸説があるようですが、ニック・メイソンの「特に深い意味はない。響きがカッコ良かっただけ」という身も蓋もないコメントが一番ピンク・フロイドっぽい。
天の支配(Astronomy Domine)
スタジオ録音の方は比較的淡々としていますが、こちらのライヴ・バージョンは迫力があります。
ロジャー・ウォーターズのうねるベースのかっこよさ。
デイヴ・ギルモアのファズのかかったギター・ソロ。
シド・バレットに代わってヴォーカルはウォーターズとギルモアのユニゾン。
ニック・メイソンのドラムもシンバル使いもかなり好き。
リック・ライトのオルガンの音色の美しさ。
やはりピンク・フロイド好きだ、と改めて感じます。
Astronomy Domine - 01 - Ummagumma - Pink Floyd
ユージン斧に気をつけろ(Careful with that Axe, Eugene)
個人的にはこのライヴ録音で一番好きな曲です。
ベースのリズムの繰り返しにオルガンの不穏なメロディーが入っていくイントロ。 「あれ、『モア』に似た曲はなかった?」という気がしますが、この時期のピンク・フロイドの特徴的な曲調と言えます。
この曲では有名なウォーターズの「叫び」が聞かれます。
プライマル・スクリーム(退行療法で行われる大声で叫ぶ手法でかのスティーヴ・ジョブズも青年期に試したらしい)らしいとされていますが、もっと原始的な太古の人類の絶叫のように聞こえます。
そのあとのスキャットー歌うベーシストは結構いますがベース弾きながら歌うのはかなり難しいです。
終盤のギルモアのギターとライトのオルガンの絡みも絶妙。
Careful with That Axe, Eugene - 02 - Ummagumma - Pink Floyd
太陽讃歌(Set the Controls for the Heart of the Sun)
和太鼓を思わせるドラムのバチ打ちとドラの力強さ。
パーカッションをバックに例によって呟くようなヴォーカル。
晩唐の詩人の詩をベースにした詞を意識してかパーカッションとキーボードがオリエンタル趣味を覗かせます。
後半のインスト部分のシンセサイザーにはぞくっとさせられます。
スタジオ録音と比べて残念なのはスタジオ盤で入っていたシドのギターによる海鳥の鳴き声がないことでしょうか。
Set the Controls for the Heart of the Sun - 03 - Ummagumma - Pink Floyd
神秘 (Saucerful of Secrets)
うねるベースと不穏なメロディを奏でるキーボード。
この時期のピンク・フロイドこの組み合わせが多いような気がしますが、これ結構好きです。
中盤のドラム・ソロに入ってくるキーボードのヒュルヒュル、キュルキュル音の禍々しさ。
ひとしきり魔と闇に支配されたような混沌を抜けた後に、全てを包み込んで天に昇っていくような崇高なオルガンとスキャットの美しい調べには思わず手を合わせたくなります。
Pink Floyd - A Saucerful Of Secrets (Ummagumma)
終わりに
スタジオ録音を忠実に再現したライヴを誉めるコメントを聞いたことがあります。
しかし優れたライヴにはそれを遥かに凌駕するエネルギーを感じさせるということをこのアルバムが実証しています。
ピンク・フロイドのこのライヴをじかに聞けた人たちは本当にラッキーです。
ウォーターズとギルモアはフロントマンですが、ニック・メイソンのドラムもリック・ライトのキーボードも素晴らしい。
収録の4曲は比較的に似通っているのですが、何度繰り返し聞いても飽きるということがありません。
見開きの紙ジャケで小冊子付きというのが何となく得した感じ。
590ページに及ぶ分厚い「ピンク・フロイドの全曲とその背景(Pink Floyd All the Songs -The Story Behind Every Track)」という本をゲット。ピンク・フロイドの攻略本です。
超超初心者、ジャズを聴く
私はサンフランシスコのベイ・エリアのある町から隣の町の職場まで片道約30分運転して通っているのですが、この通勤時間の最大の楽しみは音楽を聴くことなのです。
この1ヶ月ほど「ベイ・エリア・ジャズ・ステーション」なる局にチューンインして毎日1時間ひたすらジャズを聴いています。
黄昏時から夜にかけて、前に連なる車のテールランプを眺めてアンニュイな気分に浸りたい時の音楽はずばりジャズ。これに勝るものはありません。
これがマンハッタンの夜景だったらさらに気分が盛り上がるかもしれませんが、そこは致し方ありません。
と言ってもジャズの入門者の門にすらたどり着いてない状態の自分がいます。
分る曲といえば「テイク・ファイヴ」、ヘレン・メリルの「You’d be so nice
to come home to」ぐらいで、どちらも昔日本のCMソングで使われていたから知っていた、という笑えるレベルです。
とはいえ、ジャズもいろんなジャンルの音楽を取り入れているようですね。
昨日など、「え、どっかで聞いたようなフレーズ」としばらく考えて「これツェッペリンの?あの窓がたくさんついてるアルバムに入っている例の」(←とっさにフィジカル・グラフィティも曲名のカシミールも浮かばず)というサプライズ。
今日は今日で、「チャッチャッチャー、チャッチャッチャッチャー」というイントロで、「いくら何でもジャズ・ステーションでスモーク・オン・ザ・ウォーターなんかやらないよねー。ひょっとしてパープルが古いジャズの曲をパクったのか?」と思ったらDJがしれっと「曲目はSmoke on the Waterでした」と。
濡れ衣のディープ・パープル。
そのあとはJ.S.バッハの「タタン、タタン、タ、タタタタタタタタ、タンタン」(これで曲目が分る方はまず居られるまい)をピアノでやっていて「あり?なんで普通にクラッシック演る?」と思っていたらドラムが入って立派にジャズのアレンジ。
ロックやクラシック音楽のアレンジも十分楽しめるのですが。
何と言っても黄昏時にアンニュイな気分に浸るのは、ゆったりとしたベースとドラムとピアノ、あるいはピアノの代わりにフルートかサックス。
ウッドベースの音がとても好きなので、ベースが利いているのがいいし、ヴォーカルはできれば無しのほうが。
なにせ入門の入り口にたどり着いてないので、こういう雰囲気の曲を誰がやっていて何というアルバムの何という曲目を聞けばいいのかは皆目わかりません。
このブログをたまたま見たジャズ好きの方が「まず、XXから聴いて見たら」みたいなレコメンをくださったりしたらいいな、と思ったりします。
CSN&Y『デジャヴ』こそは西海岸ロックの最高峰
表題で言い切ってしまいましたが、まさに70年に発表されたこのアルバムこそ、60年から70年代の数多くのアメリカン・ロックの頂点を極めているのではないかと思います。
この『デジャヴ』、前回取り上げた『CSN』とライブの『4-Way Street』を聞いておけば、CSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)は一応押さえたと言えるでしょう。
「キャリー・オン(Carry On)」
この曲はスティーヴン・スティルスの作で例によって恋人との別れがテーマですが、「青い目のジュディ」もこの曲もリズムとメロディがからっとしているので悲壮感がありません。
ギターのソロ、ベース、中盤から入るキーボード全てスティルスが担当。
ギターもキーボードも実にいいです。
スティルスはナッシュとともにパーカッションでも入っていて、コンガのリズムが実に心地いい。
当時はオープニングが「阿波踊り」に似ていると言われていて、あらためて阿波踊りを聞いてみたら、何げに似てないこともありませんね。
ちなみにYouTubeにはステージのもアップされていましたがそちらはかなり酷い。
「ティーチ・ユア・チルドレン(Teach Your Children)」
この曲を嫌いな人がいたらお目にかかりたい、というぐらい好きな曲です。
胸を締め付けられるような切なく美しい歌詞。
ホリーズ時代にグラハム・ナッシュが作った曲とのことですが、その若さで親子のすれ違いの中にある愛を見事に形にしています。
美しく優しいハーモニー。
全体を通じて印象的なスティールギターはジェリー・ガルシアです。
学生時代に内輪でコンサートをやった時に最後の曲でお客さん含め全員で大合唱になった懐かしい思い出の曲でもあります。
この曲、当時の女子中学生の間で大ヒット(おそらく日本だけ)になった「小さな恋のメロディ(Melody)」という小学生の恋愛を描いたイギリス映画で、最後にトレーシー・ハイドとマーク・レスター演ずるカップルがトロッコに乗って草原の彼方に去っていくエンディング・テーマでも使われていました。
次の「オールモスト・カット・マイ・ヘアー(Almost Cut My Hair)」はデヴィッド・クロスビーの作。
地味ながら良い曲。
反体制のシンボルである長髪を切りそうになって思いとどまった、という歌です。
スティルスとヤングのギターが絡み合っていく絶妙さ。
グレッグ・リーヴスのベースもナイスです。
4曲めの「ヘルプレス(Helpless)」はニール・ヤングらしい曲です。
何がヘルプレスなのかは判然としませんが、「心の中ではまだ居場所を探している」と歌っているので故郷のカナダを離れてLAで音楽的成功を得た彼が、ここは自分の居場所ではない、と歌っているように思えます。 ちょうどダン・フォゲルバーグが故郷の「イリノイ」に語りかけているように。
「青い、青い窓、黄色の月が昇る。空を横切る大きな鳥の影」と歌われる北オンタリオの情景が美しい。
この曲に入って入るスティルスのギターもピアノも実にいい。
「ウッドストック(Woodstock)」
映画『ウッドストック』のオープニング、コンサート用の櫓を組み立てているシーンで流れていて印象深かった記憶があります。
作詞作曲はジョニ・ミッチェル。当時のナッシュの彼女ですね。
「僕らは星屑、僕らは黄金。僕らは数十億年前の炭素(ダイアモンドだよね?)」というリフレインや「ショットガンを搭載した爆撃機が、空を舞う蝶々に変わるのを夢想した」という歌詞に溢れていているオプティミズムに当時ウッドストックの集まった人々の空気を感じさせます。
イントロの特徴的なギター・リフはニール・ヤングでしょう。
途中のギターソロやナッシュのエレピも好き。
何度聞いても飽きない元気をもらえる曲です。
CROSBY, STILLS, NASH Woodstock 1971
6曲目の表題曲「デジャヴ(Deja Vu)」はクロスビーの作。
「僕らは前にここにいたことがある」というリフレイン。
クロスビーはインタビューに答え、自分は輪廻転生、あるいは生命のエネルギーの再生を信じていると語っています。
フランス語由来の「既視感」という単語に初めて出会ったのはこの曲でした。
このアルバムは全てハーモニーの美で構成されていますが、「デジャヴ」は特に難しいメロディのハーモニーが決まっています。
ギターもさることながら、この曲の聞きどころはスティルスのベース。中盤からのベースのソロ、一聴の価値ありです。
この指のポーズって、日本の中学生か?
アワ・ハウス(Our House)
グラハム・ナッシュが当時ジョニ・ミッチェルと一緒に暮らしていた家の歌です。
その日に買った花瓶に花を活け、庭にはミッチェルの2匹の猫。まったりと流れる時間。
人生は大変なことが多いけど、君といると癒される。
ピアノ、ベース、ドラムをバックにコーラスで歌われるとても優しくて可愛い小品です。
Crosby, Stills, Nash & Young - 07 - Our House (by EarpJohn)
8曲目の「4+20」はウッドストックのアルバムの中で触れましたので、ここでは割愛。
カントリー・ガール(Country Girl)
ニール・ヤングの曲。
実は個人的に4人の中でヤングの曲が一番苦手というか馴染めない(もちろんソロ・アルバムも持っていない)ので個人的にはあまり好みではないものの、この曲が一番好き!という人は多いのではないか。
というか、音楽好きには一番好まれるナンバーのような気がします。
メランコリックなメロディからドラマチックな展開、中盤から入るピアノ、後半のハーモニカが印象的です。
最後の曲「エヴリバディ・アイ・ラヴ・ユー(Everybody I love you)」はスティルスとヤングの合作で、ヤングを除く全員のコーラスによる力強いヴォーカルです。
リーヴスのベース、スティルスのギター・ソロ、リズム・ギターの歯切れの良さが好き。
まとめ
イーグルス、バーズ、バッファロー、ポコ、L&M等、西海岸を代表するミュージシャンは数多く、それぞれ好きなアルバムも有名な作品も数多いのですが、1枚決定打を選べと言われたらやはり『Deja Vu』に帰結してしまうような気がします。
四人囃子の1作目『一触即発』が面白すぎる
今を去ること30数年前、洋楽に没頭していた私に「四人囃子っていいよ」と言った知人がいまして、その時は「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」と「ブエンディア」をさらっと聞いて、「面白いね」と適当に話を合わせていた記憶があります。
今、『一触即発』をあらためて聴いて度肝を抜かれました。
これマジでめちゃくちゃ面白い。
当時一体何を聞いていたのでしょう。
1974年のメジャーデビュー1作目にして代表作このアルバム、収録曲は「hΛmǽbeΘ」「空と雲」「おまつり」「一触即発」と「ピンポン玉の嘆き」。CDバージョンには「空飛ぶ円盤」と「ブエンディア」がボーナストラックで入っています。(嬉しい紙ジャケ)
参加メンバーは森園勝敏(g、v)、中村真一(b)、岡井大二(d、pc)、坂下秀実(kb)石塚俊(コンガ)。ボーナストラックのベースは佐久間正英、Kbが茂木由多加。
歌詞は四人囃子の知人のコピーライター末松康生が担当しています。
「空と雲」
自分はこの曲が一番好きかもしれません。
「長く細い坂の途中に、お前の黄色いうちがあったよ」
「ともだちがくれた犬を連れてった」
「そのあたりには古いお寺が沢山あって」
という普通の日常を描いているようで、どこか異世界を垣間見てしまったような違和感。
末松康生のシュールな歌詞に合った絶妙なリズムとメロディなのか、はたまたリズムとメロディの不穏さがシュールな世界を増幅しているのか。
キーボードソロ、ギターソロ、いいです。
ベースも最高。
「おまつり」
ギターとベースの絡みが切ないほど美しいイントロに続いて、末松氏の描く異世界が展開します。
いつもお祭りがある町に行くとみんなが輪になって踊っているが、自分は人の足を踏んでうまく踊れない。歌を歌う番になっても歌詞を忘れて節だけ歌ったらみんなに殴られた。
お祭りのある町に行くといつも泣いてしまう。
ライナーノーツを書いている湯浅学氏は筒井康隆の「熊ノ木本線」を思い出すらしいです。自分的は恒川光太郎の描く夜市の世界を連想しました。
というか疲れている時に見る嫌な夢のようです。
森園さんのヴォーカルがいい。
上手いというかこの奇妙な異世界が脳内に映像を結ぶのに邪魔にならないというか。
ギターのソロも見事だし打楽器のキレも好きですが、この曲中村さんのベースの存在感が際立っています。
「みんなで一つずつ唄を歌うことになって」の部分の歪ませたヴォーカルのSE、さらに終盤のパーカッションとシンセサイザー、不思議な海鳴りと鳥の声。
聞きどころ満載の面白い曲です。
「一触即発」
タイトルナンバーだけあって圧巻です。
シンセサイザーのイントロに続いてハードロックのような冒頭部分。
ギターがビンビン唸っていると思ったらキーボードがいい感じに入ってくる。
ピンク・フロイドを思わせるトローンとした空気の中で例によって摩訶不思議な歌詞。
「ああ空が裂ける、音も立てずに」
後半は万華鏡のようにめまぐるしく転調そしてリズムチェンジ、「吹けよ風、呼べよ嵐」を連想させるリズムと飛ばしまくるギター。
次は何が出るのかと一瞬も気が抜けません。
これだけいろんな様子を組み合わせて12分間一瞬も惹きつけて離さない。
圧倒的な構成力にただ感嘆するのみです。
「空飛ぶ円盤に弟がのったよ」と「ブエンディア」
ボーナストラックとしてシングルでリリースされた2曲が入っています。
丘の上に弟と立っていると音もなく銀色の円盤が降りてくる。
「映画に出たことがない人は乗せてあげられない」と円盤(擬人化!)が「すまなそうに」いう。
弟は一度だけ映画に出たことがあるので円盤に乗る。
で「あとはススキが揺れるだけ」
って結局弟どうした?無事におろしてもらったのかというのは野暮というもの。
キレのいいリズム。心地いいギターソロに彩られた曲です。
「ブエンディア」はドラムの岡井氏の曲。
ハンコックの「カメレオン」を連想させる短いイントロに導かれメロトロンのバックミュージックが入ったあとエレピがイージーリスニングのようなメロディを奏でます。
これは30数年の時を経ても覚えていたメロディでした。
ベース、さらに時折入るギターもグッドです。
最後に
四人囃子は日本のピンク・フロイドと称されることもあったようですが、もし共通点があるとすれば独自の世界観を卓越した演奏で創造しているという点でしょうか。
英国プログレが西欧世界をバックに構築した独自世界なら、四人囃子の場合は「和」の異世界を創造している、という印象です。
『一触即発』では、作詞の末松氏と森園勝敏氏が織りなす日常の隙間に潜むパラレルワールドを堪能させてくれます。
個人的には中村真一氏のベースが推しです。ドラムもすごいけど。
まだ聞いてない方は是非、と声を大にして言いたいアルバムです。
こちら全曲です。
ノリノリのブギーはステイタス・クォーの『クォー』
先週はホラー小説のレビューをアップしたところ、閲覧数がいつもの5倍ぐらいに跳ね上がっていて我ながらびっくりしました。
洋楽と並行して英国ホラーのブログをやろうかと一瞬考えましたが、そんな時間があるはずもなくそちらは老後のお楽しみにとっておこうか、と(笑)。
さて今回はステイタス・クォーの7枚目のアルバム『クォー(Quo)』(1974)です。
『ブギに憑かれたロックン・ローラー』という何やらケッタイな邦題が付いています。
ステイタス・クォー(Status Quo)はロンドンのフォレストヒルズ出身のバンドで、かなりメンバーの変遷を経てきていますが、このアルバムではオリジナル・メンバーのフランシス・ロッシ(g、v)、アラン・ランカスター(b、v)および初期からのメンバーであるリック・パーフィット(g、v)、ジョン・コフラン(d)が参加。他にボブ・ヤングがハーモニカ、トム・パーカーがキーボードで参加しています。
ほとんど全曲がノリノリのブギやロックンロールですが、お勧めの曲は以下の通りです。
バックウォーター(Backwater)
独特のギター・リフのイントロにずっしりしたベースが入って2台のギターとベースのユニゾン。
メロディアスなパートからリズムが加速して正統派のロックンロールへ。
泥臭くどこか懐かしさを感じる曲です。
ハイウェイをふらふら歩いていたら女が家に入れてくれた。
当然「自分」は色々期待しているわけですが疲れと寒さで熱を出して寝込んでしまう。
医者が来て熱が下がった頃には女はどこかに消えてしまった、という冴えない歌詞です。
このバンド、CDだけ聴くよりも動きのあるステージに魅力のあるバンドです。
横にずらっと並んで3人が同じ手の動きで同じフレーズを弾いていたり、一つのマイクの周りに猫背になっていて集まっていたりするのに独特の趣があったり。
ただ残念なことにアップされているステージ動画はそれほど多くありません。
ブレイク・ザ・ルール (Break the Rule)
シングル・カットされて全英チャートの8位になった曲です。
シャッフルのノリのいい楽しい曲。
ホンキートンク・バーで知り合った娼婦のような女の家に連れて行かれ、翌朝目が覚めたら財布が空になっていた、という間抜けな男の話ですが、「誰だって時には羽目を外した方がいい」と笑い飛ばす陽気さがあります。
中盤のロッシのギター・ソロ、ホンキートンク・ピアノが入って来て、ハーモニカもいい感じです。
ロンリー・マン(Lonely Man)
アコギのイントロで始まるブリティッシュ・フォーク調の曲。
アルバム中唯一のメローな曲です。
ソフトなヴォーカルが美しく、後半に入るギターのソロ、ベースのフレーズも美しい。
浜辺で一人たたずむ孤独な人に語りかけ、何を探しているのか、友人が必要ではないのか、自分ではだめなのか、と問いかけています。
スロー・トレイン(Slow Train)
一曲の中に色々な要素が盛り込まれていて楽しめる曲です。
初めはアップビートのシャッフル。ここのギターの掛け合いが楽しい。
それから途中メロディアスな数小節が入りロックンロールへ。
ベースの動き、さらにロックンロール部分のベースの高音部も好きです。
後半にはアイルランドのリヴァーダンスを思わせるケルト民謡のようなパートが入る。
さらにドラムソロを経て再びアップビートのシャッフルへ。
家にいてウンザリしている若者が陽のあたる場所を目指して出て行く。
古いダコタ飛行機(ダグラス社のプロペラ機)に乗るお金もないので家畜用の遅い貨物車に乗って。
母さん、俺が出て行ってもオタオタしないでくれ。ここにいるより俺にとってはずっといいから、と母親に語りかけています。
終わりに、そしておまけ
中学時代にステイタス・クォーというラテン語由来の「現状」という語を知っていたのは、このバンドのおかげです。
今聞いてみると、英国のバンドというよりアメリカの、それも南部の泥臭い風合があるような気がします。アメリカのAmazon.comを見ていたら全く同じことをコメントに書いていた人がいて、やはり同じ印象を持つ人はいるものだと納得しました。
それでもブリティッシュ・フォーク調のLonely Man、スロートレインのケルティックなパートなどはやはりアメリカのバンドとは一味違いますね。
それにしてもこのジャケット、木からメンバーの顔が生えていてなかなかグロです。
ベースのランカスターなどは打ち首になった罪人のような表情です。
木になった頭といえばセンチメンタル・シティロマンスのこのジャケも構図はえらく似ていますが、こちらの方がだいぶ明るいですね。
書評:結構怖いブラックウッドの『The Willows』(邦題は不明)
今週は音楽ブログはお休みです。
というのも週末に読み始めた小説が途中でやめられなくなって音楽を聴く余裕がなかったせいです。
この短編小説『The Willows』の作者は英国人のアルジャーノン・ブラックウッド。
20世紀初頭に主に活動していた怪奇作家です。
話はドナウ川(The Danube)がウィーンからブダペストに至る途中に通過するハンガリーの湿地帯の描写から始まります。
スウェーデン人の相棒とカヌーを操って川下りを楽しんでいる「私」は、嵐で川の水位が上がりすぎたため小島(中洲)にテントを張って一泊することになる。
一帯にヤナギが群生する小島に上陸した当初から「私」は奇妙な違和感を感じる。
最初は浮遊する溺死体に見間違えたカワウソや人里を遠く離れた流れに小舟を浮かべている農民の姿など不思議な事象。
やがて日没とともに様々な異様な現象が起こり始め、眠りを覚まされた「私」は島内を歩き回り、この場所に巣くう得体の知れない悪意、邪気を感じる。
やがて待ちわびた夜明けが訪れるが、カヌーの魯が夜間に一本無くなっており、残った一本の魯も精巧なヤスリをかけたように薄っぺらく削られて使い物にならない上に、カヌーの底部には説明のつかない亀裂が入っていることを見つけ、さらに一夜とどまることを余儀なくされる。
砂地にいつの間にか開けられた幾つものすり鉢状の穴、初めはスウェーデン人の相棒にしか聞こえなかった鐘を叩くような不気味な旋律。
必死に科学的に説明しようと無駄な努力をする「私」。
やがて再び夕刻が訪れ‥。
やはり一番怖いのは、「期せずして境界を越えて侵入してしまった自分たちを生贄にしようとしているらしい原始的なある意志」の実体が最後まで分からないこと。
さらに屈強かつ経験豊富、理性的で頼り甲斐があるはずのスウェーデン人の相棒が、恐怖のあまり精神が崩壊しかかっていく様子。
文中に「後から二人の記憶をつなぎ合わせると」という表現があるので最後は共に助かったのだろうと予測できますが、最後まで読んでも何とも嫌な落ちが待ち受けています。
自分は探偵小説とホラー(スプラッター以外)が結構好きですが、最近「これは怖い」という傑作に遭遇していませんでした。
作者の「ここで怖がらせてやろう」という意図が透けて見えたり、オノマトペが乱用されていたりすると興ざめなのです。
『The Willows』はかなり恐怖レベルが高い方ではないかと思います。
この作品、自分は単品で買ったのですが『Ancient Sorceries and Other Weird Stories』にも収録されていてそちらも同時に購入したのでダブってしまいました。
日本語訳の『いにしえの魔術』にもおそらく収録されているのではないかと思いますが、アマゾン・ジャパンに1件だけあった『いにしえの魔術』の書評をみると「一番怖かったのは『エジプトの奥底で』だった」そうで、『The Willows』でもかなり恐怖度が高いのだから『エジプト』とやらはどれだけ怖いのかと読む前から戦々恐々です。