ロンドンVixen 60年代ー70年代のロックを聴く

60年代後半から70年代の黄金期を中心にロック名盤・名曲を聴く(時々乱読)

「切り裂きジャック」と「ディケンズ」がシンクロ

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このところチャールズ・ディケンズ「大いなる遺産」服部まゆみ一八八八切り裂きジャックに没頭していました。

切り裂きジャック(Jack the Ripper)は19世紀の後半、知られているだけで6人の売春婦を次々に惨殺しロンドンを震撼させた実在の殺人鬼。

「一八八八」は日本人の華族令息でロンドン警視庁に所属する鷹原が切り裂きジャック事件の捜査に関わり、彼の下宿に同居している帝大医学部の同級生で病理学者の柏木がシャーロック・ホームズのワトソン役よろしく巻き込まれていくミステリがメイン・プロットになっています。

が、謎解きものをはるかに超越して、二人の華族青年の視点から見たヴィクトリア時代のロンドン、実在の王太子とその子息で退廃的な殿下との交遊、日常、ロンドンのアンダーワールドの描写が半端なく面白いのです。

登場人物も王家の人々バーナード・ショウ怪しげな降霊術師柏木が一目ぼれした「謎の美女」ヴィットリア不思議の国のアリスを思わせる生意気な少女ヴァージニアなどそれぞれが魅力的。

中でも物語の最初から最後まで重要な役割を演じているのが、これも実在の人物でエレファント・マンことジョゼフ・ケアリー・メリック

奇病のために外見が人間離れするほど著しく変形し、見世物小屋の出し物にされたエレファント・マンの悲劇は1980年に映画化もされています。

見世物小屋から解放されロンドン病院に収容されたメリック氏と学問的な興味から意思疎通をしたい柏木に、メリックは通り一遍の返事しか返してこない。一方、鷹原の方はメリックとやすやすと意思疎通し意気投合している。

その鍵はメリックが愛読しているディケンズ「大いなる遺産」でした。
鷹原に勧められてこの作品を読んだ柏木もディケンズの著作にのめり込んでいきます。

実は私はたまたま「大いなる遺産」を読んでいる途中で「一八八八」が配送されてきたので、2冊を同時進行で読むことになり、全くの偶然で作中人物と行動がシンクロする状況になりました。

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「大いなる遺産」(Great Expectations) はひょんなことから大金を手にすることになった青年の生活環境と心理の変遷を描いた作品。

両親や兄弟に死なれ年の離れた姉しか肉親がいない少年ピップは、姉にお荷物扱いされ、毎日のようにどやされ、気のいい義兄が営む田舎の鍛冶屋の見習いをしながら、自分の人生はこんなはずじゃないと鬱々とした日々を送っている。

ある日、近くの町外れに住む金持ちの老嬢(死語ですが、まさにそれ以外の表現が浮かびません)ハヴィシャムの気まぐれで、彼女の屋敷に出入りするようになり生活が一変する。

このハヴィシャム嬢がそれはケッタイな人物で若い頃に結婚式の当日に婚約者に逃げられたショックから20年以上にもわたって当日着ていたウェディングドレスを着て毎日生活しているのです。純白だったレースは当然全て黄ばみきっています。

このハヴィシャム嬢にはエステラという養女がいて、ピップは美少女のエステラに一目惚れします。

ところがエステラは養母のハヴィシャムから「男なんてロクでもない、信用するな」という教育を受けて育ってきているので人に好意を持つ、という感情が全く理解できない。おまけにプライドだけは高いので、垢抜けない少年のピップなど馬鹿にする対象以外の何者でもありません。

普通に考えて美人なだけで全く自分になびいてくれない、どう見ても性格の良くない女性にそこまで思い入れますかね、と言いたくなるぐらいエステラはピップにとって生活の全てになってしまう。

やがてピップに思いもかけず大金を贈与するという正体不明の人物が現れ、ピップはロンドンで紳士となるべく生活をスタートする。

初めはおっかなびっくりでロンドンに出てきたピップも、徐々に浪費を覚え、不遜にもなり、自分に優しくしてくれた人のいい鍛冶屋の義兄のことなど別世界のように感じ始める。

全てがトントン拍子に行くかと思った矢先にある人物が登場し、彼の人生は思いもかけない方向に転がって行く。

この人物の登場あたりから物語は佳境に入り、鷹原が「手に汗握る」という展開になって行きます

ディケンズらしい「こんな偶然あるわけない」という部分はあるものの、面白く巧妙なストーリーです。

個人的には主人公ピップよりも、常にピップの味方になってくれている親友で陽気な青年のハーバートの方が好感が持てます。

そしてピップのエステラに対する思い入れのしつこさ。
エステラは多少カドが取れたようで最後まで何を考えているのか分からない女です。

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さて「一八八八切り裂きジャックはお勧めです。

特にヴィクトリア時代の英国に興味がある方には、770ページの分厚い文庫の隅から隅まで、みっちりと19世紀の雰囲気を堪能できます。

探偵役の鷹原が絶世の美青年、語り手の柏木が可愛い系のイケメン、というあたりは女性作家らしいご愛嬌ということで。(実写ドラマなどは作らないでほしいものです)

ヴィクトリア朝を題材にした日本人作家では北原尚彦氏の短編も面白いものが多いです。

ちなみに切り裂きジャックによる一連の事件は19世紀の終わり近くで1854年に出生したという設定になっているシャーロック・ホームズにとっても脂の乗り切った時期ですね。

コナンドイルが切り裂きジャックを題材にした話は聞きませんが、ホームズだったらどんな謎解きをしたのでしょう。