ロンドンVixen 60年代ー70年代のロックを聴く

60年代後半から70年代の黄金期を中心にロック名盤・名曲を聴く(時々乱読)

シド・バレットは天才なのか?

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今晩は。ヴァーチャル・パブ倫敦きつね亭です。

 

コアなピンク・フロイドのファンで一枚目『The Piper at the Gates of Dawn(夜明けの口笛吹き)』が一番好きだという人を何人か知っています。
彼らはシド・バレットこそ不世出の天才、と口をそろえます。

 

破滅型の天才 ー かつて私がシド・バレットに抱いていたイメージです。

当時の録画を見ると大きな瞳の魅力的な表情でカリスマ性が古い画像でも伝わってくるものの、どこか危うさを感じさせる人物。


彼が2006年(わりと最近)60歳で糖尿病と膵臓癌を併発して亡くなったと聞いたときは少々驚きました。
当時のエピソードを聞く限り、70年代には廃人、死というコースを辿るかと思っていたので。
実際は精神科の治療を受けながら、母親の家に隠遁して絵を書いたり美術史の原稿を書いていたようで、ピンク・フロイドとは縁のない生活を20年以上送りミュージシャンとして復帰する意思もなかったとか。

20代で詩作をきっぱりやめた詩人アルチュール・ランボーを思わせます。

 

収録セッション中に、いつものようにふらりと外に出たと思ったらイビザ島まで行ってしまっていた、

コンサート前にステージの袖でグッタリしているのでロジャー・ウォーターズが無理矢理ステージに押し出したら、ギターを首からさげたまま棒切れのように突っ立っていた、
といった数々の逸話。エゴでしかも行動がエキセントリックすぎて他メンバーと共同作業が不可能になり、結果的に追い出される形で2枚目の『神秘』作成途中にピンク・フロイドを去った男。

 

強いエゴ、芸術家としてのこだわりに加えてLSDの多用がエキセントリックな行動の要因になっていたのは間違いありません。

バレット自身はコンサートでは「LSDを使って演奏の限界というのを試してみる」と言っているので、アーティストとしての実験としてLSDが使われていたのでしょう。

今では考えられない事ですが、LSD(アシッド)がイギリス、アメリカで非合法ドラッグとされたのは1966年のこと。

それまでは危険性もさほど認識されていなかったのでしょうね。

翌1967年にピンク・フロイドが1枚目のアルバムを作った時点でミュージシャンの彼らにLSDが入手困難であったとは思いにくい。
それを考えるとLSD中毒ではあったが、一概にバレットが破滅型の性格だったため、と言うのは早計かもしれません。

 

では「天才」という評価についてはどうなのでしょうか。

 

今日はシド・バレットが中心になって作成した『夜明けの口笛吹き』を聴きたいと思います。 
1967年発表なのでちょうど半世紀前(!)のアルバムということになります。

ジン&トニックをお供にお付き合い下さい。

 

作詞家としての才能

シド・バレットはミドル・クラス出身で美大で絵画を選考しています。
当時のロック・ミュージシャンにワーキング・クラスの出身が多かった一方で、シド・バレットは子供のころからケネス・グレアムの『たのしい川べ』やトールキンの文学などに親しんでいたのでしょう。
『夜明けの口笛吹き』のタイトル、作品には知識のポケットの多さの片鱗を感じさせるものがあります。

 

アルバム・タイトルは、バレットが自身を『たのしい川べ』に登場するパン神になぞらえてつけたもの。(パン神が吹くのは口笛ではなくパンパイプという笛だと思いますが、『夜明けの笛吹き』ではカッコがつかないので口笛とした辺り、翻訳者さんも苦労しますね。)


「地の精(Gnome)」については、トールキンに出てくるホビットに似ています。

また「Chapter 24」の歌詞は易経書物から取った易学らしい。「6のステージで完成し7番目で元に戻る」などと言われても私には何のことやらさっぱり分かりませんが。

 

また絵画科の学生だったことを裏付けるようにバレットの詞には色彩が多く使われています。
「Astronomy Domine(天の支配)」にはライム色、澄んだ緑、青と青のせめぎ合い。
「Flaming(フレイミング)」 にはバターカップタンポポの黄色。
「地の精」が着ている明るい赤のチュニックに青緑色のフード。
Scarecrow(黒と緑のかかし)」は表題通りの黒と緑。
「バイク」では赤と黒の上着。
というようにビジュアル面の美学が伺われます。

 

しかし彼の「詞」が天性の才能を発露しているかというと、私には分かりません。


「チャプター24」を除いて、前世代の子供部屋の情景だったり、宇宙旅行だったり、ネコに声をかけていたり、自分の彼女に持ち物を説明していたり、とシュールな印象はあるものの非常に分かりやすい。


クリムゾンのような難解さがある訳ではない。もし単純明解な歌詞に何か深い意味があるとしても、凡人の私には分かりかねます。

 

作曲者としての才能

 

このアルバムはビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』と同年に、同じアビーロード・スタジオを使って製作されていて、1967年当時、『夜明けの口笛吹き』は『マジカル・ミステリー・ツアー』と肩を並べうる位置にいた、という意見がネットに散見されます。


もしビートルズシド・バレットに共通項があるとすれば、今までになかった曲作りをしているという点ではないでしょうか。

 

60年代の英米のミュージシャンの多くはR&Bの影響を強くうけていますよね。
ピンク・フロイドという名前もブルース・ミュージシャンのピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前を取って命名されたとか。

 

しかしフタを開けてみるとシドの音楽にはブルースを感じさせるところが全くといっていいくらいありません。

ジャズ、クラシック音楽の影響が強いのかといえばそうでもない。
敢えて言えば、多国籍に色々なものを取り入れて融合させることでオリジナリティを出しています。


例えば、『マチルダ・マザー』の間奏にはインドか中近東の音楽に使われそうな音階が使われているし、『黒と緑のカカシ』のイントロにいたっては、クロサワの『七人の侍』に使えるような田植え歌か馬子唄か何かを連想してしまうし。

冒頭の『天の支配』と『ルシファー・サム』は、聴いた事がない不思議な旋律。前者はとくにLSDのトリップ中に作曲したらしい。

 

シド・バレットはギターを弾きながら(あるいは鍵盤を叩いて)の作曲だけではなかったようで、ふらっと外に出かけたかと思うと、新しい『バイク』のメロディーを口ずさみながら戻って来た、という逸話も残っています。

そんなところも彼が天才であるという証なのでしょう。

 

結論

曲作りという点では後のプログレッシブ・ロック全盛期のほうが斬新性はあるのではないでしょうか。
シドの偉業、天才性は、あの時代にオリジナリティのある曲作りを一人で(LSDの助けを借りたにせよ)楽々とやり遂げていたことでしょう。


シド・バレットが亡くなったときデヴィッド・ボウイは「彼は自分にとってインスピレーションの源だった」と言っていますが、曲自体だけでなく全てオリジナルでイノベーティブなものを作りだす姿勢がボウイのインスピレーションをかき立てたに違いありません。

 

ピンク・フロイドの1枚目は「サイケデリック・ロック」という部類分けをされることが多いですが、今となってはサイケとかプログレとかの分類はあまり意味がないのではないでしょうか。


シドは自ら言ったとおりの、プログレ時代の夜明けを告げる笛吹き(パイパー)だったのだと思います。

 

蛇足ですが。。。シド・バレットを核にこのアルバムを聴きましたが、個人的にはピンク・フロイド全員で作った「Pow R. Toc H.」という曲も好きです。ジャングルの効果音に続くジャズのパートさらに「吹けよ風呼べよ嵐」を思わせるベースが。