ロンドンきつね亭 私的ライナー・ノーツ

60年代後半から70年代の黄金期のロック名盤・名曲をひたすら聴く

ようこそバーチャル・パブきつね亭へ

お小遣いを、あるいはバイト代を握りしめてレコード屋に走る。お目当てのLP
アルバムを手に入れて、家に走って帰り、ビニール盤に針を落とす瞬間のわくわくドキドキ。 私と同世代の方々なら、そんな経験を共有していただける方も多いのではないでしょうか。
時は流れ、今や音楽はダウンロードするものになりましたけれど、あの頃のわくドキ感はなかなか得がたい経験でしたよね。

 

ロックの原体験は子供の頃、家族に連れられていった大阪万博でした。やれアメリカ館の月の石だの、ソ連(!)館がいいだの言う両親を尻目に、私を釘付けにしたのは、カナダ館の前の会場で長髪を振り乱し大音量で演奏していたロックバンドでした。バンドの名前も知らず、子供ながらに「これは目茶苦茶カッコいい」と呟いたものです。今思えば、あれはカナダを代表するバンドGuess Who (ゲス・フー)だったに違いありません。


中学・高校時代は、もっぱら深夜放送でロックを聴きまくっておりました。(親は私が自室で遅くまで勉強をしていると信じていたのでしょう)このころがロック黄金期のピークともいえる時期で大物アーティストがどんどん来日していましたが、堅い家庭の高校生が自由にコンサートに行けるわけではありません。最初にいったのは高校を卒業した春に行ったムーディー・ブルースの武道館のコンサートでした。

 

大学に入ってからはバンドに入り、一気に世界が広がりました。女子校でしたので、周囲はハードなロックよりもフォーク系のファンが圧倒的に多く、他校の男子学生と組んでジェフ・ベック・グループのコピーなんぞをやったりしていました(あまりにも無謀というか、身の程知らずというか‥。)大学時代に最初に行ったのはバッド・カンパニーのコンサートでした。


つい最近、イギリスに暮らしていた際にはムーディー・ブルースとバドカンのコンサートに行く機会に恵まれました。まさにムーディーズとバドカンに始まり、ムーディーズとバドカンに終ると言うか。(まだ終ってはいませんが)

1987年に私のロック生活にちょっとした異変が起こりました。Bicentennial、アメリカ建国200年とそれにまつわるカルチャーとの接触です。当時のポパイやオリーブといった雑誌の影響もあったのでしょうか、学校にもシャンブレーのシャツにバンダナ、ターコイズの青いジュエリーを身につけたアメリカ西海岸ファッションの人々が現れ、イギリス一辺倒だった私もミーハーに「それ、カッコいい」と反応したのですね。それからEagles, CSN&Y、Loggins&Messinaあたりからさらに遡って、Poco、バッファロー・スプリングフィールド、なぜかNGDB (ニッティ・グリティ・ダート・バンド)辺りまで飛んでいきました。

ちょっと自分語りが長くなりました。
このたび、バーチャル・パブきつね亭を開店するに当たり、お店では当時愛した、いえ今でも愛する音楽をひとつひとつ丹念に聴いていきたいと思います。
当時、ビニール盤が擦り切れるほど聴いた音楽、せっかく買ったのに数曲しか聴かなかったアルバム、ジャケ買いしてほとんど聴かなかったLP(私の場合、Nicoとベルベット・アンダーグランドがそれでした。アンディ・ウォホールのバナナにやられました)など多々ありますが、ブリティッシュプログレ、米西海岸を中心に片端から聴いて参ります。


私と同世代の皆様がもしこのブログに立ち寄られましたら、ブリティッシュ系には生温いスタウトを、西海岸サウンドにはキリリと冷えたソノマの白ワインあたりをお供にお付き合いいただけたら嬉しいです。
もし若い方々が来られましたら、親父とオカン、もといジイジとバアバはこんな音楽を聴いてたんだーとこれを機に音源に接して頂けたらとても嬉しいです。

ではお出でを心よりお待ち申し上げております。

 

バーチャル・パブ ロンドンきつね亭
女主人 London Vixen