CSN&Y『デジャヴ』こそは西海岸ロックの最高峰
表題で言い切ってしまいましたが、まさに70年に発表されたこのアルバムこそ、60年から70年代の数多くのアメリカン・ロックの頂点を極めているのではないかと思います。
この『デジャヴ』、前回取り上げた『CSN』とライブの『4-Way Street』を聞いておけば、CSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)は一応押さえたと言えるでしょう。
「キャリー・オン(Carry On)」
この曲はスティーヴン・スティルスの作で例によって恋人との別れがテーマですが、「青い目のジュディ」もこの曲もリズムとメロディがからっとしているので悲壮感がありません。
ギターのソロ、ベース、中盤から入るキーボード全てスティルスが担当。
ギターもキーボードも実にいいです。
スティルスはナッシュとともにパーカッションでも入っていて、コンガのリズムが実に心地いい。
当時はオープニングが「阿波踊り」に似ていると言われていて、あらためて阿波踊りを聞いてみたら、何げに似てないこともありませんね。
ちなみにYouTubeにはステージのもアップされていましたがそちらはかなり酷い。
「ティーチ・ユア・チルドレン(Teach Your Children)」
この曲を嫌いな人がいたらお目にかかりたい、というぐらい好きな曲です。
胸を締め付けられるような切なく美しい歌詞。
ホリーズ時代にグラハム・ナッシュが作った曲とのことですが、その若さで親子のすれ違いの中にある愛を見事に形にしています。
美しく優しいハーモニー。
全体を通じて印象的なスティールギターはジェリー・ガルシアです。
学生時代に内輪でコンサートをやった時に最後の曲でお客さん含め全員で大合唱になった懐かしい思い出の曲でもあります。
この曲、当時の女子中学生の間で大ヒット(おそらく日本だけ)になった「小さな恋のメロディ(Melody)」という小学生の恋愛を描いたイギリス映画で、最後にトレーシー・ハイドとマーク・レスター演ずるカップルがトロッコに乗って草原の彼方に去っていくエンディング・テーマでも使われていました。
次の「オールモスト・カット・マイ・ヘアー(Almost Cut My Hair)」はデヴィッド・クロスビーの作。
地味ながら良い曲。
反体制のシンボルである長髪を切りそうになって思いとどまった、という歌です。
スティルスとヤングのギターが絡み合っていく絶妙さ。
グレッグ・リーヴスのベースもナイスです。
4曲めの「ヘルプレス(Helpless)」はニール・ヤングらしい曲です。
何がヘルプレスなのかは判然としませんが、「心の中ではまだ居場所を探している」と歌っているので故郷のカナダを離れてLAで音楽的成功を得た彼が、ここは自分の居場所ではない、と歌っているように思えます。 ちょうどダン・フォゲルバーグが故郷の「イリノイ」に語りかけているように。
「青い、青い窓、黄色の月が昇る。空を横切る大きな鳥の影」と歌われる北オンタリオの情景が美しい。
この曲に入って入るスティルスのギターもピアノも実にいい。
「ウッドストック(Woodstock)」
映画『ウッドストック』のオープニング、コンサート用の櫓を組み立てているシーンで流れていて印象深かった記憶があります。
作詞作曲はジョニ・ミッチェル。当時のナッシュの彼女ですね。
「僕らは星屑、僕らは黄金。僕らは数十億年前の炭素(ダイアモンドだよね?)」というリフレインや「ショットガンを搭載した爆撃機が、空を舞う蝶々に変わるのを夢想した」という歌詞に溢れていているオプティミズムに当時ウッドストックの集まった人々の空気を感じさせます。
イントロの特徴的なギター・リフはニール・ヤングでしょう。
途中のギターソロやナッシュのエレピも好き。
何度聞いても飽きない元気をもらえる曲です。
CROSBY, STILLS, NASH Woodstock 1971
6曲目の表題曲「デジャヴ(Deja Vu)」はクロスビーの作。
「僕らは前にここにいたことがある」というリフレイン。
クロスビーはインタビューに答え、自分は輪廻転生、あるいは生命のエネルギーの再生を信じていると語っています。
フランス語由来の「既視感」という単語に初めて出会ったのはこの曲でした。
このアルバムは全てハーモニーの美で構成されていますが、「デジャヴ」は特に難しいメロディのハーモニーが決まっています。
ギターもさることながら、この曲の聞きどころはスティルスのベース。中盤からのベースのソロ、一聴の価値ありです。
この指のポーズって、日本の中学生か?
アワ・ハウス(Our House)
グラハム・ナッシュが当時ジョニ・ミッチェルと一緒に暮らしていた家の歌です。
その日に買った花瓶に花を活け、庭にはミッチェルの2匹の猫。まったりと流れる時間。
人生は大変なことが多いけど、君といると癒される。
ピアノ、ベース、ドラムをバックにコーラスで歌われるとても優しくて可愛い小品です。
Crosby, Stills, Nash & Young - 07 - Our House (by EarpJohn)
8曲目の「4+20」はウッドストックのアルバムの中で触れましたので、ここでは割愛。
カントリー・ガール(Country Girl)
ニール・ヤングの曲。
実は個人的に4人の中でヤングの曲が一番苦手というか馴染めない(もちろんソロ・アルバムも持っていない)ので個人的にはあまり好みではないものの、この曲が一番好き!という人は多いのではないか。
というか、音楽好きには一番好まれるナンバーのような気がします。
メランコリックなメロディからドラマチックな展開、中盤から入るピアノ、後半のハーモニカが印象的です。
最後の曲「エヴリバディ・アイ・ラヴ・ユー(Everybody I love you)」はスティルスとヤングの合作で、ヤングを除く全員のコーラスによる力強いヴォーカルです。
リーヴスのベース、スティルスのギター・ソロ、リズム・ギターの歯切れの良さが好き。
まとめ
イーグルス、バーズ、バッファロー、ポコ、L&M等、西海岸を代表するミュージシャンは数多く、それぞれ好きなアルバムも有名な作品も数多いのですが、1枚決定打を選べと言われたらやはり『Deja Vu』に帰結してしまうような気がします。
四人囃子の1作目『一触即発』が面白すぎる
今を去ること30数年前、洋楽に没頭していた私に「四人囃子っていいよ」と言った知人がいまして、その時は「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」と「ブエンディア」をさらっと聞いて、「面白いね」と適当に話を合わせていた記憶があります。
今、『一触即発』をあらためて聴いて度肝を抜かれました。
これマジでめちゃくちゃ面白い。
当時一体何を聞いていたのでしょう。
1974年のメジャーデビュー1作目にして代表作このアルバム、収録曲は「hΛmǽbeΘ」「空と雲」「おまつり」「一触即発」と「ピンポン玉の嘆き」。CDバージョンには「空飛ぶ円盤」と「ブエンディア」がボーナストラックで入っています。(嬉しい紙ジャケ)
参加メンバーは森園勝敏(g、v)、中村真一(b)、岡井大二(d、pc)、坂下秀実(kb)石塚俊(コンガ)。ボーナストラックのベースは佐久間正英、Kbが茂木由多加。
歌詞は四人囃子の知人のコピーライター末松康生が担当しています。
「空と雲」
自分はこの曲が一番好きかもしれません。
「長く細い坂の途中に、お前の黄色いうちがあったよ」
「ともだちがくれた犬を連れてった」
「そのあたりには古いお寺が沢山あって」
という普通の日常を描いているようで、どこか異世界を垣間見てしまったような違和感。
末松康生のシュールな歌詞に合った絶妙なリズムとメロディなのか、はたまたリズムとメロディの不穏さがシュールな世界を増幅しているのか。
キーボードソロ、ギターソロ、いいです。
ベースも最高。
「おまつり」
ギターとベースの絡みが切ないほど美しいイントロに続いて、末松氏の描く異世界が展開します。
いつもお祭りがある町に行くとみんなが輪になって踊っているが、自分は人の足を踏んでうまく踊れない。歌を歌う番になっても歌詞を忘れて節だけ歌ったらみんなに殴られた。
お祭りのある町に行くといつも泣いてしまう。
ライナーノーツを書いている湯浅学氏は筒井康隆の「熊ノ木本線」を思い出すらしいです。自分的は恒川光太郎の描く夜市の世界を連想しました。
というか疲れている時に見る嫌な夢のようです。
森園さんのヴォーカルがいい。
上手いというかこの奇妙な異世界が脳内に映像を結ぶのに邪魔にならないというか。
ギターのソロも見事だし打楽器のキレも好きですが、この曲中村さんのベースの存在感が際立っています。
「みんなで一つずつ唄を歌うことになって」の部分の歪ませたヴォーカルのSE、さらに終盤のパーカッションとシンセサイザー、不思議な海鳴りと鳥の声。
聞きどころ満載の面白い曲です。
「一触即発」
タイトルナンバーだけあって圧巻です。
シンセサイザーのイントロに続いてハードロックのような冒頭部分。
ギターがビンビン唸っていると思ったらキーボードがいい感じに入ってくる。
ピンク・フロイドを思わせるトローンとした空気の中で例によって摩訶不思議な歌詞。
「ああ空が裂ける、音も立てずに」
後半は万華鏡のようにめまぐるしく転調そしてリズムチェンジ、「吹けよ風、呼べよ嵐」を連想させるリズムと飛ばしまくるギター。
次は何が出るのかと一瞬も気が抜けません。
これだけいろんな様子を組み合わせて12分間一瞬も惹きつけて離さない。
圧倒的な構成力にただ感嘆するのみです。
「空飛ぶ円盤に弟がのったよ」と「ブエンディア」
ボーナストラックとしてシングルでリリースされた2曲が入っています。
丘の上に弟と立っていると音もなく銀色の円盤が降りてくる。
「映画に出たことがない人は乗せてあげられない」と円盤(擬人化!)が「すまなそうに」いう。
弟は一度だけ映画に出たことがあるので円盤に乗る。
で「あとはススキが揺れるだけ」
って結局弟どうした?無事におろしてもらったのかというのは野暮というもの。
キレのいいリズム。心地いいギターソロに彩られた曲です。
「ブエンディア」はドラムの岡井氏の曲。
ハンコックの「カメレオン」を連想させる短いイントロに導かれメロトロンのバックミュージックが入ったあとエレピがイージーリスニングのようなメロディを奏でます。
これは30数年の時を経ても覚えていたメロディでした。
ベース、さらに時折入るギターもグッドです。
最後に
四人囃子は日本のピンク・フロイドと称されることもあったようですが、もし共通点があるとすれば独自の世界観を卓越した演奏で創造しているという点でしょうか。
英国プログレが西欧世界をバックに構築した独自世界なら、四人囃子の場合は「和」の異世界を創造している、という印象です。
『一触即発』では、作詞の末松氏と森園勝敏氏が織りなす日常の隙間に潜むパラレルワールドを堪能させてくれます。
個人的には中村真一氏のベースが推しです。ドラムもすごいけど。
まだ聞いてない方は是非、と声を大にして言いたいアルバムです。
こちら全曲です。
ノリノリのブギーはステイタス・クォーの『クォー』
先週はホラー小説のレビューをアップしたところ、閲覧数がいつもの5倍ぐらいに跳ね上がっていて我ながらびっくりしました。
洋楽と並行して英国ホラーのブログをやろうかと一瞬考えましたが、そんな時間があるはずもなくそちらは老後のお楽しみにとっておこうか、と(笑)。
さて今回はステイタス・クォーの7枚目のアルバム『クォー(Quo)』(1974)です。
『ブギに憑かれたロックン・ローラー』という何やらケッタイな邦題が付いています。
ステイタス・クォー(Status Quo)はロンドンのフォレストヒルズ出身のバンドで、かなりメンバーの変遷を経てきていますが、このアルバムではオリジナル・メンバーのフランシス・ロッシ(g、v)、アラン・ランカスター(b、v)および初期からのメンバーであるリック・パーフィット(g、v)、ジョン・コフラン(d)が参加。他にボブ・ヤングがハーモニカ、トム・パーカーがキーボードで参加しています。
ほとんど全曲がノリノリのブギやロックンロールですが、お勧めの曲は以下の通りです。
バックウォーター(Backwater)
独特のギター・リフのイントロにずっしりしたベースが入って2台のギターとベースのユニゾン。
メロディアスなパートからリズムが加速して正統派のロックンロールへ。
泥臭くどこか懐かしさを感じる曲です。
ハイウェイをふらふら歩いていたら女が家に入れてくれた。
当然「自分」は色々期待しているわけですが疲れと寒さで熱を出して寝込んでしまう。
医者が来て熱が下がった頃には女はどこかに消えてしまった、という冴えない歌詞です。
このバンド、CDだけ聴くよりも動きのあるステージに魅力のあるバンドです。
横にずらっと並んで3人が同じ手の動きで同じフレーズを弾いていたり、一つのマイクの周りに猫背になっていて集まっていたりするのに独特の趣があったり。
ただ残念なことにアップされているステージ動画はそれほど多くありません。
ブレイク・ザ・ルール (Break the Rule)
シングル・カットされて全英チャートの8位になった曲です。
シャッフルのノリのいい楽しい曲。
ホンキートンク・バーで知り合った娼婦のような女の家に連れて行かれ、翌朝目が覚めたら財布が空になっていた、という間抜けな男の話ですが、「誰だって時には羽目を外した方がいい」と笑い飛ばす陽気さがあります。
中盤のロッシのギター・ソロ、ホンキートンク・ピアノが入って来て、ハーモニカもいい感じです。
ロンリー・マン(Lonely Man)
アコギのイントロで始まるブリティッシュ・フォーク調の曲。
アルバム中唯一のメローな曲です。
ソフトなヴォーカルが美しく、後半に入るギターのソロ、ベースのフレーズも美しい。
浜辺で一人たたずむ孤独な人に語りかけ、何を探しているのか、友人が必要ではないのか、自分ではだめなのか、と問いかけています。
スロー・トレイン(Slow Train)
一曲の中に色々な要素が盛り込まれていて楽しめる曲です。
初めはアップビートのシャッフル。ここのギターの掛け合いが楽しい。
それから途中メロディアスな数小節が入りロックンロールへ。
ベースの動き、さらにロックンロール部分のベースの高音部も好きです。
後半にはアイルランドのリヴァーダンスを思わせるケルト民謡のようなパートが入る。
さらにドラムソロを経て再びアップビートのシャッフルへ。
家にいてウンザリしている若者が陽のあたる場所を目指して出て行く。
古いダコタ飛行機(ダグラス社のプロペラ機)に乗るお金もないので家畜用の遅い貨物車に乗って。
母さん、俺が出て行ってもオタオタしないでくれ。ここにいるより俺にとってはずっといいから、と母親に語りかけています。
終わりに、そしておまけ
中学時代にステイタス・クォーというラテン語由来の「現状」という語を知っていたのは、このバンドのおかげです。
今聞いてみると、英国のバンドというよりアメリカの、それも南部の泥臭い風合があるような気がします。アメリカのAmazon.comを見ていたら全く同じことをコメントに書いていた人がいて、やはり同じ印象を持つ人はいるものだと納得しました。
それでもブリティッシュ・フォーク調のLonely Man、スロートレインのケルティックなパートなどはやはりアメリカのバンドとは一味違いますね。
それにしてもこのジャケット、木からメンバーの顔が生えていてなかなかグロです。
ベースのランカスターなどは打ち首になった罪人のような表情です。
木になった頭といえばセンチメンタル・シティロマンスのこのジャケも構図はえらく似ていますが、こちらの方がだいぶ明るいですね。
書評:結構怖いブラックウッドの『The Willows』(邦題は不明)
今週は音楽ブログはお休みです。
というのも週末に読み始めた小説が途中でやめられなくなって音楽を聴く余裕がなかったせいです。
この短編小説『The Willows』の作者は英国人のアルジャーノン・ブラックウッド。
20世紀初頭に主に活動していた怪奇作家です。
話はドナウ川(The Danube)がウィーンからブダペストに至る途中に通過するハンガリーの湿地帯の描写から始まります。
スウェーデン人の相棒とカヌーを操って川下りを楽しんでいる「私」は、嵐で川の水位が上がりすぎたため小島(中洲)にテントを張って一泊することになる。
一帯にヤナギが群生する小島に上陸した当初から「私」は奇妙な違和感を感じる。
最初は浮遊する溺死体に見間違えたカワウソや人里を遠く離れた流れに小舟を浮かべている農民の姿など不思議な事象。
やがて日没とともに様々な異様な現象が起こり始め、眠りを覚まされた「私」は島内を歩き回り、この場所に巣くう得体の知れない悪意、邪気を感じる。
やがて待ちわびた夜明けが訪れるが、カヌーの魯が夜間に一本無くなっており、残った一本の魯も精巧なヤスリをかけたように薄っぺらく削られて使い物にならない上に、カヌーの底部には説明のつかない亀裂が入っていることを見つけ、さらに一夜とどまることを余儀なくされる。
砂地にいつの間にか開けられた幾つものすり鉢状の穴、初めはスウェーデン人の相棒にしか聞こえなかった鐘を叩くような不気味な旋律。
必死に科学的に説明しようと無駄な努力をする「私」。
やがて再び夕刻が訪れ‥。
やはり一番怖いのは、「期せずして境界を越えて侵入してしまった自分たちを生贄にしようとしているらしい原始的なある意志」の実体が最後まで分からないこと。
さらに屈強かつ経験豊富、理性的で頼り甲斐があるはずのスウェーデン人の相棒が、恐怖のあまり精神が崩壊しかかっていく様子。
文中に「後から二人の記憶をつなぎ合わせると」という表現があるので最後は共に助かったのだろうと予測できますが、最後まで読んでも何とも嫌な落ちが待ち受けています。
自分は探偵小説とホラー(スプラッター以外)が結構好きですが、最近「これは怖い」という傑作に遭遇していませんでした。
作者の「ここで怖がらせてやろう」という意図が透けて見えたり、オノマトペが乱用されていたりすると興ざめなのです。
『The Willows』はかなり恐怖レベルが高い方ではないかと思います。
この作品、自分は単品で買ったのですが『Ancient Sorceries and Other Weird Stories』にも収録されていてそちらも同時に購入したのでダブってしまいました。
日本語訳の『いにしえの魔術』にもおそらく収録されているのではないかと思いますが、アマゾン・ジャパンに1件だけあった『いにしえの魔術』の書評をみると「一番怖かったのは『エジプトの奥底で』だった」そうで、『The Willows』でもかなり恐怖度が高いのだから『エジプト』とやらはどれだけ怖いのかと読む前から戦々恐々です。
初めて買ったLPはムーディーブルースの『失われたコードを求めて』
おそらくですが、これは初めて自分で買ったLPレコードだったと思います。
ムーディ・ブルースに関しては以前『セブンス・ソジャーン』について記事をアップしました。
『失われたコードを求めて(In Search of the Lost Chord)』は上記に先立つこと4年、1968年にリリースされた3枚目のレコードです。
『童夢』や『セブンス』ほど洗練されておらず、いかにも60年代後半のイギリスらしいサイケデリックな風潮を反映した作品です。
今回は『失われたコードを求めて』の特色と魅力を語ってみたいと思います。
探し物はなんですか
というと井上陽水ですが、「何かを探し求める」というコンセプトがこのアルバムのテーマになっています。
このアルバムの邦題、プルーストを意識していますね。
さて「失われたコード」とは何でしょう。
ひとつには、「サテンの夜」のメガヒットのあとにバンドがこれからの方向性を模索していたことが挙げられます。
「自分たちだけで何ができるか限界まで試してみたかった」とメンバーがインタビューで語っていますが、前作のオーケストラに代えてメロトロンを導入したのみならず、ジャスティン・ヘイワードはシタール、ジョン・ロッジはチェロ、レイ・トーマスはオーボエ、とそれまで触ったこともない楽器を入れています。
どこに行き着くか分からないが、とにかく色んなことを試してみようという実験的な試みが見られます。
探していたのは音だけではなかったようで、各曲を通じて新しいこと、新しい体験への強い好奇心が見られます。
レイ・トーマス作の「ドクター・リヴィングストン(Dr. Livingston, I presume)」(原題は探検家スタンレーがアフリカで探していたリヴィングストンに邂逅したときの台詞「あなたがリヴィングストン先生ですよね」に由来)では、医師でアフリカ探検家のリヴィングストン、南極探検家のスコット大佐、航海者コロンブスの三人それぞれに何を見つけたのか、と問いかけています。
密林の蝶々の大群やシロクマ(実はスコットさんは南極、シロクマは北極(笑))、アメリカ原住民は見たけどまだ探しているものは見つかっていないんだよ、という内容で子供の絵本のような楽しい畳み掛けがありますが、何を探しているのかは判然としていない。
ジョン・ロッジの「4枚の扉の家」では、4枚の扉を次々と開いていくとさまざな音や感情が現れてくる。
おそらくドラッグによる意識の解放の比喩でしょう。
スタジオ録音ではこの曲は2部に分かれていて最後の扉を開く前に「ティモシー・リアリー」というLSDの提唱者でサイケデリック・ムーヴメントの象徴的人物を歌った別の曲が挿入されていることも、自己の可能性の追求がドラッグと無縁ではなかったであろうことを示唆しています。
しかし4枚目の扉を開いた主人公は、そこにかつて存在したであろう答えがなくなっていることを知り、永遠の混迷に陥ってしまうのです。
そして最後はお定まりというか、インド哲学に基づくスピリチュアルな方向に行っています。
最終曲の「OM」はAUM(オウム)とも表記され、あのオウム真理教を連想してしまうとイメージが悪いですが、もとはサンスクリット語で宇宙の創造・維持・破壊(解放)を意味し、高次のエネルギーとのコネクトするための呪文としてチベット仏教やヨガで使われているらしい。
1960年代後半。この時代には過去の価値観が壊され、若い世代は今までの世代になかった自由を手にします。何をやっても何を語っても何を着ても許される時代。
しかし同時に自由は旧来の土台を失うことであり、混沌とした中で若者たちはLSDやスピリチュアルを体験しながら新しい世界観を見つけようと模索していたのでしょう。
この模索の過程が『失われたコードを求めて』を貫くテーマと言えます。
ちなみに『童夢(Every Good Boy Deserves Favour)』の原題の頭文字EGBDFが探した結果見つかったコード(和音)を意味しているという説もありますが、どうなのでしょう。AとCはどうした?
『Seventh Sojourn』の「I'm just a singer in a rock and roll band」(結局自分はロックバンドのシンガーなんだよ)、結局そこが自分の居場所なんだよ、というのが一つの帰結に思えます。
ジョン・ロッジの2曲
このアルバムには各メンバーが2、3曲ずつ提供しています。
個人的にいいと思うのは、ジョン・ロッジの「ライド・マイ・シーソー(Ride My See-Saw)」と「4枚の扉の家」。
私の中では最高傑作だと思う『Seventh Sojourn』の「Isn’t Life Strange」や「Rockn' Roll Singer」といい、このアルバム収録の「Ride My See-Saw」といい、ムーディーズの珠玉の作品群の中でもジョン・ロッジの曲は特に魅力を放っていると思います。
「Ride My See-Saw」はバンドのステージでアンコール曲として定番になっています。
「自分は精神的自由を手にしたと思い、他の人にも同じ自由を味わってもらいたいと思った。でも難しく考えずにノリを楽しんでもらえばいい」とはジョン・ロッジ自身の言です。
グレアム・エッジ以外の4人全員がヴォーカルを担当。
ジャスティン・ヘイワードのギターのソロも好きです。
元気をもらえる曲です。
The Moody Blues - Departure/Ride My See-Saw
レイ・トーマスの大げさに腰を振る動作は止めて欲しいです。
前出の「4枚の扉の家」もいい曲です。
メロトロンのイントロに続いて、いかにも英国らしい節回しのコーラスで古い家の描写が行われます。
さらに古い扉が一枚また一枚と軋みながら開かれるたびに、初めてはアコギとフルート、次はチェンバロとチェロ、最後はメロトロンで出していると思われるオーケストラとピアノ、と劇中劇ならぬ曲中曲が現れるという意匠が楽しい。
The Moody Blues - House Of Four Doors
最後に
1960年代の終わりはアメリカはベトナム戦争、ヒッピー・カルチャーの時代でしたが、イギリスはベトナム戦争の陰もなく「Swinging Britain」、「Swinging London」と呼ばれポップ文化の発信地になっていました。
ストーンズもザ・フーもキンクスもカーナビー・ストリートを代表とするロンドンのピーコック・ルック、モッズ・ファッションを身にまとい、レイ・トーマスが「当時は誰もが最高に楽しんでいた」という時代でした。
何もかもが新鮮でキラキラ輝いていた時代だったのでしょう。
残念ながらリアル・タイムで体験することはできませんでしたが、私が中学に入る頃はまだそこかしこにその片鱗が残されていました。
ムーディ・ブルースの『失われたコードを求めて』にはそんな時代に通じる懐かしさを感じます。
ドゥービー・ブラザーズ『キャプテン・アンド・ミー』のなつかしいグルーヴ感
これは懐かしいアルバムで昔LPでよく聴いていたのをCDで再入手しました。
ドゥービー・ブラザーズの3枚目のスタジオ録音でリリースは1973年。
トム・ジョンストン(g、ハーモニカ、ARPシンセサイザー)、パトリック・シモンズ(g、ARPシンセサイザー)、タイラン・ポーター(b)、ジョン・ハートマン(d、パーカッション)、マイケル・ハサック(d、パーカッション)が当時の正規メンバーで、ほとんどの曲をジョンストンあるいはシモンズが書いています。
それに加えてのちに正式メンバーとなる元スティーリー・ダンのジェフ・バクスター(g、スティールギター)、キーボードのビル・ペインとパーカッションのテッド・テンプルトンが参加しています。
当時は知らなかったのですが、ドゥービーズはサンノゼ出身とのことで私にとってはご当地バンドと言えます。サンノゼがシリコンバレーの中心として発展する少し前のことですね。
好きな曲をいくつか挙げて見ます。
ナチュラル・シング(Natural Thing)
ネットではなぜか評価が高くないのですが、好きな曲です。
ウェスト・コーストらしい軽くノリのいい曲で、複数台のギターの絡みやユニゾンが楽しい。
ドゥービー・ブラザーズはタイラン・ポーターのよく動くベースがかっこいいのですが、この曲でもベースの魅力が発揮されています。
バックにヴィブラスラップらしいパーカッションが鳴っているのも小気味いい。
ロング・トレイン・ランニン(Long Train Runnin’)
シングルカットされてヒットした有名な曲。
もしイントロ曲当てクイズが当時あったら多少とも洋楽を聴いていた人ならおそらく正解したであろう特徴的なギターのカッティングのイントロ。
そこに入ってくるグルーヴィなベース、もうカッコよすぎます。
ギター、ベース、ドラム、コンガが一体となって表現している列車の走行音。
家も家族も失ったミス・ルーシーはもう戻らないだろう、と具体的な人名、イリノイ・セントラル鉄道、サザン・セントラルといった路線名も出てきますが、全体に鉄道が悲喜こもごもの感情を乗せて走っていく様子が想像されます。
勝手な空想ですがこの設定は夜行列車ではないでしょうか。
哀愁のこもったコーラスもいいし、曲にぴったり合ったハーモニカのソロも絶妙です。
Doobie Brothers- Long train running
チャイナ・グローヴ(China Grove)
テキサスのサン・アントニオにある中華街を街の人が面白くおかしく噂しているという歌。
「ロング・トレイン」のB面としてシングルカットされた曲です。
町のシェリフやその同僚が「サムライの刀(Samurai Swords) 」を携帯しているらしいというありがちな混同や、ローンスター州(テキサスのこと)の一角だけど彼らはそんなの知ったことじゃない、いつも東を向いてオリエンタルな生活の連中だからね、というようなPolitically Incorrectな表現がありますが、45年も前の曲なのでここは大目に見ましょう。
複数のギターで繰り出されるリフ、即興で入れているらしいピアノ、ドラムのハイハットの音、もちろんベースも好きな曲です。
クリーン・アズ・ザ・ドリヴン・スノウ(Clean as the Driven Snow)
「Pure as the Driven Snow(吹きだまりの雪のように汚れがない)」というイディオムがあるので、踏まれたことがない雪のようにクリーンである、という意味でしょうか。クリーンにはドラッグをやっていない状態という意味のスラングもあるのでひょっとしたら関係あるかもしれません。
どこか英国フォークを思わせる曲です。
前半はギターのフィンガリングとハーモニーの美しさが透明な空気を創っています。
当初アコギと思っていたのはどうやらセミアコでしょう。
シンセサイザーが背後で木々の間を吹く風のような音を出しています。
前半では、「燃え尽きないように自分を律することを学んだ、いや学んだつもりだった」と言い、後半では「ある考えが自分に取り憑いて自分を動かしてしまう、もう少し時間が欲しい」という抽象的ながら焦りと苦悩の歌詞です。
後半ギャロップのようなリズムが入ってきてからの数台のギターの絡み、ハモリングの美しさが印象的です。
下のライヴ録画ではCD録音にはないフルートが入っています。
The Doobie Brothers - Clear As the Driven Snow (Live)
サウス・シティ・ミッドナイト・レディー(South City Midnight Lady)
ミッドナイト・レディーが行きずりの女性なのか特殊な商売の女なのか分かりませんが、恋人ではなさそうです。
落ち込んでいた自分は彼女に救われた、落ち込みんで憂鬱な気分の時はあなたを思い出そう、という孤独な魂の癒しを歌っています。
ピアノとアコギ、ハーモニーが綺麗で、ウェストコーストらしい曲。
途中で入ってくるジェフ・バクスターのスティール・ギターもいい感じです。
ザ・キャプテン・アンド・ミー(The Captain and Me)
最後はタイトル・トラック。
メロディがひたすら美しく、特にサビの「Growin’ Growin’」の辺りのハーモニーがいい。
何本ものギターが織りなす色彩が見事です。
ベースはタイラン・ポーターらしい動きのあるベースで、ちょっと目立ちすぎ?というぐらい目立っています。
後半のパーカッションの洪水状態もいい感じです。
ちなみに「Captainって誰?」と考えてしまいましたが、作者のジョンストンによれば「別に誰でもない」「詞の内容に特に意味はない」(Wikipedia) らしいです。
余談ですがこの記事を途中まで書いて近所のグロサリーに買い物に行ったら、いきなり店内の有線ラジオで「ロング・トレイン・ランニン」がかかってびっくり。
妙なところで「引きよせの法則」が作動してしまいました(笑)。
フランケンだけじゃないエドガー・ウィンター『They Only Come at Night』
今晩は。ロンドンVixenです。
今回はエドガー・ウィンター・グループです。
先日ウッドストック・パート3でジョニー・ウィンターの映像を探していたら、弟のエドガー・ウィンターの「フランケンシュタイン」のスタジオ録画が出てきて思わず見入ってしまいました。
『They Only Come at Night』(1972)はエドガー・ウィンター・グループとしては1枚目のアルバム。
キーボード等とヴォーカルのエドガーの他はロニー・モントローズ(g、マンドリン)、ダン・ハートマン(b、v)、チャック・ラフ(d、パーカッション)。
のちにギタリストとして参加するリック・デリンジャーは主にプロデューサーとして参加している他、何曲かにギターで入っています。
明るくてノリのいいブギウギやロックンロールあり、ブルースもラテンもありと楽しいアルバムですが、とくに一押しは以下の数曲です。
フリー・ライド(Free Ride)
このアルバムの作詞・作曲はほとんどウィンターかハートマンが手がけていますが、これはハートマンの作。
当初「フランケンシュタイン」はこの曲がシングルカットされた際のB面になっていました(のちに逆転してこちらがB面に)。
「山は高く谷は深い。どちらに行くか君は迷う。だから僕が手を差し伸べる。約束の地に向けて」という他愛ない詞です。
明るく楽しいポップス調の曲。
モントローズのギターソロがいいです。
この曲のベースはハートマンではなくランディ・ジョー・ホッブスとクレジットが入ってますがめちゃくちゃカッコいい。ベースの動きを追って行っても面白い曲です。
アンダーカヴァー・マン(Undercover Man)
エドガー・ウィンターの曲。
自分をスパイになぞらえて「君は裏口のところにいる。君は僕を待っている、待ち望んでいる、それを僕は知っている」と言っています。
一歩間違えればストーカー、というか家の裏口からふと振り返ってジャケ写真のエドガーが物陰から覗いていたらまじで絶叫ものです。
この曲のギターの入り方、最高にセンスがいい。
ヴォーカルと掛け合いながら歌って語るギターです。
途中で入ってくるピアノもいい。
ラウンド・アンド・ラウンド(Round & Round)
「フランケン」を除くとこの曲がダントツに好きです。
歌詞は気まぐれな女に翻弄されている内容で全然ハッピーな歌詞ではないのに、なぜか聞いていると幸せになってくるこのメロディー。
ハーモニーも綺麗に決まっています。
シャカシャカいっているハートマンのマラカス。
スティールギターはリック・デリンジャーでしょうか。
何か懐かしい感じだし、イーグルスっぽい部分もあるし。
なぜシングルカットされなかったのか不思議。
日本でも絶対好きな人が多いと思う曲です。
Edgar Winter Group, Round and Round
オータム(Autumn)
これも美しい曲でハートマンの作。
「風は冷たく、恋人は去って行った。
やらなければならないこともないから、秋の間はニューイングランドにいよう。
建物は灰色で高く、鳥が飛んでいる。特に何もいうことはない」
アコギのイントロに続きハートマンのヴォーカルによるメロディの綺麗なバラード。
やがてリズム・セクションとコーラス。
マリンバの可愛らしい音が入ります。
途中からオーケストラのストリングスが入っているけど、オーケストラのクレジットが載っていないところを見るとシンセサイザーで作った音なのでしょうか。
Autumn. The Edgar Winter Group. (1972)
フランケンシュタイン(Frankenstein)
これはCDで聴いても良いのですが、やはり映像が楽しすぎます。
エドガー・ウィンターの一人4役というか、エレピを首から下げたままサックス吹いて、ドラムソロに合わせてティンバレス叩いて、シンセサイザーを操作したかと思うと床に置いたエレピの上に猛禽類のように何度も舞い降りる。凄い。凄まじい。
兄のジョニーのギターも鬼気迫るものがありますが、エドガーも何か取り憑いているんじゃないかと。
インプロヴィゼーション満載のキーボードの楽しさを凝縮した上に、さらにドラムもギターもベースもうわーと言いたくなる楽しさのてんこ盛り状態。
CDではロニー・モントローズがギターですが、このアルバム収録後に脱退したため映像ではリック・デリンジャーが入っています。
Frankenstein . Edgar Winters Group . 1973
蛇足ですが、フランケンシュタインは、幾つかのアレンジの録音をツギハギで作った曲だから、とか。
アルバムの題から「夜になると現れる」怪物のこととアホな連想していたのですが‥。
終わりに
ブルース・ギターの求道者のようなジョニーもすごいけど、弟さん、あなたもすごい。
本当に全ての曲が楽しめるアルバムです。
いいもの聞かしていただきました。