ロンドンVixen 60年代ー70年代のロックを聴く

60年代後半から70年代の黄金期を中心にロック名盤・名曲を聴く(時々乱読)

プロコル・ハルム『グランド・ホテルの夜』で酔いしれましょう

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今晩は。ヴァーチャル・パブきつね亭です。
今日の名盤はプロコル・ハルムです。

そこの若い方、イスラム過激派の話じゃありませんよ。あれはポコ・ハラムですから。

 

プロコル・ハルムといえば、ある程度の年齢の方であれば、特に洋楽が好きでなくてもきっと1曲はご存知でしょう。そうです、「青い影」原題は「A White Shade of Pale」。

私が若い頃は部費集めのダンス・パーティ(俗称ダンパ)というのが時々ありまして、大学の1年生なんかだと上級生にパー券を押付けられて、大して行きたくもないダンパにやや強制的に行かされたものです。ダンス曲の合間に照明がすっと落ちて、チークタイム(うわあ)が始まると、決まって流れた曲がなぜかこの「青い影」だったものです。

ちなみに青い影はミリオンセラーどころか一桁上の一千万枚売れたそうです。ラジオの深夜放送などでもよく流れた曲でした。


『グランド・ホテルの夜』はかなり好きなアルバムで、プロコル・ハルムの6枚目のスタジオ録音、1973年の作品です。

今日はちょっと豪奢にシャンパンの代名詞ドンペリのヴィンテージで行きましょう。たまには、ね。


グランド・ホテルの夜(表題作)

今夜は絹のシーツにくるまって寝よう。高級なワインを飲んで、レアの肉を食べて。キャンドルの明かりにシャンデリア、銀の皿にクリスタル‥‥。

今度はオテル・リッツの食事、金の食器、鏡張りの部屋、ベルベットの緞帳、とパリの豪華な夜を表す言葉を尽くせば尽くすほど、成金臭が半端ない。

言葉の端々に「ギャンブルで財産はあっという間に膨れ上がり、そして消えて無くなる」などと言っています。挙句の果てに「そういえば、ヨーロッパ女の妻(一夜妻?)はどこに消えたんだろう」「フランス女は喧嘩好きだから、早朝につねったり噛み付いたり」と滑稽な展開です。

ピアノの単純な繰り返しの上にヴォーカル、ベース、さらにドラムが入ってきて、ギターが粋な入り方をしたかと思うと、すぐにストリングス、コーラスが入ってワルツが始まる。リッツでの晩餐のシーンでは、ドラムのシンバルでしょうか、食器の触れ合うが聞こえます。

さらにワルツのモチーフが入り、今度はどんどんとテンポが上がって、いきなりオーケストラが哀愁に満ちたメロディーをドラマチックなまでに盛り上げていく。さらにワルツ、また円舞のテンポが上がって今度はギターのソロ。これがなかなかいい。

ワルツの繰り返しの合間にドラマチックなオーケストラの旋律、ロックの部分が次々に現れて面白い。

狂ったような円舞曲とオーケストラのメロディが大袈裟であればあるほど、滑稽というか、猥雑というか、デカダンというべきか。フランスの艶話をイギリス人が語っているような不思議な楽しさがあります。


表題作の次は「Toujours L’amour (トゥジュール・ラムール)」。永遠の愛という皮肉な題とは裏腹に、女が勝手に出て行って、取り残された男の歌です。ネコを連れて置手紙を残して彼女は出て行った。「フランスのヴィラを借りようかな。フランス娘と恋が芽生えるかも」、あるいは「スペインに行きリボルバーを買って自分の頭を吹き飛ばす方がいいかな」という剣呑な歌詞。

初期のビートルズにありそうな旋律の曲。ピアノ、さらにオルガンが効いていてギターのソロもいい。

ラム・テール(A Rum Tale)

小曲ながら好きな曲です。ピアノとベースが刻む3拍子が心地よく、メロディも可愛く美しくどこか懐かしい。途中から入ってくるオルガンもいい。作曲者のゲイリー・ブルッカー自身も、「メチャクチャ美しい曲を書いた」と言っている自信作です。

女に骨抜きにされた男が、南の島でも買ってラム酒漬けで暮らそうか、回想録でも書こうかと言っています。

 


Procol Harum: A rum tale

 

4曲目のTV 「シーザー(TV Ceasar) 」。湿った印象のギター・ソロが印象的です。
テレビの皇帝マイティ・マウスが各家庭の壁の穴に潜んでいて人間を観察しているよ、という歌です。

ビッグ・ブラザーが見張っているオーウェルの小説のような状況でありながら相手がネズミだけにコミカル。大仰なオーケストラ仕立、大真面目なヴォーカルの語り口でシュールな曲です。

 

次の「スーヴェニア・オブ・ロンドン(A Souvenir of London )」では、2重のアコギとパーカッション、マンドリンにズシンと響くバスドラにのせて、ブルース調のヴォーカルが「嬉しくないロンドン土産」について歌います。親に言えず税関でも申告できない、医者に見せなければならないこの「お土産」はVD(性病)ということで、この曲はBBCで放送禁止になったという逸話が残っています。

6曲目の「Bringing Home the Bacon」はロックらしいロックです。途中のギター・ソロがいい。

「For Liquorice John」は恥辱にまみれ精神に異常をきたした男の歌で、最期は手を振りながら海に沈んで言ったという救われない歌詞。変拍子が面白く、後半のオルガンからのドラマチックな展開がプロコル・ハルムらしい。


ファイアーズ(Fires(Which Burnt Brightly))

粒ぞろいの作品中、表題作、ラム・テールと並んで好きなのがこのファイアーズです。

この戦いは負ける寸前で、大義名分は亡霊と化している。かつて煌々と燃えていた火は勢を無くしている。規律と進軍ラッパは塵にまみれ…。

悲惨な描写の背景に流れるのは冒頭からのピアノの旋律の美しさ。効果的なオルガン・ソロ。

さらに何と言ってもゲスト出演しているクリスティアーヌ・ルグランのソプラノ・ヴォーカルがいいのです。特に後半のスキャットは圧巻で何度も聴きたくなります。

 

下は2006年のライブ録音。ルグランのソプラノの代わりに合唱が入っています。


Procol Harum - Fires (Which Burnt Brightly) // Denmark - 2006

 

最後は「ドクター、私が病気なの分かりません?金ならいくらでも払うから何とかしてくれ」という歌詞が壮大なシンフォニーにのせて歌われるという「Robert's Box」でアルバムは幕を閉じます。


最後に

ピアノのゲイリー・ブルッカーが全曲を作曲し、作詞は楽器を演奏しないメンバーのキース・リードが担当しています。クリムゾンにおけるピート・シンフィールドの小規模版といった役割でしょうか。

死、病、失望といったテーマが何とも仰仰しくドラマチックな演奏や、美しいメロディに載せて歌われる辺り、プロコル・ハルムのブラックユーモアというべきか英国人らしい皮肉じみたものを感じます。

 

 

 

 

 

ポール・コットンのソロ1枚目は隠れた名盤

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今晩は。ロンドンきつね亭の今夜のアルバムは、ポール・コットンの『Changing Horses』です。

ポール・コットンはアラバマ生まれのシカゴ育ち。ジム・メッシーナ脱退後のポコに参加しリード・ギターとシンガーを務めましたが、1990年に1枚目のソロ・アルバムを発表しています。

1990年。1960年代から1970年代の名盤を聴くというのがブログのコンセプトじゃなかったんでしょうか。

今回ブログのサブ・タイトルに「を中心に」というファジーな語を入れて見たりします。もう何でもありという感じですが、一応70年代の延長ということで。

ネバーマインドとか言って「赤ん坊がドル札と水泳をしている某バンドのジャケ」なんぞを出しましたら、「そりゃ守備範囲と違うだろうが」と突っ込みを入れてください。

 

このアルバムとの出逢いは、当時レコード屋で1曲目がかかっていたのを「今かかっている曲が入ったCDください」といういわば一目惚れならぬ一耳惚れだった記憶があります。

今日はラム、ライムとコーラのカクテルをお出ししましょう。

 

「アイ・キャン・ヒア・ユア・ハート・ビート(I can hear your heart beat)」

とにかくノリのいい1曲目。踊れます。
原曲はクリス・レアで、本アルバムで唯一のカバー曲になっています。

クリス・レアのオリジナルが入っていたCDも以前持っていましたが、そちらはもう少しアンニュイな雰囲気があったように思います。

ピッツバーグの工場にいても華やかなパリのクラブにいても僕は君のもの、という内容。「ヨーロッパのディスコ、若者が集まるジュークボックスがあって、冷えたコカ・コーラでも何でも手に入る」という歌詞の部分が特に好きで、昔のパリのディスコでティーンエイジャーたちがたむろしている様子が目に浮かぶようです。

イントロから入るドラムのキレの良さ。ドラマーは元スティーブ・ミラーバンドにいたセッション・ミュージシャンのゲイリー・マラバー。

この曲には「Sailing」のヒットで知られるクリストファー・クロスもバック・ボーカルで入っています。


1曲目のノリの余韻を残したまま始まる2曲目の「アイ・ウォーク・ザ・リバー(I walk the river」。このバックビート、このドラマー本当にいいです。


3曲目の「タイガー・オン・ザ・ローン」はクラブ・ミュージックの影響を感じる曲。好き嫌いはあるかもしれませんが、個人的にはギター・ソロも今ひとつ平凡な気がして印象が薄いのです。

 

次の「ヒア・イン・パラダイス」、パーカッションとテナー・サックスが活きています。ギター・ソロもいい感じ。

このアルバムではトロピカルなテーマが3曲にわたって登場しますがこのパラダイスは比喩で使われているようで、「彼女と自分は同じ港から違う方向に航海をする」、「ここに長居をしても同じ事の繰り返し」、「肩にオウム、背中にサルがいたけど、片方をもう一方と交換しなくてはいけなくて」という歌詞から察するに余り楽しい場所ではなさそう。

モラトリアムのような、あるいは煮詰まった状況のようですが、この曲の「のたり、のたり」感は結構心地いいものがあります。

 

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ワン・ロング・ラスト・ルック (One Long Last Look)

1曲目と並んで好きな曲です。曲調はロックでバッド・カンパニーがやりそうな曲。
ボーカルのバックのミック・ラルフス風のギターもピアノもいい。
サビもいいし、Moving On以下は歌い方もブルースになっていて、ポール・コットン意外とブルースもいけるんじゃないかと新たな発見があります。

ハート・オブ・ザ・ナイト(Heart of the Night)

ポコ時代のヒット曲のアレンジ版です。

面白いことに、アルバムの英語の題名が「Changing Horses」になのに、日本発売時の邦題が「ハート・オブ・ザ・ナイト」になっているんですね。

ポール・コットン、忘れられているかも、でもポコのヒット曲なら知っている人がいるかも、みたいな発売元の思惑なんでしょうか。

ポコのカントリー・ロック的な要素は全くありません。のっけから入ってくる女性ボーカルのポーシャ・グリフィン、ソウルシンガーのようですが、この曲の魅力の半分以上は彼女に取られています。只者ではありません。

アコーディオンとサックスのアレンジもよくポコ時代と比べて洗練された曲になっています。

 

7曲目のアフター・オール・ディーズ・イヤーズはラテンのテイストが入ったラヴ・バラードですが、特に印象に残る曲ではないので軽く聞いて次へ。

 

ジャマイカン・レイン (Jamaican Rain)

「ジャマイカの雨」というタイトルなのに、歌詞にジャマイカは出てきません。我が心の奥に雨が降る、と歌っています。縦ノリのレゲエ風のリズムですが、軽快さがなく重厚。このベースがかなり快感です。ピアノがやたら自己主張していますが、雨音のようでこれも心地いい。おそらくキーボードだと思いますが、雷鳴を表すかのように爆音が所々に入っています。

 

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ハイ・ウォーター(High Water)はパーカッションで始まるラテン系のけだるげな美しい曲。記憶とイマジネーションの中の南の海の情景を歌っています。特にハーモニーが美しい曲で、これもクリストファー・クロスがバックに入っています。

 

フロム・アクロス・ア・クラウデッド・ルーム (From Across a Crowded Room)。人が大勢いる部屋の向こうから彼女が近づいてきて始まった恋。映画のシーンのようですね。この曲もドラム、ベース、パーカッションのリズム・セクションが秀逸。中盤の歌うようなギター・ソロも綺麗に決まっています。


最後に

1曲目に魅かれて衝動買いしたアルバムですが、通して聴いてみるとかなり後半はラテン音楽の影響が感じられます。ポコらしさは殆ど感じられません。

ロック、ブルース、ラテンとこなすポール・コットンのヴォーカルもさることながら、このアルバムを支えているドラム、ベース、打楽器、それにバックグラウンドのヴォーカリスト達に拍手です。

 

ジェスロ・タル『天井桟敷の吟遊詩人』は英国伝統フォークとへヴィー・ロックの華麗な癒合

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今晩は。ヴァーチャル・パブきつね亭です。

今日の演目はジェスロ・タル天井桟敷の吟遊詩人(Minstrel in the Gallery)』というアルバムでいきたいと思います。

1975年にリリースされたジェスロ・タル(通称タル)の9枚目のアルバムで、作詞作曲、ヴォーカル、フルート、アコギを手掛けるバンドのフロントマン、イアン・アンダーソンを中心に、ギターのマーティン・バー、キーボードのジョン・エヴァン、ドラムのジェフリー・ハモンドハモンドが参加しています。 

このアルバムには、やはりイングリッシュ・エールそれもブラウン・エールをお勧めしたいと思います。

天井桟敷の吟遊詩人(Minstrel in the Gallery)

第1曲目の表題作。

天井桟敷というと通常階上の客席のことらしいですが、このギャラリーではジャケのイラストのように演じる側が陣取っています。

演者の口上に続き、パチパチとまばらな拍手。続いてアコギとフルートの調べに乗せて中世の吟遊詩人を思わせる節まわし。

面白いことに見る側と見られる側が反転して、吟遊詩人からみた客席の様子が語られています。おしゃべりに興じる老人からカボチャを食べる人、イカサマを働いた工場労働者、オムツが濡れてグズっている赤ん坊、新聞の日曜版のバックギャモンに取組む人、TVのドキュメンタリー制作者にいたるまで、次から次へと脚韻を踏みながら混沌とした世間の縮図が展開していくあたり作詞者としてのアンダーソンのセンスが窺われます。

曲はアコースティックな英国フォーク調から一転して中盤からヘヴィー・ロックの様相を呈します。変拍子の集積を潜り抜け、リズム・セクションが重厚な4拍子を刻み始めると、エレキ・ギターの絶妙なソロ。所々にフルートが絡みます。マーティン・バーはギタリストとして著名とは言い難いものの相当な実力の持主であることが窺い知れます。


ヴァルハラへの冷たい風(Cold WInd to Valhalla)

第2曲目はアルバムの中でも人気の高い曲です。
ヴァルハラは北欧神話の神が住む神殿、死んだ戦士をヴァルハラに誘なう妖女達がワグナーの楽曲でも有名なワルキューレですね。
英国風のフォークからハード・ロックに転じるというタルの曲の一つのパターンを蹈襲しています。

この曲は特に後半のギター・ソロが絶品。ストリングスの入れ方も効果的で、全体的に散りばめられたフルートは風に混じって聞こえるワルキューレ達の叫びのようです。

黒衣の踊り子(Black Satin Dancer)

個人的にはヴァルハラと並んで好きな曲です。
重厚なベースと華麗なフルートの音に導かれ始まるこの曲、こぼれるような可憐なピアノ、美麗なストリングス。いつの間にかワルツのリズムに。徐々にワルツのテンポが増してロックに突入。そしてマーティン・バーのギタープレイ。本当にこのギタリストはもっと知られていいと思います。

フルートがロックの楽器としてソロを張っているのもタルならでしょう。ドラムのシンバル使いも好きです。

レクイエム(Requiem)

アコギ、フルート、ウッドベース、甘やかなヴォーカルによる美しい、美しすぎる曲。
そして残酷な歌詞。微妙に背筋が凍ります。


一羽の白いアヒル/0の10乗=無(One White Duck/010ーNothing at all)

難解なタイトルに難解な歌詞で、イアン・アンダーソン自身が内面と向き合って描いているように思われます。ボブ・ディランのように弾き語っていて、個人的に好き・嫌いの範疇ではありません。ストリングスが美しい。ヴァイオリンのピチカート部分も。

 

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ベイカー・ストリートの女神

17分近い作品。聴き終わって思わず溜息が出ます。
うまいのです。イアン・アンダーソンのヴォーカルが。多少の間奏を挟んで、延々とモノローグのように歌っているのですが、何というか達者としか言いようがありません。
FeelとかHeelのように脚韻を踏んで伸ばしているパートなど、もうクセになりそうです。

主旋律は英国のフォーク調で、中世のイギリスの村景色に似合いそうですなのですが、舞台はロンドンのベイカー街。決っして綺麗とは言い難い街路の様子がが描かれています。

(私事ですがロンドンに住んでいた頃は、ベイカー・ストリートは徒歩距離だったので、ベイカーとかメリルボーンとかいう地名が出てくるだけで、懐かしさで心臓が高なります)

この歌のテーマについては、イアン・アンダーソンが言明していないらしく、ネットでも「これは貧困層の悲哀を歌った政治的メッセージだ」いや「イアン・アンダーソンの青春時代を描写したアンダーソン版『若き芸術家の肖像』だよ」という意見もあり。

テーマが両方にまたがっているとしても、おそらく後者が主軸になっているのではないでしょうか。将来は天井桟敷の吟遊詩人になって、もしシニカルな歌を歌ったら、と言っている少年が登場するところからも。

この曲の楽器も素晴らしく、重厚なのに切れのいいリズム・セクション特にドラミング、フルート、ピアノ、ストリングス、ギター、どれを取ってもいいもの聞かせてもらったという感があります。サビの美しさは絶品です。

 

ちなみにこの曲の終りにイアン・アンダーソンがこの曲を口ずさみながらスタジオを出て行こうとして「I can’t get out!」と叫んでいるのが録音に入っているのはどういう趣向なのでしょうか。

そのあと僅か37秒の小曲「Grace」を経て、リマスター版でないきつね亭のアルバムは終了します。


まとめ

伝統的な英国のフォークとハードロックの融合、確かな演奏技術と全体的を彩るフルートの音色の美しさ。イアン・アンダーソンの歌手としての魅力。

にもかかわらず何故かジェスロ・タルは過小評価されているような気がします。周囲のロック好きからもタルが好きだ、という話が出たことがありません。

70年代初頭の「アクアラング」、「ジェラルドの汚れなき世界(Thick as a Brick)」と並んでこの「Minstrel」も」ぜひ聴いていただきたい秀作です。

 

 

音楽ブログ近日に再開します!

我が家はアパートの最上階で山や木々の眺めがよく気に入っているのですが、先日大雨の日にまさかの雨漏りに見舞われました。5−6ヶ所から同時に雨水が吹き出し、あわや天井が崩壊・落下するのではと一時は本気で心配になりました。

管理会社が隣の空き部屋を仮住居として提供してくれましたので、なんとか生活できたものの‥。運悪く床に置いてあったラップトップを開けて見たら雨水を存分に吸ってしまっていてビクとも動きません。

何とかパワーボタンを押し続けてやれやれ立ち上がったと思ったら、凄まじいビービー音とカラフルな横縞の画面。今度はシャットダウンできないし。
仕方なくアップルのジニアス・バーに持って行ったら、「このコンピュータはビンテージですね、修理は外注に出しますのでざっと1500ドル(16万円ぐらい)かかります。いっそ新しいラップトップお買いになったら」って、ビンテージとか稀少価値がありそうなカッコいいボキャブラリーですが、要は「古い機械なのでいい加減諦めましょうよ」という話。

ちょっと!簡単に言うけど立派に使えてたんですけど(怒!)

確かに7年前のライオンというOSです。さすがに今だにネコ科動物シリーズのOSを使っている方は多くはないでしょう。
慣れ親しんだマシンを泣く泣く諦め、新しいMACBOOK PRO購入。

幸いにも賃貸保険会社が新しいマックプロの金額の殆どをカバーしてくれたうえアパートの管理会社が仮住まいの間の家賃をチャラにしてくれると約束してくれたので、実質的な出費はないと(多分)思うものの、長年愛用のマックがおシャカになるのが悲しすぎます。過去データもブログ記事のドラフト(少いのが幸い)も写真もGone Forever。

週一の音楽ブログを大分ご無沙汰してしまいました(スマホで記事に慣ればよかった)が、今後ともよろしくおねがい致します!

 

 

 

アイルランドが生んだ伝説のギタリスト、ロリー・ギャラガーの『Calling Card』

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今晩は、ヴァーチャル・パブのロンドンきつね亭です。

今日のミュージシャンはアイルランド出身のロリー・ギャラガー。

よく聞く逸話によれば、ある人がジミー・ヘンドリックスに「世界一偉大なギタリストと言われるのはどんな気分ですか?」と尋ねたところ、「それならロリー・ギャラガーに訊いてみろ」という返事が返って来たとか。

間違いなく世界のトップクラスの実力をもつブルース・ギタリストでありながら知名度では今ひとつの感があります。

コーリング・カード』(1976)は8枚目のアルバム。

ディープ・パープルにいたロジャー・グローヴァーがギャラガーと共同でプロデュースに参加しています。

今日はやはりアイリッシュ・ウィスキーですね。ブッシュミルズオンザロックでまったりとおくつろぎください。

ドゥー・ユー・リード・ミー(Do You Read Me)

ドラムのビートの間にギターが特徴的な入り方をしてくる一曲目は「Do you read me」。

心地よくて好きな曲です。ところによってイーグルスの「Life in the Fast Lane」に似ていたり、サビがバドカンの「Rock Steady」に似ていたりとブルースというよりもロックの曲調ですが、ギターと歌はブルースです。

途中のギターのソロがすごくいい。ギターがのびのびと歌っている感じです。

キーボードとの掛け合い、最後のユニゾンも楽しい。

ロリー・ギャラガーの声は、優男風のルックスに似合わずブルース・スプリングティーンに近いしゃがれ声で、この曲には合っています。

アルバムを通してみるとそれほど歌が巧いとは思えないのですが、この曲のボーカルには不思議と引き込まれます。

 

ライブではすさまじい神業を見せています。


Rory Gallagher - Do You Read Me (Rock Goes To College, 1979)

 

2曲目のカントリー・マイル(Country Mile)はロカビリーというのでしょうか。
エルヴィスがやりそうな、当時の表現で言えばイカした曲ですね。
これも声質に合った曲です。
短いピアノ・ソロがいい。後半のギターのフレーズはジェフ・ベックを思わせるものがあります。
ドラムの音が何となくバタバタしていますがそういうものなのでしょうか。

コーリング・カード (Calling Card)」

表題作の「コーリング・カード」。私的にはこのアルバム中最も好きな曲です。
スタジオ録音のはずなのに、どこかのジャズクラブで演奏しているような雰囲気を醸し出しています。

ジャズの要素のあるブルースで、ギターもピアノもアドリブで掛け合いをやっています。

この曲のピアノ・ソロもギター・ソロ秀逸です。ベースの動きも好きです。

 

シークレット・エージェント」。シャッフルのノリのいい曲です。
自分の彼女がシークレット・エージェントを使って自分を見張っている。家の前で待っていて、どこに行っても付いてくる。

うまくいかない恋だとか失恋の歌が多いブルースの中にあって異色の歌詞です。

右のスピーカーからくる低音のギターが左のスピーカーの高音のギターと絡んでツイン・リードのような効果を出しています。

そういえば曲調もツイン・リードで有名なウィッシュボーン・アッシュの「ジェイル・ベイト」に似てる気が。

 

次の「ジャック・ナイフ・ビート」はファンキーな曲。

独特のカッカッというギターとドラムのシンコペーションを効かせたイントロ、その後のギターソロがカッコいい。

スタジオでジャム・セッションをやっている感じで、アドリブでやっていると思われるギターとピアノの絡みが絶妙です。

このアルバムのあと、全5作のアルバムで一緒にやってきたキーボードのルー・マーティンとドラマーののRod de'Ath と袂も分っていますが、ここで聴く限り息はぴったり合っていると思うのですが。ロリー・ギャラガーはこういうアドリブがかなり好きで得意としていますね。

 

エッジ・イン・ブルー(Edge in Blue)」。この曲、イントロのギター・ソロの美しさ、ロック史に残るレベルではないでしょうか。

むしろギター・ソロの延長でインストゥルメンタルの曲として入れてほしかった。

 

バーレイ・アンド・グレープ・ラグ(Barley and Grape Rag)

最後の「Barley and Grape Rag」はアメリカ南部のカントリ―・ブルースの原点を思わせる曲です。
マディ—・ウォーターズ辺りのブルース・ミュージシャンに影響を受けてきたロリー・ギャラガーらしい。
Barleyはウィスキーの原料の大麦、Grapeはワインの原料のブドウ。彼女に冷たくされた、つまんねえ、今夜は街に出かけてとことん酔いつぶれてやるぞという歌です。
1930年代のビンテージのリゾネーター・ギター、縦乗りベースとシンコペ満載ドラム、ハーモニカ、ピアノで昔の酒場の様子が目に浮かびます。
ステージではギター一本でやっている画像が残っていますが、そちらもなかなか味があります。


barley and grape rag " rory gallagher live at rockpalast 1977

最後に

ロリー・ギャラガーのギターの音は一度聞いたら忘れられません。
洗練されてないのにカッコいい、まさにブルース・ギターの王道を受け継ぎ、次世代につないだ人という印象です。

演奏を生で見たかったと思います。
残念ながら彼は1995年に47歳の若さで肝臓障害で命を落としています。飲酒が主な原因だったというのもアイルランド人らしいとも言えるでしょう。

 

 

ジェネシス『フォックス・トロット』が今年のトリです

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今晩は。ヴァーチャル・パブのロンドンきつね亭です。

ジェネシスはずっと食わず嫌いできたバンドでした。

曲の構成も詞も面倒そうだったのに加え、70年代のピーター・ガブリエルの可愛くなくなったエリマキトカゲみたいなステージ・メイクと衣装がグロテスクで好きになれなかったのですね。

ですが、きつね亭の表看板をに図柄を無断借用させていただいている以上、無視も出来ません。というわけで今回は『Foxtrot (フォックス・トロット)』でいってみます。

内容に入る前にこのジャケットの図柄ですが、表紙はマダム然としたキツネが流氷だか岩だかの上で余裕のポーズを取っていますが、裏面では岸辺にキツネを追いつめた狐狩りの貴族らしき数人が猟犬とともに描かれています。

 

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一人はなぜか白いハンカチで涙をぬぐっています。その隣の騎乗の二人はどうみても人間ではない。一人はサルのような耳の異形で、もう一人は緑色の顔をした宇宙人らしき面相です。

奇妙な面白いイラストですが、ジェネシスのメンバーからは自分たちの音楽に合わない、絵にプロの技巧を感じないなどと至極評判が悪かったようです。

今日はフォックス・トロットという名のカクテルで、弊店のはレモン・ジュースとオレンジ・リキュールが入ります。

「Watcher of the Skies (ワッチャー・オブ・ザ・スカイズ)」

パイプ・オルガンにも似たメロトロンの荘厳で一種悲壮感のある音のイントロがしばし続いた後に、オルガン、ベース、さらにドラムがタカタ、タッタッタ、タカタ。タッタとスタッカートのリズムを刻み始めるモールス信号だと言う人もいます。

最初からえらい密度の高い曲です。やがてベースとリズムギターにモールス信号をまかせてドラムが違うリズムを叩き始めている。ポリリズムというのですか、なるほど。

めちゃめちゃ威圧感のある曲なのだけどそれぞれの楽器の音がとても美しい。フィル・コリンズのドラム、難易度の高いことしてると思うけど音が軽妙洒脱で綺麗です。ギターの入り方もネックをグワーと擦り上げるところもカッコいい。

歌詞は人類が滅亡したあとの地球を訪れる宇宙人の視点で描いています。「おそらくトカゲは尻尾を切ったのだ」という歌詞は「地球が存続のために人類を切り捨てた」という意味でしょう。

「空を見つめる者」は人ではなく地球外生命。

とするとあのモールス信号の拍子は人間が最後に放ったSOSを暗示していたとか。

YouTubeで当時のコンサートを見ると、宇宙人を演じるピーター・ガブリエルが頭の横にコウモリの羽根(これじゃ宇宙人じゃなくて悪魔だ)をつけています。途中でタンバリンをお面の代わりに顔に当てて妙なパントマイム。

意外に愛嬌があります。強烈なインパクトのある曲なので多くのコンサートの第1曲目として演じられたというのも納得できます。

「Time Table (タイム・テーブル)」

地球外生命の視点だった前曲に続き、この曲の主役は長い年月を経て歴史を見てきたオーク材のテーブル。

昔々、王と王妃が黄金のゴブレットで葡萄酒を飲み、勇者は貴婦人を涼しげな木陰に誘い‥武勇が尊ばれ伝説が生まれ、栄誉が命よりも重んじられていた頃、とキャメロット的な世界が語られる一方、サビの部分では何故我々人間っていうのは死ぬまで分らないんだろうね、時代は移ってもやっていることは同じ、自分たちの戦いがいつも崇高だと信じているなんて、と人間の愚かさを自嘲的に歌っています。

トニー・バンクスのピアノを中心に展開する心地いいメロディ。途中ベースの高音がキーボードと美しく絡んでいる箇所があるんですが、このチリチリというキーボードが何なのか分らない。

ネットで調べてみたらやはり「分らない」という投稿がいくつかあって、中には「トイ・ピアノ」を使っているんじゃないかなどという意見も。
多くの人が「これはピアノの中の弦をギターのピックで弾いている音だよ」と回答していて、おそらくその辺りかもしれません。演奏者による真相解明はなされていないらしいです。

続く3曲目の「Get'em out by Friday(ゲッテム・アウト・バイ・フライデイ)」はピーター・ガブリエルが1人3役の声色を使い分けて、賃貸集合住宅を買収して店子を追い出したい企業家、追い出しを請け負っている業者(Winkler)、当惑している借家人の夫人を演じています。巻き舌で借家人に迫っているウィンクラーのアクの強さに笑える。ステージで見たらガブリエルの表情の七変化もみられてさぞ面白いでしょう。この曲はオルガンも秀逸、ドラムのリズムも凄い。

「Can-Utility and the Coastliners (キャン・ユーティリティ・アンド・ザ・コーストライナーズ)」

12弦ギターのアルペジオで始まる美しい曲。
メロトロンが奏でる弦と笛の透明感、中盤以降のオルガン・ソロが何ともいいです。
途中でフィンガー・シンバルの可愛らしい音が入っています。

11世紀初めにデンマークイングランドノルウェーを束ねた北海帝国の王、デーン人のクヌート大王の故事がテーマになっています。

クヌート王はある時玉座を海辺に置いて、打ち寄せる波に向かって「退け。我の足も衣も濡らすな」と命じました。もちろん波は王様の命令など知ったことじゃありませんからどんどん打ち寄せて来ます。
王様は波から飛び退いて、臣下に向かって「見ただろう、王の権力なんてどれほどの物でもない。天、地、海を従わせる神だけが永遠の権威なのだ」と言ったそうです(参照Wikipedia)。配下の国々にただ追従する愚かさを教えようとしたエピソードとして知られます。

表題のCAN-UTILITYはCANUTE大王の名前の綴りと現代のユティリティ(公共事業)をもじっていますが、現代のビジネスとの関連性は不明です。

 

ピーター・ガブリエルのアクの強いヴォーカルに少々お腹いっぱい、というタイミングでスティーブ・ハケットのアコギ曲「Horizons(ホライゾンズ)」が入ります。
エスの「ムード・フォー・ザ・デイ」のようなスパニッシュ・ギターのテク見せまっせ、の曲ではなく、懐かしく緩やかで、次に控える大作「サパーズ・レディ」を前にした箸休めのような曲ですね。

「Supper's Ready (サパーズ・レディ)」

一言で感想を言うと、これは圧巻です。
7つのパートに分かれた23分の組曲ですが、何度聴いてもよいというか、聴けば聴くほど味わい深い。

最初は久しぶりに会ったカップルの奇妙な違和感から、農民とエセ科学宗教家との小競り合い、ヨハネの黙示録ウィリアム・ブレークのニュー・エルサレムのような世界と曲のテーマが途方もなく広がる一方で、第1章と最終章に繰り返されるメロディは耳になじみやすく全体を綺麗にまとめるのに成功しています。

印象に残るのは、まず第1章目「ラバーズ・リープ」の終盤です。ガブリエルのボーカルが終った後、ハケット、バンクス、ラザフォードの12弦ギターのアルペジオが続く中、エレクトリック・ピアノとコーラスが入ってくる。
どこか中世の村をイメージするようなフォークの調べが、川のせせらぎのようでもあり、精巧な細工のようでもあり、何とも繊細な美しさです。

第4章の終盤でナルキッソスが花(水仙)に変えられてしまった、というギリシャ神話の一説が歌われ、ガブリエルが「花(Flower)?!」とう台詞とともに花の被りものを付けて出てくる。

そこから始まる舞台喜劇のような章「ウィロー・ファーム」のヴォーカルは達者につきます。「チャーチルがドラッグの格好をして」という部分には苦笑ですが、次から次へと繰り広げられる連想ゲームのような言葉遊びの文学性、表情豊かな歌唱は舞台芸術としても第一級といえるのではないでしょうか。ガブリエルは当初苦手意識があったのに、いつのまにか憎めない印象になってきて度々笑わせられたり。

しかし何と言ってもインパクトがあるのはそれに続く「アポカリプス9/8」という章。タイトル通り8分の9拍子でリズム・セクションが入っていますが、ここのフィル・コリンズのドラミングとバスドラの音がすさまじい。

そこに入るオルガンソロ。トニー・バンクスはこの部分はキース・エマーソンのパロディで作った、と言っていますが、そこは今ひとつぴんときません。
リズム・セクションの力強さとオルガンのコンビネーション、はじめ4分の4拍子で繰り返すキーボードのフレーズは東洋風の響きもあり、石棺から兵馬俑が出て来て行進を始めそうな、そんな迫力です。

 


Genesis - Melody '74 Live - Supper's Ready (1st Gen. Copy) Remastered

まとめ

ピーター・ガブリエル時代のジェネシス、面白い。面白すぎる。
人類滅亡後の地球から、王侯貴族の集う大広間、北海帝国の海辺、農民とエセ科学宗教家との争いへと視聴者を誘うイマジネーションの幅にも、それを支える演奏技術の確かさにも感服。

とくにバンクスのキーボードとコリンズのドラムが。そしてガブリエルのドタバタと被り物をかぶりながら演じている芸人のような茶目っ気と曲にぴったりあったヴォーカルにも。

繰り返し聴きたい密度の濃いアルバムでした。

さて暮れも押し迫りました。

皆様どうぞよいお年をお迎えください。
2018年もロンドンきつね亭にご来店をお待ち申し上げております。

 

ムーディー・ブルースの「セブンス・ソジャーン」は不朽の名盤

 

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今晩は。倫敦ヴァーチャル・パブのきつね亭です。

今晩の名盤は、ムーディー・ブルースの『Seventh Sojoun(セブンス・ソジャーン)』です。


この記事をヒットしてくださった方はご存知かと思いますが、ムーディー・ブルースはイギリスのバンドで一般的にプログレの草分けのような扱いになっています。

70年代の最盛期のメンバーはジャスティン・ヘイワード、ジョン・ロッジ、マイク・ピンダー、グレアム・エッジ、レイ・トーマスの5人。

しばしのソロ・休眠期を経て80年代にも数枚の佳作アルバムを出しています。

ムーディーズのベスト・アルバムはこの8枚目『セブンス・ソジャーン』か7枚目の『童夢』(当ブログのタイトルのバックにある子供のイラストのジャケね)かと悩ましいところですが、「Isn't Life Strange(神秘な世界へ)」「ユー・アンド・ミー」「ロックンロール・シンガー」が入っているという点でこのアルバム一押しです。

 

では聴いてみましょう。

今夜のカクテルはその名もムーディー・ブルー。
ウォッカ、ピーチ・シュナップス、ブルー・キュラソーとアップル・ジュースでお作りします。

 

まず独断ながら第1曲目の「失われた世界(Lost in a Lost World)」と2曲目「新しい地平線」は軽く聞き流しても構いません。

マイク・ピンダー作の一曲目は反ヘイトのメッセージ・ソングですが、曲調がやや時代を感じさせます。はっきりいうと、サビの部分は昭和の歌謡曲を彷彿とさせます。

2曲目はジャスティン・ヘイワード作のきれいな曲ですが、やや冗長な印象を免れません。

「For My Lady(フォー・マイ・レディー)」

さて、この辺りからムーディー・ブルースの本領発揮の感があります。

作詞作曲を手がけたレイ・トーマスがフルートとヴォーカルを担当していますが、なんという美しい旋律。

ムーディーズというとどうしてもジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのイメージが前面に出ていて、他3名の存在は悲しいかな地味なのです。 が、地味方のレイ・トーマスがこんなに甘く心地よい声をしているとは。

フルートとアコギ、そしてメロトロンに代わるチェンバリンによるオーケストラ。バックのコーラスの美しさ。

愛する女性への想いを航海に例えているあたりも旋律もいかにも英国フォークの伝統を踏襲した曲作りで、時代を感じさせないラブ・ソングといえるでしょう。

「Isn't Life Strange?(神秘な世界へ)」

私的にロック史上全カテゴリーの曲で好きな曲の5番以内には必ずランクインするのがこの曲です。
神秘な世界へ、という陳腐な邦題はこの際どうでもいい。
「人生って不思議だよね」なんです。
苦しみ、悩んで悪戦苦闘して、でもその日があったから今ここにこうしている。
貴女の瞳にうつる存在でありたかった。思いかえすと貴女はそこにいた。でも今僕らはここにいる。(自分ながら陳腐な訳ですが)
サビの部分、It makes me cry, cry ,cryから、Wish I could be in your eyes/Looking back there you were, and here we areに胸をつかれます。泣きたくなります。
切ないけど哀しくはない。男女の再会の歌であると同時に愛と再生の歌なんですね。
チェンバリンによるバックグラウンド・オーケストラの美しさ、力強い男声コーラスにかぶさるメローなギター・ソロの妙。
ああ生きていてよかった、この曲がまた聴けた‥というと大げさですが。
作詞作曲のジョン・ロッジさんにありがとうと言いたくなります。

 

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「You and Me (ユー・アンド・ミー)」

エレキ・ギターのソロとチェンバリンの印象的なイントロではじまるヘイワードとエッジの共作によるアップテンポの曲。
「東洋に葉のない木があり、陽光の下に家のない人がいる。谷は山火事で燃え、そこから物語は始まる」
と、何だか神秘的な歌詞です。ウィキペディアによると枯葉剤を使ったベトナム戦争の暗示とのことですが、ピンと来ません。
大いなる父により創造され、その子の愛によって祝福されたこの世界を畏怖をもって眺めようというキリスト教的な世界観も出てくる。
失敗はゆるされない、決して決して止まってはいけない、と言っているのでやはりメッセージソングなのでしょう。
ジャスティン・ヘイワードを中心としたコーラス、ギター・ソロ、チェンバリンとともにリズム・セクション、とくにリズム・ギターとパーカッションが効果的に入っています。

続く「Land of Make Believe(虚飾の世界)」でもコーラスが活きていて、ヘイワードの美声が発揮されています。
アコギ、フルート(合成?)に加え、チェンバリンによるオーケストラ・サウンドの広がり。ここでもヴォーカルと重なって入ってくるギター・ソロが魅力的です。

「I am just a singer in a rock'n roll band (ロックン・ロール・シンガー)」

ジョン・ロッジによるこの曲を最後にもってきたのはグッジョブです。

このアルバムのいくつかのメッセージソングに、ムーディーズはこの曲で「私はロック・バンドのシンガーに過ぎないよ」と答えています。

政治家でもなく有力者でも軍人でもない。でも音楽というメディアを通じて異なる言語・文化の間に橋を築いているよという彼らの矜持が歌詞から伝わってくるのです。

前の曲の遠くかすかな笛の音の名残にパタパタとドラムがかぶさっていくイントロが面白い。

曲全体を流れるギターとオーケストラ・サウンド、中間に入るギター・ソロも耳に心地よく、ノリのいい曲です。

終わりに

日本語のウィキペディアを見たら「本当にプログレッシブなバンドはピンク・フロイドとムーディ・ブルースだけだ」というジミー・ページの台詞が載っていて意外な気がしました。
ピンク・フロイドは分かるとして、自分の中ではクリムゾンとフロイドあるいはクリムゾンとイエスの組み合わせが挙るような気がしていたので。

確かに他に先駆けてメロトロンを駆使した音作りをしていたのでプログレというジャンルに属するのでしょうけれど、それはたまたまマイク・ピンダーというキーボード奏者がいたからで、ほかのメンバー達もはたして意識してプログレの方向を目指していたんだろうか?と。どちらかというとソフト・ロックの要素もあって、ソフトよりのプログレというか。まあジャンルは関係なく、ムーディ―・ブルースは本当にいいです。

おまけのクリスマス・プレゼントです。

この時期にちなんでムーディー・ブルースの『December』というアルバムからクリスマスの曲を2曲。
「In the Quiet of Christmas Morning」はバッハの「主よ人の望みの喜びよ」のアレンジです。


The Moody Blues - In the Quiet of Christmas Morning (Bach 147)

 

そしてもう一曲は「スピリット・オブ・クリスマス(Spirit of Christmas)」。ジョン・ロッジの美しい曲です。少々むごい画像が入っているので閲覧は注意して下さいね。クリスマスの本当の意味を伝えている曲だと思います。

 


The Moody Blues - The Spirit of Christmas

 

このアルバムにはホワイト・クリスマスはじめクリスマスの曲が11トラック入っています。