ロンドンVixen 60年代ー70年代のロックを聴く

60年代後半から70年代の黄金期を中心にロック名盤・名曲を聴く(時々乱読)

世界で一番歌がうまい男ーフリーの『ハイウェイ』

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名盤を片端から聴くバーチャル・パブきつね亭の開店一夜目の名盤はフリーの『ハイウェイ』です。


なぜフリーかと言うと、それはもうフリーというバンドが好きだからとしか言えないのですが、ポール・ロジャーズ、ポール・コゾフ、アンディ・フレーザー、サイモン・カークには、よくこの4人で組んでくださった、と感謝したいぐらい絶妙な組み合わせで独特の世界観を造りだしています。

ポール・ロジャーズの歌の上手さは黄金期のロック・ミュージシャンの中でも突出していたのではないでしょうか。「歌を歌うためにうまれてきた男」という評価もよく目にしました。


異論を恐れずに言ってしまいましょう、古今存在したロック・シンガーの中でポール・ロジャーズはもっとも歌の上手いシンガーです。ブルースを歌わせてかれの右にでる人は居ません。女性ではジャニス・ジョプリン。 ポールRはフリー全盛期に20歳前後、ジャニスは27歳で夭折していますから、その若さと表現力を考えると天性の素質としか思えません。

昨年バッド・カンパニーのUKコンサートで久しぶりに生で聴く機会に恵まれました。66歳(当時)にして声の表現力、ハリも音域も衰えることがなく、ついでにルックスについては今ひとつモッサリしていた(明治カールのおじさん似というか)若い頃よりもシャキッとした男前になっていました。若いころに老け顔だった人は、逆に年取るとそれなりに格好がつくものですね。

今年2017年の春にはフリーの曲をやるコンサートをロンドンで開いたそうで、私は「コゾフもアンディもいないフリー?」とパスしたのですが、英国の友人は行ったそうで「バドカンの時よりさらにポールの歌の上手さが際立っていた」とのメールが来ました。

ポール・コゾフのギターは25年という短い人生を凝縮したようにあまりにも哀しく美しい、まさに「泣きのギター」と銘されるにふさわしいものでしたよね。Wikiによるとローリング・ストーン誌の「古今の最も偉大なギタリスト100名」に 名を連ねているとありますが、ベスト20人ぐらいは軽くいけるのではないかと。何をもって偉大というのかは不明ですが。 

フレット間をスライドしながら粋なフレーズを奏でるアンディ・フレーザー。フリーの曲は、実はアンディのベースラインだけに集中して聴いていても結構楽しめます。

サイモン・カークは中世ヨーロッパの石工を思わせる質実剛健かつ体育会系なドラミングで‥‥はい?名前からして石工といえばニック・メイソンですか?確かに。

 

お飲物のご注文をお聞きしておりませんでした。取りあえずのビールなんて仰有ってはいやですよ。フリーには薩摩の焼酎がお勧めです。これは意外にしっくり合います。

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さてこの『ハイウェイ』はフリーの4枚目、最後のスタジオ録音盤です。比較的地味な曲が多く、オールライト・ナウのようなメガヒットを飛ばしたフリーの経歴の中では目立たないアルバムですが、あらためて聴いてみるとしみじみとよい曲が多いのです。

 

1曲名、アルバム・タイトルの「ハイウェイ」。ギター、ドラムス、ホンキートンク・ピアノの素朴なバックに、イギリスの田舎の方を徒歩で旅している若者の一行の様子が浮かび上がります。道中、少々頭の弱そうな農家の娘さんにちょっかいを出して、怒り狂った親父さんに銃で脅されてしどろもどろになったりしていますが、まあ邪気のない牧歌的な登場人物たちです。

このイノセントな世界観の中で後半、垂れ込める暗雲を示唆するようにギターがもの悲しく哭いています。

フリーのメンバーはポールRを除いて全員がロンドン近郊生まれですが、同アルバムの「ライド・オン・ポニー」にもあるように田舎への憧憬のようなものが時々見られます。これはイギリス人に共通した感覚かも知れません。

 

2曲目。来ました。「スティーラー」です。私的にはフリーの代表作のように言われる「オールライト・ナウ」よりも、「3大ER」と勝手にこちらで名付けさせていただきました「THE STEALER」, 「THE HUNTER」, 「I'M A MOVER 」のほうがよりフリーらしい曲と思っております。 

この「スティーラー」はまず曲の歌詞ははっきりいって陳腐です。街の中心街に出かけていってナンパした女を相手に「俺はお前のハートを盗みに来た恋泥棒だぜ」などと粋がっているどうしようもない男の話です。この曲は何といってもベースとギターの圧勝と言えましょう。独特なギターのイントロに続き、アンディのベースがスライドしながら上へ上へと昇りながら、サイモンの渾身のドラミングと一体となって重厚な柱を形成して参ります。コゾフのレスポールは最初は柱に添う蔦のように、途中からは絹糸のように、女の髪のように柔らかく絡み付いていきます。男と女。剛と柔。鋼鉄と絹。この絶妙な絡み合いがもたらす音の快感をフリー的と言わずになんと言えましょうか。

次の「オン・ザ’・ウェイ」は打って変わってレイド・バックした曲調で、傍らを共に歩いてくれる大切な女性をようやく見つけたのであろう男が、「君は僕のものになってくれると言うけど、本当なんだね」と問いかけています。ほかの事はもうすべて後回しでいい、と。素朴ながら美しい小品です。が、この曲何だかロッド・スチュアートに歌わせたら妙に合いそうで、途中から勝手に脳内変換しておりました。別にロッドが好きなわけではありません。

4曲目の「Be My Friend」は数あるフリーの名曲のなかでも秀逸の一品と言えますでしょう。ポール・ロジャーズの凄まじいまでの歌唱力が愛を知った者の孤独と渇望を切々と訴えています。天性のシンガーの歌とはこういうものかと思い知らされます。

この曲はジャニス・ジョプリンのカバーでも結構行けそうです。ジャニスはこのアルバムが収録された1970年9月の翌月にはこの世を去りましたので、現世では実現しませんが。曲全体を通して流れるアンディのピアノも美しく、ポールKのギターの旋律と呼応しながら背景の模様を織りなしています。何度でも聴きたくなる曲です。

 

まだ夜は長うございます。お湯割りでもう一杯お作りしましょうか。

 

「Sunny Day」。このアルバムには失恋の曲が3曲入っていますが、そのひとつ。サニー・デイという明るい題名とは裏腹に、「晴れの日は消え去ってしまった」と歌っています。つまらない女に掴まったんでしょう。言う事は嘘ばっかりで、中身のない女、付き合う男に害しかもたらさない女だった、と言いながらまだ未練たっぷりで苦しい、助けてくれと言っています。勝手にしてくださいという感じです。

 

6曲目は「Ride On Pony ライド・オン・ポニー」懐かしい曲です。初めて聞いたフリーの曲がこのポニーでした。フリーの演奏ではなく、学生のコピーバンドの演奏で。当時は日本ではフリーはかなりメジャーでコピーしている学生バンドも多かったんですね。「お前は俺たちの関係がもう終わりだって言うけどマジじゃないよな。今ポニーに乗って夜道をそちらに向かっている。明日の朝にはそちらに着くからな。話はそれからだ」と大雑把にいうとそんな内容の歌です。ギター、ピアノ、ベース、ドラムスが同じフレーズを繰り返し刻み、真夜中の道にポニーの蹄の音が響いてくる様子が伺えます。

でも‥ポニーって、これですよね?

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大の男がまたがって100マイルも山道を下ってくるにはちょっと心もとなくありません?せめて普通のウマにして欲しかった‥。

 次の「I love you so」はPaul Rとサイモンのバドカン組の作です。別れ行く恋人たちの美しいバラードで、右のスピーカーから聞こえるコゾフのギターのフレーズが繊細で美しい。この曲も声質からいってロッド・ス‥‥しつこいですが特にロッド・スチュアートが好きな訳ではありません。なんというかポールRの声にはもっとゴテゴテのブルース曲のほうが向いている気がして。


ちなみにこの曲はコゾフの追悼フィルムで彼の子供時代から成長してトップに上り詰めるまでの映像のバックに流れて、何とも切ない雰囲気を出しておりました。

 

8曲目は「ボニー」。田舎の青年ボニーが街に出て来てガールフレンドが出来る。彼女によって世間というものを知ったボニーは少しずつ変わっていく。都会の女はそれでも抜け目がないのでちゃっかりとボニーの妻に納まる、という内容です。軽いタッチのメロディでフリーらしくない。この曲はいい動きをしているアンディのベースラインにご注目。

 

最後の曲は「Soon I will be gone」はまた重い別れの曲です。ピアノとギターを背景にしたボーカルがこの世の暗さをかき集めたような調子で始まり、ストリングス、ドラムス、ベースが入って徐々に絶望感を盛り上げていきます。この曲の聞き所はアンディの弾くピアノの美しい旋律で、さすがクラシックのピアニストとしてプロを目指していただけのことはあります。

 

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全体を通して聴いてみると前期のフリーのアルバムに比べてブルース色がかなり薄くなっている印象があります。それでいてバドカンのようなコマーシャリズムにも寄っていない。どこか微妙な所にとどまっていて、その微妙さが今ひとつ売り上げが伸びなかった理由なのかもしれません(私は好きですが)。

このアルバムが米国はもとよりイギリスでも思うような評価を受けなかったことはメンバーに少なくないショックを与えたようで、とくにポール・コゾフはこの頃からドラッグにのめりこむようになっていきます。
Wikiによれば彼は、オールライト・ナウのヒットにプレッシャーを感じていた一方、本当に好きなのはこのアルバムに収録されている「ビー・マイ・フレンド」のようなシリアスな曲だったとか。

このアルバム収録時には20歳になったばかりの、非凡な才能に恵まれたロック・ギタリストはそれから5年後あまりにも儚い人生を終えることになります。
アルバム・ジャケットの写真はまだ幼さを残す笑顔で、こんな童顔の青年がいちどきの名声からドラッグ中毒になって凋落していったなんて本当に可哀想で胸が痛みます。
バッド・カンパニーのShooting Starそのものの人生でしたね。

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コゾフの生家はハムステッド、墓所はゴルダーズグリーンとのこと。どちらもロンドン北部でかつて私が住んでいた場所からそう遠くない場所にあります。


次にロンドンに行く時はお墓参りに行ってみようかしら。

 

(冒頭および最後の写真はCDジャケットから引用)