ロンドンVixen 60年代ー70年代のロックを聴く

60年代後半から70年代の黄金期を中心にロック名盤・名曲を聴く(時々乱読)

「切り裂きジャック」と「ディケンズ」がシンクロ

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このところチャールズ・ディケンズ「大いなる遺産」服部まゆみ一八八八切り裂きジャックに没頭していました。

切り裂きジャック(Jack the Ripper)は19世紀の後半、知られているだけで6人の売春婦を次々に惨殺しロンドンを震撼させた実在の殺人鬼。

「一八八八」は日本人の華族令息でロンドン警視庁に所属する鷹原が切り裂きジャック事件の捜査に関わり、彼の下宿に同居している帝大医学部の同級生で病理学者の柏木がシャーロック・ホームズのワトソン役よろしく巻き込まれていくミステリがメイン・プロットになっています。

が、謎解きものをはるかに超越して、二人の華族青年の視点から見たヴィクトリア時代のロンドン、実在の王太子とその子息で退廃的な殿下との交遊、日常、ロンドンのアンダーワールドの描写が半端なく面白いのです。

登場人物も王家の人々バーナード・ショウ怪しげな降霊術師柏木が一目ぼれした「謎の美女」ヴィットリア不思議の国のアリスを思わせる生意気な少女ヴァージニアなどそれぞれが魅力的。

中でも物語の最初から最後まで重要な役割を演じているのが、これも実在の人物でエレファント・マンことジョゼフ・ケアリー・メリック

奇病のために外見が人間離れするほど著しく変形し、見世物小屋の出し物にされたエレファント・マンの悲劇は1980年に映画化もされています。

見世物小屋から解放されロンドン病院に収容されたメリック氏と学問的な興味から意思疎通をしたい柏木に、メリックは通り一遍の返事しか返してこない。一方、鷹原の方はメリックとやすやすと意思疎通し意気投合している。

その鍵はメリックが愛読しているディケンズ「大いなる遺産」でした。
鷹原に勧められてこの作品を読んだ柏木もディケンズの著作にのめり込んでいきます。

実は私はたまたま「大いなる遺産」を読んでいる途中で「一八八八」が配送されてきたので、2冊を同時進行で読むことになり、全くの偶然で作中人物と行動がシンクロする状況になりました。

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「大いなる遺産」(Great Expectations) はひょんなことから大金を手にすることになった青年の生活環境と心理の変遷を描いた作品。

両親や兄弟に死なれ年の離れた姉しか肉親がいない少年ピップは、姉にお荷物扱いされ、毎日のようにどやされ、気のいい義兄が営む田舎の鍛冶屋の見習いをしながら、自分の人生はこんなはずじゃないと鬱々とした日々を送っている。

ある日、近くの町外れに住む金持ちの老嬢(死語ですが、まさにそれ以外の表現が浮かびません)ハヴィシャムの気まぐれで、彼女の屋敷に出入りするようになり生活が一変する。

このハヴィシャム嬢がそれはケッタイな人物で若い頃に結婚式の当日に婚約者に逃げられたショックから20年以上にもわたって当日着ていたウェディングドレスを着て毎日生活しているのです。純白だったレースは当然全て黄ばみきっています。

このハヴィシャム嬢にはエステラという養女がいて、ピップは美少女のエステラに一目惚れします。

ところがエステラは養母のハヴィシャムから「男なんてロクでもない、信用するな」という教育を受けて育ってきているので人に好意を持つ、という感情が全く理解できない。おまけにプライドだけは高いので、垢抜けない少年のピップなど馬鹿にする対象以外の何者でもありません。

普通に考えて美人なだけで全く自分になびいてくれない、どう見ても性格の良くない女性にそこまで思い入れますかね、と言いたくなるぐらいエステラはピップにとって生活の全てになってしまう。

やがてピップに思いもかけず大金を贈与するという正体不明の人物が現れ、ピップはロンドンで紳士となるべく生活をスタートする。

初めはおっかなびっくりでロンドンに出てきたピップも、徐々に浪費を覚え、不遜にもなり、自分に優しくしてくれた人のいい鍛冶屋の義兄のことなど別世界のように感じ始める。

全てがトントン拍子に行くかと思った矢先にある人物が登場し、彼の人生は思いもかけない方向に転がって行く。

この人物の登場あたりから物語は佳境に入り、鷹原が「手に汗握る」という展開になって行きます

ディケンズらしい「こんな偶然あるわけない」という部分はあるものの、面白く巧妙なストーリーです。

個人的には主人公ピップよりも、常にピップの味方になってくれている親友で陽気な青年のハーバートの方が好感が持てます。

そしてピップのエステラに対する思い入れのしつこさ。
エステラは多少カドが取れたようで最後まで何を考えているのか分からない女です。

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さて「一八八八切り裂きジャックはお勧めです。

特にヴィクトリア時代の英国に興味がある方には、770ページの分厚い文庫の隅から隅まで、みっちりと19世紀の雰囲気を堪能できます。

探偵役の鷹原が絶世の美青年、語り手の柏木が可愛い系のイケメン、というあたりは女性作家らしいご愛嬌ということで。(実写ドラマなどは作らないでほしいものです)

ヴィクトリア朝を題材にした日本人作家では北原尚彦氏の短編も面白いものが多いです。

ちなみに切り裂きジャックによる一連の事件は19世紀の終わり近くで1854年に出生したという設定になっているシャーロック・ホームズにとっても脂の乗り切った時期ですね。

コナンドイルが切り裂きジャックを題材にした話は聞きませんが、ホームズだったらどんな謎解きをしたのでしょう。

 

ユーライア・ヒープ 「対自核」で喝を入れる

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久々に酷い風邪でダウンしました。
38度台の熱が5日ぐらい続いて抗生物質も効かず、ピークが39度3分って一体いつ以来でしょうか。

とは言うもののブログが滞っていたのはそれ以前からなので言い訳にはなりませんが。
好きで始めたのに70数記事で早くも倦怠の波に見舞われておりました。

この辺で威勢のいい音楽を聴いて喝を入れてみましょう。

ロックの曲・アルバム名には不可思議なものが多いですが、「対自核」というのは意味不明さでも断トツといっていいでしょう。


1971年発表のユーライア・ヒープの3枚目、原題は「Look at Yourself」。直訳をすれば「汝自身を見よ」。

ミック・ボックスのアイデアでオリジナルのアルバム・ジャケットは鏡面になるようにアルミ加工になっていました(私の持っているCDは単なるグレーの印刷)。

ケン・ヘンズレーのキーボード、ミック・ボックスのギター・リフ、デヴィッド・バイロンの裏声ヴォーカル。想像しただけで元気が出て来ます

「対自核」(Look at Yourself)

ドラムより太鼓といった方がしっくりのイアン・クラークのドラミングとケン・ヘンズレーのオルガンで始まる表題曲。

重厚なシャッフルは文句なしに好きなジャンルです。

ヘンズレーの作でヴォーカルも本人ですが、バイロンが裏声でコーラスに入っています。

キーボードのソロ、さらにファズの効いたギターのソロ。

「何から逃げているんだ
誰も追って来てないじゃないか
怖がってないで
ちゃんと自分自身を見ろよ」

という歌詞ですが、畳み掛けるリズムに追われて何だか走りたくなる。

終盤、ドラムのビートをバックに入ってくるパーカッションはアフロ・ロックバンド、オシビサのメンバー。

やがて全楽器が混然一体となって収束へと向かいます。

 


Uriah Heep / Look at Yourself

 

2曲めの「自由への道」(I Wanna Be Free)

ハモンド・オルガンをバックにバイロンとヘンズレーのハーモニー、そこにベースがいい感じで入ってくる序盤の美しさ。

ギターの掛け合いもバイロンのファルセットのスキャットもいいし、個人的にはポール・ニュートンの高音部のベースのうねりがツボです。

「7月の朝」(July Morning)

ブルガリアで毎年7月1日に黒海の浜辺に集まって日の出を見るお祭り。

そこに出かけて活力に満たされて家路を辿る男の歌ですが、本場のブルガリアでは80年代にユーライア・ヒープの「7月の朝」がヒットしたためにお祭りのJuly Morningという呼び名が定着したとWikipediaにあります。

 

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黒海に昇る太陽 (日本海でも太平洋でも画像はそう変わりませんが)

美しい曲をバイロンがヴィブラートのかかった声で歌っています。

特に良いのは民族音楽思わせるもの悲しいメロディをキーボードで演奏する中盤と終盤。

終盤のマンフレッド・マンのミニ・ムーグが入りビンビンと飛び交いながらうねっていく様はまさに圧巻。何とも快感です。

「対自核」の魅力をさらに上回る聞き応えのある曲です。

この曲、日本とヴェネズエラでシングル・カットされた、とありますがレコード会社も10分半に及ぶ曲をよくシングルにしたなという感じです。

というか、この曲と「対自核」をシングルで買うぐらいなら迷わずLPの方を買うでしょう、普通。

 


URIAH HEEP JULY MORNING 1972

1972年のライヴ録音。この時のベースはゲイリー・セインですね。

 

続く4曲目の「瞳に光る涙(Tears in My Eyes)」

始まりと終わりがツェッペリンみたいな曲だと思ったら(思ったのは私だけかも、ですが)、ヴォーカルを違和感なくプラントの金切り声に脳内変換してました。

中盤のアコギとムーグ、高音部のスキャットが入る部分のギターが美しい。ちらりとヴァイオリンのような音が聞こえたのはシンセサイザーでしょう。

「悲嘆の翳り(Shadow of Grief)」

悪い女に塵のように扱われ、足蹴にされてきた男の恨み節なのですが、かなりダークな曲です。

ドラマチックなキーボードがカッコよく、ところどころパイプオルガンのような音を出しています。

オルガンとギターの掛け合いからギターソロへの移行もいい。

不穏なメロディを奏でるギター、ベース、オルガン、ちょっとサバスがかっています。

終盤のムーグもうまくはまっていますが、ムーグで悲鳴のような音を出しているのかと思ったら途中からバイロンの声のようで、どちらなのか分からない。不思議なエンディングです。

対自核、7月の朝に続いて好きな曲です。


6曲目の「当為」(What Should be Done) も摩訶不思議な邦題がついたメロウな曲。

ファズを効かせたギターは悪くないけど、アルバムの中では今一つ面白味に欠けるように思います。

最後の「ラヴ・マシーン(Love Machine)」はヒープらしい曲。

骨太のシャッフルで、「対自核」と対をなしている印象です。
ミック・ボックスのギターソロも冴えているし、バイロン独特の裏声も堪能できます。


ボーナス・トラックに「対自核」と「当為」の別バージョンが各2曲入っているのは蛇足ですが、「Why」という曲は秀作です。

ヒープにしては意外なジャズがかった曲で、鼓動のようなベースもヘヴィーにファズをかけたギターも心地よい。


このアルバム辺りからユーライア・ヒープの全盛期に入っていきます。
ケン・ヘンズレー自身もヒープのサウンドアイデンティティを確立したアルバム、と言っています。
個人的には1枚目も「ソールズベリー」も好きなので優劣はつけがたいのですが。

 

ちなみに日本語版のウィキペディアを見ていたら、「対自核」ザ・ピーナッツが、「7月の朝」西城秀樹がカヴァーをしていたので驚きました。

ザ・ピーナッツクリムゾン「エピタフ」をやっているのは知っていましたが、「対自核」まで歌っていたとは。おそるべし、伊藤姉妹

いや、でも、十分想像つきます。

豪の野ネコ200万匹毒殺処分の真相

当ブログは時事ネタを扱うものではありません。

しかし今回は何日も頭から離れない件があるので書きます。

あらかじめお断りしておくと私はネコが好きです。大の猫好きです。

現在の2代目の茶トラ含めて20年以上ネコと同居していますが、イエネコのみならずライオン、ヒョウ、トラ、ピューマからイリオモテヤマネコツシマヤマネコに到るまで、ネコ科に所属する全ての動物に思い入れがあります。

ちなみに犬はじめ他の哺乳類も好きですが思い入れの度合いに差があります。

ネコ嫌い、猫好き嫌いの方はさっとスルーしていただければありがたいです。

さて、きっかけは10日ほど前のYahooのニュースでした。

「オーストラリア政府が200万匹の野ネコの毒殺処分を承認」

確かそんな名前のついた記事でした。

その時は全文を読む気になれませんでしたが、オーストラリアの在来生物を保護するため外来生物である野ネコを2020年までに200万匹駆除する、その目的でカンガルーの肉のソーセージに毒を入れて飛行機でばらまくことを政府が承認したということだけは分かり、非常に嫌な気分になりました。

私も年間膨大な数のネコや犬が日本国内の保健所で殺処分されていることは認識していますし、奄美大島世界遺産にするべく3000匹のネコを殺す計画があることも知っています。

それぞれ憤りの対象ですが、オーストラリアの話の何がとくに衝撃的かと言えばその殺処分対象数の大きさもさることながら「毒殺」という凄惨な方法を用いるという点です。

そもそも好物に毒を入れて殺す、という方法は甚だ卑怯に思えます。(ちなみに自分は蟻を殺すのも毒殺は避けたいので極めて原始的な「つぶす」という手段に訴えます。自分の身に置き換えて、上から何かが降ってきて潰される方が、毒殺されるよりましだからです。)

お腹が空いている時に藪で見つけた美味しそうなソーセージが毒入りとか手段が極めて悪質です。

しかも母ネコは大体食べ物がある時、まず仔猫に食べさせる。
自分の大切な仔猫に毒とは知らず食べさせる母ネコ、悲しすぎます。

何日も頭を離れなかったため、仕方なく英文記事で詳しい情報を検索してみました。
分かったことは以下の通りです。

オーストラリアでは野ネコ(Feral Cats)が過去200年の間に増え続け、現在全土に200万匹から600万匹生息している。

野ネコは人間社会と関わらずに生きるネコで性格も行動もイエネコとは違う(と言っても捕まった檻の中の野ネコの写真を見ると我が家の猫が獲物を狙った時の顔にやや似ています)。

もとはオーストラリアに移住した人間が持ち込んだ飼い猫が野生化したのとともに、ネズミ駆除の為に意図的にネコを野に放していたという側面もある。

数が増えるにつれ、オーストラリアの在来生物である哺乳類、鳥類、爬虫類、昆虫が彼らの捕食のターゲットになり始めた。

これまで捕食者がいなかった生物は簡単に、狩猟に長けた野ネコの餌食となった。すでに20種以上の哺乳類が野ネコの捕食によって絶滅し、さらに一部のマーモットや黒足ロック・ワラビーを含め124種の生物が絶滅の危機にある。

危機感を持った豪政府は当初は野ネコの「捕獲・避妊・解放」という穏便な手段で個体数を減らす方法を試みたが、爆発的な繁殖力には到底追いつかず、一方では莫大なコストがかかった

殺処分によって生態系から野ネコを削除しようという動きは2014年ごろから本格化した。当初、フランス女優のブリジット・バルドーを始めとする動物保護活動家が猛然と抗議している。

捕獲・安楽死という方法がとられていたが、やがて銃殺、野ネコを殺した者に懸賞金を払うまでにエスカレート、それでも数百万を超えさらに増え続ける野ネコの数を減らすことができない。

それで今回の毒ばらまきという手段が政府公認プロジェクトとして発足する。

カンガルーの肉に鶏の脂肪分を混ぜたソーセージに毒薬を混ぜ小型飛行機(あるいはヘリ)で野ネコが生息する藪を中心に投下する。

ここで私は今回使われるCuriosity Bait (PAPPとも言われる)という名の毒薬について知りました。

近年440万ドル(5億円近く)かけtて開発された毒で、今までの毒薬でより人道的(humane)に」苦痛なく死なせることができるといいます。

毒を摂取した動物は、血液の中の酸素の流れが減少し数時間で極度の疲労感、眠気に襲われ身動きが取れなくなり、運が良ければそのまま眠るように死に至る

運が悪ければ意識があるまま体を動かせずに数時間倒れたままという状況になる。

少なくとも、長時間のたうちまわって血反吐を吐きながら絶命するという凄惨さではないようです。

が、運が悪ければ意識があるまま動きが静止し他の捕食者(鳥やディンゴ、他の野ネコなど)に食べられてしまう。

仔猫が隣で食べられていても、自分の体の自由も失った母ネコには助けることができない。

なお実験では苦しむこともなく死に至った野ネコの例複数が実験者によって記録されていますが、ある獣医によればそれでも従来型の毒と同様に苦しみを伴うというデータもあります(願わくば獣医のデータが古いものでそれ以降に改良されてより安楽型になっていることを願います)

正直「オーストラリアを代表する在来の生物を守るため」という政府の見解には疑問を感じます。

なぜ外来種を駆逐してまで在来種を守らなくてはならないのか。

家畜への被害など何らかの経済的な損失があるのか。

要は在来種の生物か野ネコのどちらを取るかで、人間様が前者を選択したということなのか?

フクロオオカミの絶滅を許しておきながら今更「外来種」だからと野ネコの大量殺戮。

外来とは言え、そもそも持ち込んだのは移住した白人。

その白人自体が先住民族アボリジニを迫害してきた最大の外来種という矛盾。

また豪政府は「野ネコとの戦争」と銘打って人間が野ネコと互角なはずがないのに、一方的な大量殺戮をまるで聖戦のように正当化しているのも気に入りません。

実験室で死なせた(安楽死)野ネコも前と後ろの脚で掴んで吊るしたポーズで実験者がスマイルを浮かべた写真をアップしており、元はと言えば間の都合で増え続け、殺される不運に陥った生物に対するリスペクトが全くない。

これは感情論になるのでこの辺にしておきましょう。

さてまとめてみると

  • オーストラリアの野ネコは数百万匹で、その繁殖力により在来種の生物が絶滅の危機に晒されている。
  • これまで政府は避妊や捕獲・安楽死などの手段を講じてきたが時間とコストにより野ネコの被害の拡大に追いつくことができなかった。
  • 今回毒を入れた食べ物をばらまくことで、2020年までに200万匹の殺処分を目指している。
  • 使う毒はできるだけ苦痛を与えない「人道的な」殺し方をするという目的で開発されたPAPPという毒薬である。

元はといえば広い土地だからと放し飼いにしたり、後先考えずネズミ退治のために放したりしたオーストラリア人に対しては怒りしかありませんが、それでもできるだけ苦痛を与えない方向で努力をしていないわけではないということは分かりました。

 

人間様の身勝手で死んでいく野ネコたちが、PAPPとやらの狙い通りに苦しまず、眠るようにあの世に行くことを祈るしかありません。

 

キャラバンの『夜ごと太る女のために』

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キャラバン『ピンクとグレー』が良かったけど、次に何を聞けばいい?」と周りのロック好きに聞いたところ、二人からお勧めとして挙がったのが『夜ごと太る女のために』でした。

 

『To Girls Who Grow Plump in the Night』(原題は「女」というより「娘たち」ですが)は1973年の作品。

このアルバム制作の前にマッチング・モールに行っていたデイヴ・シンクレアの代わりに一時入っていたキーボードのティーヴ・ミラーが脱け、さらにベースとメインヴォーカルを担当していたリチャード・シンクレアパイ・ヘイスティングスと音楽の方向性で対立して辞めています。

 

アルバム参加メンバーはパイ・ヘイスティングス(g、v)、リチャード・コフラン(d、percussion)、ジョン・ペリー(b、v)、ピーター・ジェフリー・リチャードソン(viola)、そして戻ってきたデイヴ・シンクレア(kb)です。

モリー・レイン・ヒュー/ヘッドロス(Memory Lain, Hugh/Headloss)

このアルバムからシングル・カットした曲はないようですが、第1曲目はかりにシングル化しても売れたであろうポップス調のノリのいい曲。

ギター・リフの後のドスドスというベース音は、トーキングヘッズサイコキラーのベースを思わせる心地よさ。

やがてヴォーカルとヴィオラが同時に入ってくる。

ヴィオラが正式メンバーってどうなの?という疑念を吹き飛ばす絶妙なフィット感で、第2のヴォーカルというか、それを超えるというか。

中盤のベースの高音部も好きだが、何と言っても中盤以降の聞きどころはパイの兄ジミー・ヘイスティングスフルート・ソロ。心を洗われるような美しさです。

ヴォーカルのハモリも綺麗だし、ギターとキーボードの掛け合いも楽しい。
サックス、コンガなど聴くたびに新たな発見があり毎回堪能できる楽しく面白い曲です。

 

2曲目の『ホーダウン(Hoedown)』はコンガのリズムも軽やかにアップテンポのヴォーカルがハモリながら進行していくフォークロック調の曲。
途中からヴィオラがカントリー風のフィドリングをやっているのが面白い。


3曲目「サプライズ・サプライズ」は意のままにならないもどかしい恋を歌った曲ですが、レゲエ風のリズムに甘いメロディ。

パイの甘いヴォーカルも悪くないのですが、これはリチャード・シンクレアの声でやってほしかった。
それにしても何と洒脱なベースでしょう。
ジョン・ペリー、センスがいいなー。

後半ヴィオラの存在感ありですが、ピアノも効いています。

4曲目「C’Thlu Thlu (シースルー・スルー)」。

ラヴクロフト怪奇小説に出てくるモンスターから題名を取っており、歌詞も何やらおぞましい存在から必死で逃げている悪夢のような内容です。

シンセサイザーが、森の中を飛び交っている人魂(ひとだま)を思わせる背筋の凍るような音を出しています。

ダークで重いパートとアップテンポのハードロックが交互に現れる構成で、終盤近くでデイヴ・シンクレアの絶妙なオルガン・ソロにたどり着きます。

「ドッグ・ドッグ(The Dog, the Dog, He's at It Again)」

1曲目の「メモリー・レイン」と並んで人気のある曲です。

この曲の魅力は、これぞキャラバンというデイヴ・シンクレアシンセサイザーの妙技の凄さを見せる中間部分と、それをサンドイッチのように挟むメロディアスなソフトロック調の部分でしょう。

「ねえ、あんただってこの世が罪にまみれてるなんて本気で信じちゃいないだろ。
でなきゃここに来てやしないもんなあ。(この程度のことを罪だと思うほど、世間知らずじゃないんだろ)」

という色事師(わる)が誘惑しているような、デカダンスの匂いがする歌詞ですがパイはあくまでも淡々とソフトに歌っています。ジョン・ペリーとのハモも実に綺麗。

ヴィオラが彩りを添えています。

中間のデイヴのソロ部分は何度聞いても飽きません。
デイヴのシンセサイザーも凄いけど、ベースも凄いし、ヴィオラも。
全員が神がかった演奏です。

貼付したBBCのプロモ・テープでは聞かれないのですが、後半で複数のヴォーカル・パートがどんどん重なっていく部分に引き込まれて中毒になりそうな魅力があります。

プロモではオルガンを弾くデイヴの手さばき、一見の価値があります。

聴き終わって、これはすごいなとため息が出る曲です。

 


Caravan - The Dog, The Dog, He's At It Again [1973] (Promotional Film)


6曲目の「Be Alright」はプロペラ飛行機の飛来音で始まるハードロックで、ベーシストのジョン・ペリーがヴォーカルを担当。ギターのソロがいい。


続いて演奏される「Chance of a Lifetime」はアンニュイな曲でパイのヴォーカル。ヴィオラのソロが注目です。

「イノシシの館~狩へ行こう~ペンゴラ~バックワース~狩へ行こう」
(L’Auberge du Sanglier/A Hunting We Shall go/ Pengola/ Backwards/Hunting We Shall Go(reprise)」

最後の目玉はインストゥルメンタル曲。

このアルバムで最もプログレらしい曲です。

「イノシシの館」アコースティック・ギターヴィオラシンセサイザーで出しているらしいストリングスの音がかぶさって異国情緒の入ったブリティシュ・フォーク。

爆音とともにハードロックの「狩へ行こう」に変わり、ペンゴラ」に入ってからはオルガン・ソロ、ベース・ソロ、ギター・ソロ、ヴィオラ・ソロと次から次へ聞きどころが入っていきます。ベースのソロ分で後ろでヴィオラトレモロをやっているのがいい感じです。

シンセサイザーとピアノで幻想的な旋律を奏でるバックワーズ」は、オーケストラが入って壮大な背景の中シンセサイザーのソロが入る。ここでもベースが実にいいセンスです

 


Caravan - 07 - L'Auberge Du Sanglier / A Hunting We Shall Go / Pengola / Backwards / A Hunting....

 

5曲入っているボーナス・トラックの中で好きなのは「Delek's Long Thing」という最後の曲で、ピアノにベース、さらにシンセサイザーとドラムが入っていく冒頭部分、ジャズに入ってファズの効いたオルガンが冴える中盤、終盤のオルガンソロまで11分と名前通りに長いけれどいい曲です。

 

ジャズ系の音楽を指向していたリチャード・シンクレアと別れ、広範囲に売れる曲を目指したパイ・ヘイスティングスのキャラバンはデイヴ・シンクレアの出戻りとリチャードソンヴィオラとの出会いが功を奏したと言えるでしょう。

個人的な好みを言えば、もう少しジャズがかっても良かった気もします。

 

 

PPM のピーター・ヤーロウの隠れた名盤はカリブ・テイストが満載

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今回取り上げるのはロック名盤というブログのテーマからやや外れますが、個人的に懐かしい名盤、ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow) のソロ・アルバムです。

今時の若い方でPPMを聞かれる方は少ないかもしれませんが、「パフ」風に吹かれて」「花はどこに行った」など多数のヒットで知られるフォーク・トリオのPeter Paul & Mary (PPMは日本でも60年代に絶大な人気を誇りました。

私よりも少し上の年代が主なファン層でした。

1973年リリースのピーター・ヤーロウのソロ盤も学生時代の知人、というか先輩に聞かせてもらったアルバムでした。


プリミティブなイラストのジャケットが時代を感じさせます。

アマゾンで中古LPを見つけて懐かしく思い購入したのは割と最近で、わざわざこのLP目的で当時持っていなかったターンテーブルを購入しました。

今だにCDも出ていないようなので「隠れた」と言って間違いない筈ですが、最近までなかったウェブの音源が出てきていてYoutubeにも2曲アップされていたのには驚きました。

PPMはフォーク・トリオですがこのアルバムはフォークというより、ポップス+レゲエの曲が中心になっていて、録音もNY、ロンドン、ジャマイカのスタジオで行われています。

今あらためて聴いて見ると、ピーターの、というよりバックを務めるスタジオ・ミュージシャン達のクオリティの高さが印象的です。

一曲目の表題作「That's Enough for Me」ポール・ウィリアムズの曲。

これほど美しいラヴ・ソングはそう多くはないでしょう。

ウィリアムズはギターで弾き語っていますが、こちらはアコギ、ベース、ピアノで始まり途中からストリングスが入ります。

「もし君が幸せのあまり泣いてくれたら、もし抱きしめるだけで君の瞳を喜びで満たすことができたら、それだけで僕は十分なんだよ。それだけで僕は十分ヒーローなんだ」という歌詞を、ヤーロウは顔に似合わない美声で歌っています。

いつ聴いてもいい歌ですが、惜しむらくはストリングスがいかにも70年代、という時代を感じさせます。

 


That's Enough For Me - Peter Yarrow

 

「Isn’t That So」ジェシー・ウィンチェスター作で、カントリー・ブルース風の曲です。

ベース、パーカッション、ギターで途中からマウス・ハープが入っている。

ベースの動きがしゃれています。

 

Isn't That so


peter yarrow - isn't that so


3曲目の「The Morning After」はLPの盤面には「Love's Way」という名前で載っています。
ピアノのイントロで始まる綺麗なラヴ・ソングです。

この曲は確かコピーした記憶がありますが、途中のベースの高音部がすごくかっこいい。

4曲目はポール・サイモン作でポール・サイモン自身がプロデュースで参加した「グラウンド・ホッグ」が入っています。

のったりとしたメロディのほのぼの感のある曲ですが、歌詞は人生の悲哀を感じさせます。

マウス・ハープがいい味出していますが、マンドリンの音が微かすぎてもうちょっと全面に出て欲しかった。

楽器のクレジットにムーグが入っているのですが、どこでムーグが使われていたのか最後まで不明です。

グラウンド・ホッグ(ジリスまたは北米産マーモット)

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Side 2の「Harder they Come」ジミー・クリフによるレゲエの名曲。

リズムの歯切れの良さとストリングのコンビネーションが面白い。

Side 1の最後の「Wayfaring Stranger」もそうなのですが、ヤーロウ本人よりバックに入っているジャマイカのシンガーのこなれ感が凄い。

Side2の3曲目「Just One Pass」はヤーロウ自身の作ですが、カリブ風のノリのある楽しい曲。

ここでもバックのコーラスがメイン・ヴォーカルを食っています。

というかヤーロウの声がレゲエを歌うにはストレートな美声なので、名脇役のジャマイカン・シンガーの個性が生きているという印象です。

 

上記以外にもいい曲が揃っていて、PPMが好きな方は多分持っていると思いますが、特にPPMが好きでなくてもフォークが好きでなくてもお勧めです。

 

しかし、中古のLPというのはやはり中古だけのことはあります。

まず「Harder They Come」や「That's Enough for Me」の途中でビンビン針が飛びまくります。古いビニール盤は針が飛ぶ、というのを久しぶりに思い出しました。

さらに、なぜかジャケットに書いてある曲名がレコード盤に載っている曲名(収録されている曲名)と違うのが2−3曲あるし、ジャケットには記載されているジミークリフの1曲がなぜか収録されていない(脱力)。何で?

ELP の『恐怖の頭脳改革』(Brain Salad Surgery)

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久々にELPです。

 

『恐怖の頭脳改革』エマーソン・レイク&パーマーELPの4枚目のスタジオ録音で1973年のリリース。

このトリオの最盛期の最後を飾るアルバムと言われます。

私はこのアルバム収録の「聖地エルサレム」のおかげで大学の卒論にウィリアム・ブレイクを選んだレベルのミーハーですが、このアルバムを聴くのは久しぶりです。

ちなみにジャケットは、見る角度によって頭蓋骨になったり目を伏せた女性(画家の妻)の肖像になったりする作りになっていますが、当初はもっと露骨に卑猥なデザインだったのがレコード会社に却下されたためエアブラシで修正したとか。

『聖地エルサレム』(Jerusalem)

もともと讃美歌で英国では「第二の国歌」と言われるほど浸透している曲です。
作詩は前述のウィリアム・ブレイクで、『Milton(ミルトン)』という詩集に収録されています。(ちなみに神秘思想家の詩人・画家であるブレイクは大半の詩が歯が立たないほど難解で卒論のテーマとしては無謀でした)

教会のパイプ・オルガンを思わせる仰々しい響き、最初はオルガンだと思っていたら、ムーグ社のアポロ・ポリフォニック・シンセサイザーで、和音を奏でるシンセサイザーが使われたのは世界でこの曲が初めてらしい。

聴いている方が気後れするぐらい仰々しい響きによく合うパーマーのドラム・ロール。
グレッグ・レイクの神々しさすら感じさせるヴォーカル。
さらに敬虔な気持ちを誘う鐘の音。
後半の渦巻くようなキーボード。

讃美歌隊の子供たちが歌う「聖地エルサレム」もイギリスらしくて可愛いのだけど、「燃える黄金の弓を持ってこい、渇望の矢を持ってこい。槍を、炎の戦車を。私は戦いをやめない。この緑の美しいイングランドの地に聖地エルサレムが築かれるまでは」という迫力のある歌詞にはELPヴァージョンがぴったりに思います。

1曲目を聞いてすぐに「ああ、やっぱりELP好きだ」と思います。

ちなみにBBCが神聖な曲を茶化している、という理由で放送しなかったためもあり、シングル・カットされたにも関わらずチャート・インは果たせなかったらしい。

 

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トッカータ(Toccata)』

プログレの、特にELPの曲の楽しみの一つにクラシックの楽曲のアレンジがあリます。

展覧会の絵はもちろん、『市民のためのファンファーレ』、そしてプロコフィエフ『スキタイ組曲ー邪神チェボークと魔界の悪鬼の踊り』

この「トッカータ」はアルゼンチンの作曲家アルベルト・ジナステラ(ヒナステラピアノ協奏曲第一番第4楽章からのアレンジで、Youtubeを見るとフルスケールのオーケストラをバックにしたピアノの演奏が聞かれます。

が、そのコメント欄を見るとELPの方が断然いい」「ELPのバージョンの圧勝」といった各国語のコメントで埋め尽くされているのが笑えます。

アルバム収録の許可を得るためジナステラ本人の元を訪れたエマーソンの前で彼は唖然として、「なんと悪魔的な」と言ったそうです。


もうダメかと思ったエマーソンに、彼は「これほどこの曲の本質を捉えた演奏は初めてだ!」と絶賛しその場で許可を与えたと言います。


原曲自体が嵐の中を駆けずり回っているような曲ですが、ELP版はさらに嵐の中で魔物がビュンビュンと飛びかかってくるような暗さがあり、まさに悪魔的でエキサイティングなバージョンです。

聴きどころは中盤のカール・パーマーのドラム・ソロでしょう。
ゴングの効果も嵐の中で教会の鐘がなっているようなベルの効果も生かされています。

この曲では工学部学生の助けを借りて「ドラム・シンセサイザーなるものが初めて演奏されています。

ドラム内部に取り付けたマイクから信号をシンセサイザーに音を送って変形させるもので、「この曲で誰もがキーボードと思っているバックの音がドラムで演奏されている」とはエマーソンの言。

ドラム・ソロのバックのグアアン、ゴーゴーと風が唸っているような音。そのあとのウワー、グワーと沼の底から邪気が浮いてくるような音もドラムなのでしょうか。

ドラムに限らず、キーボードもベースも非常に面白いアレンジ、文句ない迫力で、ジナステラさんが高く評価されるのも無理はない、と言う印象です。

この曲に続いて、グレッグ・レイク「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」キース・エマーソン「用心棒ベニー」が収録されています。

グレッグは弾き語りのメロウな曲も得意ですが、メンバー全員による密度の高い曲とのバランスのために入れている、と言っています。

シングルのB面あたりに入りそうな耳障りのいい美しい曲ですが、カールが参加していない、またELPの代表として出す作風ではないから、と言う理由でシングル・カットされていません。


悪の教典 9(Karn Evil 9)』

貴志祐介さんの小説のような邦題ですね。

原題は色々変遷した結果、曲を聞いたピート・シンフィールドが「まるでカーニヴァルだな」とコメントし、「カーン・イヴル=カーニヴァルという言葉遊びでつけたらしい。

キング・クリムゾンに詩人として参加したシンフィールドは、このアルバムでも「用心棒ベニー」と「悪の教典(第3印象)」の作詞に貢献しています。

3部編成で第1部は2パートに分かれておりLP盤では表裏にまたがっています。

全編がエマーソンの作曲によるもので、彼の圧倒的な創造力と構成力に驚嘆すると同時にベース、ドラム、パーカッションで肉付けを行なってELPの音にしていく他2名の作業にも感服します。

Youtubeにアップされている貴重なリハーサルの映像ではエマーソンレイクパーマーに注文を出していて、二人が協力している様子が伺えます。

最盛期の彼らの舞台裏が覗ける面白い映像ですが、インタビューなどを見ると3人のエゴがぶつかり合うことも多かったようです。

 


Emerson Lake & Palmer rehearsing Karn Evil 9


第1印象パート1では、エマーソンが終始オルガンとシンセサイザーを同時に弾いていて、その速いスピードにベースとドラム、ヴォーカルがぴたりとはまって走っていく快感があります

まさにELPの王道の音、という印象のパートです。

ところどころのソロ、オルガンが奏でるメロディーの美しさも特筆に値します。

 

パート2は 起承転結の承にあたり、歌詞は前パートで勧誘していた支離滅裂な見世物にここでも再び勧誘しており、演奏も前パートのモチーフが繰り返されたり、最終パートに繋がるようなモチーフが出てきたりします。

このパートの半ばのジャズ色の濃い部で分のオルガンとムーグのソロが印象的。
映像で見ると体の両側に置いた右手でオルガンと左手でムーグを操っており、そういえばキース・エマーソンってこういうポーズで弾いていたなと妙に懐かしい。実物を見た訳ではないのですが。

第2印象インストゥルメンタルでジャズ・ピアノにパーカッションが入る前半、ピアノ、シンセサイザー、ベース、パーカッション、ドラムで前衛音楽を思わせる後半で構成されています。インプロヴィゼージョンでやっている部分が多いのではないかと思います。

第3印象では大団円ともいうべき勝利の歌をグレッグ・レイクが高らかに歌っています。

ピート・シンフィールドの詩は暗喩的で何に勝ったのかは判然としませんが、ここでコンピュータが敵対者であるかのように登場するのが面白い。人間の創造物の支配からの人間の解放を歌っているのでしょうか。

アルバムの冒頭の「聖地エルサレムでブレイクが書いた「(産業革命による)暗くて悪魔的な工場群」に聖地エルサレムを築くため戦うのだ、というフレーズに対応するかのように「喜べ、勝利は我らが手にある。若者の死は報われた」という歌詞が出てきています。

しかし、おそらく勝ったというのは甘い錯覚なのでしょう。

コンピュータ音声に加工した「私はお前自身だ(I am Yourself) 」という歌詞、曲の最後に残る行ったり来たりする電子音が皮肉な効果をあげています。

ちなみに「誰も崩れるなどど思ってもいなかった壁が塵と化す」という歌詞、このアルバム制作から16年も後のベルリンの壁の崩壊を予言しているとしか思えません。

第3印象は曲のメロディーも素晴らしく、勝利のトランペットのように高らかに鳴り響くオルガンも、レイクのテノールの朗々とした美声も劇的な効果を盛り上げています。

 


Karn Evil 9 - Emerson, Lake & Palmer

 

Karn Evil 9全体を通して聴いてあらためて思うのは、エマーソンが作曲家として並々ならない才能を持っているということです。

しかしその一方で、表現する方法としては3人が担当する楽器しかない。
エレクトロニクスを駆使しても限界がある。

オーケストラを導入したツアーを始めたのも可能性を追求するためでした。

それが財政的な打撃となり、バンドは徐々に坂道を転がり落ちていく。

そしてロック史上未曾有のバンドが「Love Beach」という未曾有に陳腐な作品を出すに至ってELPの凋落は壊滅的なものになってしまいます。

しかし60年代終わりから70年代前半にELPという偉大なバンドが君臨したことは、自分にとっては奇跡としか思えないのです。
     
(ブログ始めたばかりの時に書いた「展覧会の絵」の記事もよかったら見てください。)

londonvixen.hateblo.jp

 

 

 

生活空間にふつうに銃が存在している国アメリカ

 

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今回は音楽と関係のない話です。

昨日郵便受けに入っていたスポーツ用品店のチラシを何気なく見ていたら、上の写真のような銃の宣伝が載っていました。

ショットガンライフルと並んで、ピストル銃弾300個入りのプラスチックのバレルまで安売りの赤い数字が人目を引きます。

アメリカに長く住んでいて、何をいまさらという感もありますが、やはりこうお手軽に書かれると違和感を覚えます。

アメリカでは銃が簡単に手に入る、というのはよく知られている通りです。

私自身、拳銃を手にしたことも撃ったこともあります。

留学生として渡米して間もない頃、「実弾を撃たせてもらえる場所がある」という在米日本人の「大人」がいて、「何でも経験」と思った私は興味本位で数人の同級生たちについて行ったのです。

刑事モノの射撃訓練シーンに出てくるような耳のプロテクションを付けて、ダーツの的のようなボードや人間を模した動く標的を撃ちました。

視力と反射神経が多少良かったのか、かなり命中率が高く、本気で訓練を受けたら昔の刑事ドラマの田中美奈子(古!)のようになれたかもしれません(笑)。

当時住んでいた学生寮フィラデルフィアの中でもマズい地域で、夜中に銃声が聞こえることもしばしば。よく出入りした近くのマクドナルドでは2度殺人事件があったと学生仲間で噂になっていたものです(寮自体は学内のバスが行き来していて安全でした)。

それでも当時は、いわゆるその筋の例えば麻薬の売人が金銭のもつれで、ということはあっても普通に生活している人間には直接関係ないと思っていました。

危ない場所を避ければ大丈夫。

アメリカの都市の場合、大体はそれで生き延びられるのですが‥。

無辜の一般市民を標的にした銃撃事件が次から次へと起こります。

昔ではロングアイランド鉄道で人種差別への恨みから通勤客を殺戮した乱射事件。
ヴァージニア工科大の、そしてコネチカットの小学校の無差別乱射。
このブログを書いている現在も先週LAで起こった乱射事件がニュースになっています。

乱射ではないけれど、「フリーズ!」という言葉が分からずに動いたためにハロウィンの夜に殺された日本人高校生。

危ない場所に行かなくてもいつ被害に見舞われないとも限りません。

 

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街角でぶつかった相手が、車でクラクションを鳴らした相手が、沸点の低い人で虫の居所が悪かったら。

電車の中で周りの人が喧嘩を始めて巻き添いになったら。

会社の人間とそんな話をしていたら「アメリカでは一家族に1台、拳銃はあるのが当たり前」という。

おそらく西部開拓時代からの「自分の命は自分で守らなければ」という考えが行き着いた先が銃社会アメリカということなのでしょう。

鹿が作物を荒らしたら、コヨーテやピューマが家畜を狙ってきたらライフルで撃つしかない。

強盗が家に侵入したら銃で撃つしかない。

銃規制が何度も話題になりながら、普通のアメリカ人が普通に銃を買う。
会社で一緒に仕事をしている人間が家に帰れば机の引き出しにふつうにピストルがある生活をしている。

銃を持って襲ってくる相手に対抗するには自分が銃で武装する。
国同士だと相手が核ミサイルで襲ってくるかもしれないから、自国も核ミサイルで武装するという発想ですね。

 

ロビー活動云々以前に、当たり前に売られている銃を当たり前に買う人間がいる以上、アメリカから銃がなくなることは残念だけどあり得そうもないのです。

でもね、でも。スポーツ用品のチラシの、卓球台やスニーカーの横に、本来人殺しの道具であるはずの拳銃が普通に載っているのは違和感あるじゃないですか

そう言ったら

スポーツ洋品店なんだよ、銃を買うのは。銃専門店が減ってきているから」
という返事が返ってきました。

嗚呼。