ノリノリのブギーはステイタス・クォーの『クォー』
先週はホラー小説のレビューをアップしたところ、閲覧数がいつもの5倍ぐらいに跳ね上がっていて我ながらびっくりしました。
洋楽と並行して英国ホラーのブログをやろうかと一瞬考えましたが、そんな時間があるはずもなくそちらは老後のお楽しみにとっておこうか、と(笑)。
さて今回はステイタス・クォーの7枚目のアルバム『クォー(Quo)』(1974)です。
『ブギに憑かれたロックン・ローラー』という何やらケッタイな邦題が付いています。
ステイタス・クォー(Status Quo)はロンドンのフォレストヒルズ出身のバンドで、かなりメンバーの変遷を経てきていますが、このアルバムではオリジナル・メンバーのフランシス・ロッシ(g、v)、アラン・ランカスター(b、v)および初期からのメンバーであるリック・パーフィット(g、v)、ジョン・コフラン(d)が参加。他にボブ・ヤングがハーモニカ、トム・パーカーがキーボードで参加しています。
ほとんど全曲がノリノリのブギやロックンロールですが、お勧めの曲は以下の通りです。
バックウォーター(Backwater)
独特のギター・リフのイントロにずっしりしたベースが入って2台のギターとベースのユニゾン。
メロディアスなパートからリズムが加速して正統派のロックンロールへ。
泥臭くどこか懐かしさを感じる曲です。
ハイウェイをふらふら歩いていたら女が家に入れてくれた。
当然「自分」は色々期待しているわけですが疲れと寒さで熱を出して寝込んでしまう。
医者が来て熱が下がった頃には女はどこかに消えてしまった、という冴えない歌詞です。
このバンド、CDだけ聴くよりも動きのあるステージに魅力のあるバンドです。
横にずらっと並んで3人が同じ手の動きで同じフレーズを弾いていたり、一つのマイクの周りに猫背になっていて集まっていたりするのに独特の趣があったり。
ただ残念なことにアップされているステージ動画はそれほど多くありません。
ブレイク・ザ・ルール (Break the Rule)
シングル・カットされて全英チャートの8位になった曲です。
シャッフルのノリのいい楽しい曲。
ホンキートンク・バーで知り合った娼婦のような女の家に連れて行かれ、翌朝目が覚めたら財布が空になっていた、という間抜けな男の話ですが、「誰だって時には羽目を外した方がいい」と笑い飛ばす陽気さがあります。
中盤のロッシのギター・ソロ、ホンキートンク・ピアノが入って来て、ハーモニカもいい感じです。
ロンリー・マン(Lonely Man)
アコギのイントロで始まるブリティッシュ・フォーク調の曲。
アルバム中唯一のメローな曲です。
ソフトなヴォーカルが美しく、後半に入るギターのソロ、ベースのフレーズも美しい。
浜辺で一人たたずむ孤独な人に語りかけ、何を探しているのか、友人が必要ではないのか、自分ではだめなのか、と問いかけています。
スロー・トレイン(Slow Train)
一曲の中に色々な要素が盛り込まれていて楽しめる曲です。
初めはアップビートのシャッフル。ここのギターの掛け合いが楽しい。
それから途中メロディアスな数小節が入りロックンロールへ。
ベースの動き、さらにロックンロール部分のベースの高音部も好きです。
後半にはアイルランドのリヴァーダンスを思わせるケルト民謡のようなパートが入る。
さらにドラムソロを経て再びアップビートのシャッフルへ。
家にいてウンザリしている若者が陽のあたる場所を目指して出て行く。
古いダコタ飛行機(ダグラス社のプロペラ機)に乗るお金もないので家畜用の遅い貨物車に乗って。
母さん、俺が出て行ってもオタオタしないでくれ。ここにいるより俺にとってはずっといいから、と母親に語りかけています。
終わりに、そしておまけ
中学時代にステイタス・クォーというラテン語由来の「現状」という語を知っていたのは、このバンドのおかげです。
今聞いてみると、英国のバンドというよりアメリカの、それも南部の泥臭い風合があるような気がします。アメリカのAmazon.comを見ていたら全く同じことをコメントに書いていた人がいて、やはり同じ印象を持つ人はいるものだと納得しました。
それでもブリティッシュ・フォーク調のLonely Man、スロートレインのケルティックなパートなどはやはりアメリカのバンドとは一味違いますね。
それにしてもこのジャケット、木からメンバーの顔が生えていてなかなかグロです。
ベースのランカスターなどは打ち首になった罪人のような表情です。
木になった頭といえばセンチメンタル・シティロマンスのこのジャケも構図はえらく似ていますが、こちらの方がだいぶ明るいですね。
書評:結構怖いブラックウッドの『The Willows』(邦題は不明)
今週は音楽ブログはお休みです。
というのも週末に読み始めた小説が途中でやめられなくなって音楽を聴く余裕がなかったせいです。
この短編小説『The Willows』の作者は英国人のアルジャーノン・ブラックウッド。
20世紀初頭に主に活動していた怪奇作家です。
話はドナウ川(The Danube)がウィーンからブダペストに至る途中に通過するハンガリーの湿地帯の描写から始まります。
スウェーデン人の相棒とカヌーを操って川下りを楽しんでいる「私」は、嵐で川の水位が上がりすぎたため小島(中洲)にテントを張って一泊することになる。
一帯にヤナギが群生する小島に上陸した当初から「私」は奇妙な違和感を感じる。
最初は浮遊する溺死体に見間違えたカワウソや人里を遠く離れた流れに小舟を浮かべている農民の姿など不思議な事象。
やがて日没とともに様々な異様な現象が起こり始め、眠りを覚まされた「私」は島内を歩き回り、この場所に巣くう得体の知れない悪意、邪気を感じる。
やがて待ちわびた夜明けが訪れるが、カヌーの魯が夜間に一本無くなっており、残った一本の魯も精巧なヤスリをかけたように薄っぺらく削られて使い物にならない上に、カヌーの底部には説明のつかない亀裂が入っていることを見つけ、さらに一夜とどまることを余儀なくされる。
砂地にいつの間にか開けられた幾つものすり鉢状の穴、初めはスウェーデン人の相棒にしか聞こえなかった鐘を叩くような不気味な旋律。
必死に科学的に説明しようと無駄な努力をする「私」。
やがて再び夕刻が訪れ‥。
やはり一番怖いのは、「期せずして境界を越えて侵入してしまった自分たちを生贄にしようとしているらしい原始的なある意志」の実体が最後まで分からないこと。
さらに屈強かつ経験豊富、理性的で頼り甲斐があるはずのスウェーデン人の相棒が、恐怖のあまり精神が崩壊しかかっていく様子。
文中に「後から二人の記憶をつなぎ合わせると」という表現があるので最後は共に助かったのだろうと予測できますが、最後まで読んでも何とも嫌な落ちが待ち受けています。
自分は探偵小説とホラー(スプラッター以外)が結構好きですが、最近「これは怖い」という傑作に遭遇していませんでした。
作者の「ここで怖がらせてやろう」という意図が透けて見えたり、オノマトペが乱用されていたりすると興ざめなのです。
『The Willows』はかなり恐怖レベルが高い方ではないかと思います。
この作品、自分は単品で買ったのですが『Ancient Sorceries and Other Weird Stories』にも収録されていてそちらも同時に購入したのでダブってしまいました。
日本語訳の『いにしえの魔術』にもおそらく収録されているのではないかと思いますが、アマゾン・ジャパンに1件だけあった『いにしえの魔術』の書評をみると「一番怖かったのは『エジプトの奥底で』だった」そうで、『The Willows』でもかなり恐怖度が高いのだから『エジプト』とやらはどれだけ怖いのかと読む前から戦々恐々です。
初めて買ったLPはムーディーブルースの『失われたコードを求めて』
おそらくですが、これは初めて自分で買ったLPレコードだったと思います。
ムーディ・ブルースに関しては以前『セブンス・ソジャーン』について記事をアップしました。
『失われたコードを求めて(In Search of the Lost Chord)』は上記に先立つこと4年、1968年にリリースされた3枚目のレコードです。
『童夢』や『セブンス』ほど洗練されておらず、いかにも60年代後半のイギリスらしいサイケデリックな風潮を反映した作品です。
今回は『失われたコードを求めて』の特色と魅力を語ってみたいと思います。
探し物はなんですか
というと井上陽水ですが、「何かを探し求める」というコンセプトがこのアルバムのテーマになっています。
このアルバムの邦題、プルーストを意識していますね。
さて「失われたコード」とは何でしょう。
ひとつには、「サテンの夜」のメガヒットのあとにバンドがこれからの方向性を模索していたことが挙げられます。
「自分たちだけで何ができるか限界まで試してみたかった」とメンバーがインタビューで語っていますが、前作のオーケストラに代えてメロトロンを導入したのみならず、ジャスティン・ヘイワードはシタール、ジョン・ロッジはチェロ、レイ・トーマスはオーボエ、とそれまで触ったこともない楽器を入れています。
どこに行き着くか分からないが、とにかく色んなことを試してみようという実験的な試みが見られます。
探していたのは音だけではなかったようで、各曲を通じて新しいこと、新しい体験への強い好奇心が見られます。
レイ・トーマス作の「ドクター・リヴィングストン(Dr. Livingston, I presume)」(原題は探検家スタンレーがアフリカで探していたリヴィングストンに邂逅したときの台詞「あなたがリヴィングストン先生ですよね」に由来)では、医師でアフリカ探検家のリヴィングストン、南極探検家のスコット大佐、航海者コロンブスの三人それぞれに何を見つけたのか、と問いかけています。
密林の蝶々の大群やシロクマ(実はスコットさんは南極、シロクマは北極(笑))、アメリカ原住民は見たけどまだ探しているものは見つかっていないんだよ、という内容で子供の絵本のような楽しい畳み掛けがありますが、何を探しているのかは判然としていない。
ジョン・ロッジの「4枚の扉の家」では、4枚の扉を次々と開いていくとさまざな音や感情が現れてくる。
おそらくドラッグによる意識の解放の比喩でしょう。
スタジオ録音ではこの曲は2部に分かれていて最後の扉を開く前に「ティモシー・リアリー」というLSDの提唱者でサイケデリック・ムーヴメントの象徴的人物を歌った別の曲が挿入されていることも、自己の可能性の追求がドラッグと無縁ではなかったであろうことを示唆しています。
しかし4枚目の扉を開いた主人公は、そこにかつて存在したであろう答えがなくなっていることを知り、永遠の混迷に陥ってしまうのです。
そして最後はお定まりというか、インド哲学に基づくスピリチュアルな方向に行っています。
最終曲の「OM」はAUM(オウム)とも表記され、あのオウム真理教を連想してしまうとイメージが悪いですが、もとはサンスクリット語で宇宙の創造・維持・破壊(解放)を意味し、高次のエネルギーとのコネクトするための呪文としてチベット仏教やヨガで使われているらしい。
1960年代後半。この時代には過去の価値観が壊され、若い世代は今までの世代になかった自由を手にします。何をやっても何を語っても何を着ても許される時代。
しかし同時に自由は旧来の土台を失うことであり、混沌とした中で若者たちはLSDやスピリチュアルを体験しながら新しい世界観を見つけようと模索していたのでしょう。
この模索の過程が『失われたコードを求めて』を貫くテーマと言えます。
ちなみに『童夢(Every Good Boy Deserves Favour)』の原題の頭文字EGBDFが探した結果見つかったコード(和音)を意味しているという説もありますが、どうなのでしょう。AとCはどうした?
『Seventh Sojourn』の「I'm just a singer in a rock and roll band」(結局自分はロックバンドのシンガーなんだよ)、結局そこが自分の居場所なんだよ、というのが一つの帰結に思えます。
ジョン・ロッジの2曲
このアルバムには各メンバーが2、3曲ずつ提供しています。
個人的にいいと思うのは、ジョン・ロッジの「ライド・マイ・シーソー(Ride My See-Saw)」と「4枚の扉の家」。
私の中では最高傑作だと思う『Seventh Sojourn』の「Isn’t Life Strange」や「Rockn' Roll Singer」といい、このアルバム収録の「Ride My See-Saw」といい、ムーディーズの珠玉の作品群の中でもジョン・ロッジの曲は特に魅力を放っていると思います。
「Ride My See-Saw」はバンドのステージでアンコール曲として定番になっています。
「自分は精神的自由を手にしたと思い、他の人にも同じ自由を味わってもらいたいと思った。でも難しく考えずにノリを楽しんでもらえばいい」とはジョン・ロッジ自身の言です。
グレアム・エッジ以外の4人全員がヴォーカルを担当。
ジャスティン・ヘイワードのギターのソロも好きです。
元気をもらえる曲です。
The Moody Blues - Departure/Ride My See-Saw
レイ・トーマスの大げさに腰を振る動作は止めて欲しいです。
前出の「4枚の扉の家」もいい曲です。
メロトロンのイントロに続いて、いかにも英国らしい節回しのコーラスで古い家の描写が行われます。
さらに古い扉が一枚また一枚と軋みながら開かれるたびに、初めてはアコギとフルート、次はチェンバロとチェロ、最後はメロトロンで出していると思われるオーケストラとピアノ、と劇中劇ならぬ曲中曲が現れるという意匠が楽しい。
The Moody Blues - House Of Four Doors
最後に
1960年代の終わりはアメリカはベトナム戦争、ヒッピー・カルチャーの時代でしたが、イギリスはベトナム戦争の陰もなく「Swinging Britain」、「Swinging London」と呼ばれポップ文化の発信地になっていました。
ストーンズもザ・フーもキンクスもカーナビー・ストリートを代表とするロンドンのピーコック・ルック、モッズ・ファッションを身にまとい、レイ・トーマスが「当時は誰もが最高に楽しんでいた」という時代でした。
何もかもが新鮮でキラキラ輝いていた時代だったのでしょう。
残念ながらリアル・タイムで体験することはできませんでしたが、私が中学に入る頃はまだそこかしこにその片鱗が残されていました。
ムーディ・ブルースの『失われたコードを求めて』にはそんな時代に通じる懐かしさを感じます。
ドゥービー・ブラザーズ『キャプテン・アンド・ミー』のなつかしいグルーヴ感
これは懐かしいアルバムで昔LPでよく聴いていたのをCDで再入手しました。
ドゥービー・ブラザーズの3枚目のスタジオ録音でリリースは1973年。
トム・ジョンストン(g、ハーモニカ、ARPシンセサイザー)、パトリック・シモンズ(g、ARPシンセサイザー)、タイラン・ポーター(b)、ジョン・ハートマン(d、パーカッション)、マイケル・ハサック(d、パーカッション)が当時の正規メンバーで、ほとんどの曲をジョンストンあるいはシモンズが書いています。
それに加えてのちに正式メンバーとなる元スティーリー・ダンのジェフ・バクスター(g、スティールギター)、キーボードのビル・ペインとパーカッションのテッド・テンプルトンが参加しています。
当時は知らなかったのですが、ドゥービーズはサンノゼ出身とのことで私にとってはご当地バンドと言えます。サンノゼがシリコンバレーの中心として発展する少し前のことですね。
好きな曲をいくつか挙げて見ます。
ナチュラル・シング(Natural Thing)
ネットではなぜか評価が高くないのですが、好きな曲です。
ウェスト・コーストらしい軽くノリのいい曲で、複数台のギターの絡みやユニゾンが楽しい。
ドゥービー・ブラザーズはタイラン・ポーターのよく動くベースがかっこいいのですが、この曲でもベースの魅力が発揮されています。
バックにヴィブラスラップらしいパーカッションが鳴っているのも小気味いい。
ロング・トレイン・ランニン(Long Train Runnin’)
シングルカットされてヒットした有名な曲。
もしイントロ曲当てクイズが当時あったら多少とも洋楽を聴いていた人ならおそらく正解したであろう特徴的なギターのカッティングのイントロ。
そこに入ってくるグルーヴィなベース、もうカッコよすぎます。
ギター、ベース、ドラム、コンガが一体となって表現している列車の走行音。
家も家族も失ったミス・ルーシーはもう戻らないだろう、と具体的な人名、イリノイ・セントラル鉄道、サザン・セントラルといった路線名も出てきますが、全体に鉄道が悲喜こもごもの感情を乗せて走っていく様子が想像されます。
勝手な空想ですがこの設定は夜行列車ではないでしょうか。
哀愁のこもったコーラスもいいし、曲にぴったり合ったハーモニカのソロも絶妙です。
Doobie Brothers- Long train running
チャイナ・グローヴ(China Grove)
テキサスのサン・アントニオにある中華街を街の人が面白くおかしく噂しているという歌。
「ロング・トレイン」のB面としてシングルカットされた曲です。
町のシェリフやその同僚が「サムライの刀(Samurai Swords) 」を携帯しているらしいというありがちな混同や、ローンスター州(テキサスのこと)の一角だけど彼らはそんなの知ったことじゃない、いつも東を向いてオリエンタルな生活の連中だからね、というようなPolitically Incorrectな表現がありますが、45年も前の曲なのでここは大目に見ましょう。
複数のギターで繰り出されるリフ、即興で入れているらしいピアノ、ドラムのハイハットの音、もちろんベースも好きな曲です。
クリーン・アズ・ザ・ドリヴン・スノウ(Clean as the Driven Snow)
「Pure as the Driven Snow(吹きだまりの雪のように汚れがない)」というイディオムがあるので、踏まれたことがない雪のようにクリーンである、という意味でしょうか。クリーンにはドラッグをやっていない状態という意味のスラングもあるのでひょっとしたら関係あるかもしれません。
どこか英国フォークを思わせる曲です。
前半はギターのフィンガリングとハーモニーの美しさが透明な空気を創っています。
当初アコギと思っていたのはどうやらセミアコでしょう。
シンセサイザーが背後で木々の間を吹く風のような音を出しています。
前半では、「燃え尽きないように自分を律することを学んだ、いや学んだつもりだった」と言い、後半では「ある考えが自分に取り憑いて自分を動かしてしまう、もう少し時間が欲しい」という抽象的ながら焦りと苦悩の歌詞です。
後半ギャロップのようなリズムが入ってきてからの数台のギターの絡み、ハモリングの美しさが印象的です。
下のライヴ録画ではCD録音にはないフルートが入っています。
The Doobie Brothers - Clear As the Driven Snow (Live)
サウス・シティ・ミッドナイト・レディー(South City Midnight Lady)
ミッドナイト・レディーが行きずりの女性なのか特殊な商売の女なのか分かりませんが、恋人ではなさそうです。
落ち込んでいた自分は彼女に救われた、落ち込みんで憂鬱な気分の時はあなたを思い出そう、という孤独な魂の癒しを歌っています。
ピアノとアコギ、ハーモニーが綺麗で、ウェストコーストらしい曲。
途中で入ってくるジェフ・バクスターのスティール・ギターもいい感じです。
ザ・キャプテン・アンド・ミー(The Captain and Me)
最後はタイトル・トラック。
メロディがひたすら美しく、特にサビの「Growin’ Growin’」の辺りのハーモニーがいい。
何本ものギターが織りなす色彩が見事です。
ベースはタイラン・ポーターらしい動きのあるベースで、ちょっと目立ちすぎ?というぐらい目立っています。
後半のパーカッションの洪水状態もいい感じです。
ちなみに「Captainって誰?」と考えてしまいましたが、作者のジョンストンによれば「別に誰でもない」「詞の内容に特に意味はない」(Wikipedia) らしいです。
余談ですがこの記事を途中まで書いて近所のグロサリーに買い物に行ったら、いきなり店内の有線ラジオで「ロング・トレイン・ランニン」がかかってびっくり。
妙なところで「引きよせの法則」が作動してしまいました(笑)。
フランケンだけじゃないエドガー・ウィンター『They Only Come at Night』
今晩は。ロンドンVixenです。
今回はエドガー・ウィンター・グループです。
先日ウッドストック・パート3でジョニー・ウィンターの映像を探していたら、弟のエドガー・ウィンターの「フランケンシュタイン」のスタジオ録画が出てきて思わず見入ってしまいました。
『They Only Come at Night』(1972)はエドガー・ウィンター・グループとしては1枚目のアルバム。
キーボード等とヴォーカルのエドガーの他はロニー・モントローズ(g、マンドリン)、ダン・ハートマン(b、v)、チャック・ラフ(d、パーカッション)。
のちにギタリストとして参加するリック・デリンジャーは主にプロデューサーとして参加している他、何曲かにギターで入っています。
明るくてノリのいいブギウギやロックンロールあり、ブルースもラテンもありと楽しいアルバムですが、とくに一押しは以下の数曲です。
フリー・ライド(Free Ride)
このアルバムの作詞・作曲はほとんどウィンターかハートマンが手がけていますが、これはハートマンの作。
当初「フランケンシュタイン」はこの曲がシングルカットされた際のB面になっていました(のちに逆転してこちらがB面に)。
「山は高く谷は深い。どちらに行くか君は迷う。だから僕が手を差し伸べる。約束の地に向けて」という他愛ない詞です。
明るく楽しいポップス調の曲。
モントローズのギターソロがいいです。
この曲のベースはハートマンではなくランディ・ジョー・ホッブスとクレジットが入ってますがめちゃくちゃカッコいい。ベースの動きを追って行っても面白い曲です。
アンダーカヴァー・マン(Undercover Man)
エドガー・ウィンターの曲。
自分をスパイになぞらえて「君は裏口のところにいる。君は僕を待っている、待ち望んでいる、それを僕は知っている」と言っています。
一歩間違えればストーカー、というか家の裏口からふと振り返ってジャケ写真のエドガーが物陰から覗いていたらまじで絶叫ものです。
この曲のギターの入り方、最高にセンスがいい。
ヴォーカルと掛け合いながら歌って語るギターです。
途中で入ってくるピアノもいい。
ラウンド・アンド・ラウンド(Round & Round)
「フランケン」を除くとこの曲がダントツに好きです。
歌詞は気まぐれな女に翻弄されている内容で全然ハッピーな歌詞ではないのに、なぜか聞いていると幸せになってくるこのメロディー。
ハーモニーも綺麗に決まっています。
シャカシャカいっているハートマンのマラカス。
スティールギターはリック・デリンジャーでしょうか。
何か懐かしい感じだし、イーグルスっぽい部分もあるし。
なぜシングルカットされなかったのか不思議。
日本でも絶対好きな人が多いと思う曲です。
Edgar Winter Group, Round and Round
オータム(Autumn)
これも美しい曲でハートマンの作。
「風は冷たく、恋人は去って行った。
やらなければならないこともないから、秋の間はニューイングランドにいよう。
建物は灰色で高く、鳥が飛んでいる。特に何もいうことはない」
アコギのイントロに続きハートマンのヴォーカルによるメロディの綺麗なバラード。
やがてリズム・セクションとコーラス。
マリンバの可愛らしい音が入ります。
途中からオーケストラのストリングスが入っているけど、オーケストラのクレジットが載っていないところを見るとシンセサイザーで作った音なのでしょうか。
Autumn. The Edgar Winter Group. (1972)
フランケンシュタイン(Frankenstein)
これはCDで聴いても良いのですが、やはり映像が楽しすぎます。
エドガー・ウィンターの一人4役というか、エレピを首から下げたままサックス吹いて、ドラムソロに合わせてティンバレス叩いて、シンセサイザーを操作したかと思うと床に置いたエレピの上に猛禽類のように何度も舞い降りる。凄い。凄まじい。
兄のジョニーのギターも鬼気迫るものがありますが、エドガーも何か取り憑いているんじゃないかと。
インプロヴィゼーション満載のキーボードの楽しさを凝縮した上に、さらにドラムもギターもベースもうわーと言いたくなる楽しさのてんこ盛り状態。
CDではロニー・モントローズがギターですが、このアルバム収録後に脱退したため映像ではリック・デリンジャーが入っています。
Frankenstein . Edgar Winters Group . 1973
蛇足ですが、フランケンシュタインは、幾つかのアレンジの録音をツギハギで作った曲だから、とか。
アルバムの題から「夜になると現れる」怪物のこととアホな連想していたのですが‥。
終わりに
ブルース・ギターの求道者のようなジョニーもすごいけど、弟さん、あなたもすごい。
本当に全ての曲が楽しめるアルバムです。
いいもの聞かしていただきました。
夏だ!祭りだ!『ウッドストック』最終回 -CSN&Y、ジミ・ヘンドリックス他
今回は『ウッドストック』ボックスの4枚目、最終回です。
4枚目の出演者は
CSN&Y
ポール・バターフィールド&ブルース・バンド
SHA NA NA
ジミ・ヘンドリックス
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)
CSN&Yはこのボックス・セットで最多の6曲が収録されています。
曲名は
青い眼のジュディ (Judy Blue Eyes)
グィネヴィア (Guinnevere)
マラケシュ行急行 (Marakesh Express)
4+20
シー・オブ・マッドネス (Sea of Madness)
自由の鐘(Find the Cost of Freedom)
最初の3曲は、以前アルバム『CSN』で言及しました。
スタジオ録音に勝るとも劣らない一糸乱れぬハーモニーは見事としか言えません。
「青い眼のジュディ」の構成の面白さ、「グィネヴィア」の絵画的な美しさ、「マラケシュ行急行」の映像的な楽しさ。
スティルスと同じくバッファロー・スプリングフィールド出身のニール・ヤングを加えて、ギターにもヴォーカルにもより奥行きが生まれています。
「4+20」はスティルスの作品で『デジャ・ヴ』に収録されています。
貧しい幼少期を経て24歳になったが、今は金銭的ではなく精神的な貧しさに苦しんでいるという歌で、愛する女性も戻らないという部分は時期的にジュディのことでしょうか。
「様々な色彩の獣(many colored beast) を抱擁する」という部分はずっと分からなかったのですが、こうして改めて聞いてみると辛さを紛らわすために友としたドラッグの様に聞こえます。
複数のアコギの綾なす美しい調べと淡々としたヴォーカルが終わりの見えない苦しみを訴えています。
Occupying Woodstock 1969! 4+20 CSNY
次の「Sea of Madness」はニール・ヤングの曲で、Iron Maidenの同名異曲の様に狂っているというネガティブなマッドネスではなく、愛する彼女をどうしたら自分と同じぐらい狂おしい気持ちにさせられるのか、という歌詞の明るい曲です。
エレキギターのソロもオルガンとベースの入り方も好きです。
「Find the Cost of Freedom 」
邦題は「自由の鐘」となっていますが、自由の代償という意味で、ベトナム戦争の兵士にとって自由を得る代償は死しかないという反戦の歌です。
インド音楽を思わせるギターのイントロが印象的。
途中から入る「母なる大地がお前を呑み込み、お前の体を横たえる」というアカペラのコーラスが怖ろしくも美しい。
この曲はアンコール曲であっという間に終わります。
ポール・バタフィールド・ブルース・バンド (Paul Butterfield Blues Band)
ポール・バタフィールドはアメリカのブルース・シンガー兼ハーモニカ・プレイヤーで
収録曲は「ラヴ・マーチ(Love March)」。
「さあ皆さん、疲れていなければマーチに合わせて会場を歩き回りましょう」とポールの呼びかけ。
トランペットの合図とティンパニが入って行進曲風。
この曲はパスしようかと思ったところで、スロー・テンポに変わりベースとギターがいい感じ。
さらにジャズ・ピアノが入ってジャズ・フュージョンに。ピアノ、ギター、ベースにブラスが心地いい。最後はまた行進曲に戻るという不思議な曲です。
次のSHA NA NAは「At the Top」という50年代風の曲でピアノが印象的。
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)
大トリのジミ・ヘンドリックスは日曜の夜に出るはずだったのに予定が遅れに遅れて月曜の朝9時の出演。
彼の出演前に40万人の聴衆の半数近くがすでに帰途に着いていたというから気の毒です。
ジミヘンは2時間にわたり19曲を演奏。
CDの収録曲は「ブードゥー・チャイルド」、「星条旗よ永遠なれ」、「紫のけむり」。 いずれも有名なナンバーです。
が、何と言ってもインパクトが強いのはアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ(Star Spangled Banner)」でしょう。
アメリカのどんな会合でも、国歌が流れると皆が起立し胸に手を当て、ともに口ずさむ。
その国歌をゆがんだメロディに変え、ファズを使って歪(ひず)みに歪ませたギターの音で奏でる。
国歌は何度も繰り返され、そのたびに曲の途中で「ヒュー・ダダーン!」と爆弾の飛来音と爆発音がギターで表現される。
ベトナム戦争で何度も使われたナパーム弾と焼かれる村々を表現するように。
ゆがんだメロディは病んだアメリカとボロボロの星条旗を連想させます。
予想できることですが、ウッドストックでこの国歌を演奏したジミ・ヘンドリックスには多くのヘイト・メールが送られたらしい。
テレビのトークショーに招かれたジミヘンは「なぜあのような演奏をしたのか」と聞かれ、「ごく正統派(orthodox) の演奏だよ。美しいし」と答えています。
自分は愛国心がある、という意思表示もしたと聞きます。
前年にマーティン・ルーサー・キング牧師が、4年前にはマルコム・Xが暗殺された時代背景です。
アフリカ系アメリカ人であるジミ・ヘンドリックスにとってアメリカ国家は白人が抱くのとはまた違った感情の対象だったことは推察に難くありません。
しかし彼なりの愛国心は当然あったのでしょう。
だからこそ望まない戦争の泥沼に陥り、加害者にも被害者にもなって病んでいく国アメリカに対する苦悩を、子供の頃から慣れ親しんだ国歌を歪ませた音で極度にゆがんだメロディで演奏することで表現したのではないでしょうか。
ウィキペディアによるとジミヘンは「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな」という名言を残しています。
それは彼が主張した正論でしょう。
その反面、彼は紛れもなくアメリカという国に愛国心を持っていたのではないかとウッドストックの「星条旗よ永遠なれ」を聞くと思ってしまうのです。
例えそれが、悲しみと怒りを含んだ愛情であったとしても。
映像は延々と繰り返される演奏のごく一部です。
Jimi Hendrix - National Anthem U.S.A (Woodstock 1969)
終わりに
4回にわたってウッドストックのボックス・セットを聞き、YouTubeの画像を見て、自分も69年のロック・フェスティバルに行ってきたような充足感です(大げさですが)。
よくこれだけのミュージシャンを集めたものだと思います。
それぞれに魅力のある演奏でしたが、特に印象に残ったのはやはりジャニス・ジョプリン、そしてジョニー・ウィンター、アルヴィン・リー、CCRそして今回のジミヘンでしょうか。
蛇足ですが、Wikipediaによれば招待されて断ったミュージシャンやタイミングが合わなかったミュージシャンにボブ・ディラン、サイモンとガーファンクル、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリン、シカゴ、ムーディ・ブルース、フランク・ザッパ、ドアーズ、ジェスロ・タルなど当代きっての大物が挙がっています。
バーズなどは「ごく普通の夏のロック・イベントだと思った」から来なかったとか。
残念な話です。
一説によるとビートルズ、ローリング・ストーンズにも招待状が行ったということですから、もし全員が承諾していたら大変なことになっていたでしょう。
夏だ!祭りだ!『ウッドストック』その 3 -ジェファーソン・エアプレーン、ザ・バンド、ジョニー・ウィンター他
今晩は、ロンドンVixenです。
先々週、先週に続き今回はウッドストック・ボックスの3枚目です。
3枚目の出演者は
ジェファーソン・エアプレイン
ジョー・コッカー
カントリー・ジョン&ザ・フィッシュ
テン・イヤーズ・アフター
ザ・バンド
ジョニー・ウィンター
ジェファーソン・エアプレイン
ウッドストックはバンドによって演奏時間が違いますが、多くが1時間前後のところジェファーソンは1時間40分も演奏しており、当時の人気を伺わせます。
ウッドストックに参加したのは、ヨーマ・カウコネン(g)、ポール・カントナー(v、g)、マーティ・バリン(v)、ジャック・キャサディ(b)、グレース・スリック(v)の他に嬉しいことにジェフ・ベック・グループが解散したばかりのニッキー・ホプキンスが参加しています。
個人的にジェファーソンというバンドはそれほど馴染みがなく、代表作の『サイケデリック・ピロウ』とグレース・スリックのベスト盤を持っているものの、それほど熱心に聴いたことがありません。
CD収録曲は「ボランティア」、「サムバディ・トゥ・ラヴ」、「サタデイ・アフタヌーン/ウォンチュー・トライ」、「アンクル・サム・ブルース」、「ホワイト・ラビット」。
「ボランティア(Volunteers)」
マーティン・バリンがリード・ヴォーカルを務め、グレースとポール・カントナーがハモっています。
中盤、ギターのソロが好き。さすが名ギタリストの誉れ高いヨーマ・カウコネン。ニッキーのピアノもいい。
「サムバディ・トゥ・ラヴ(Somebody to Love)」
大ヒット曲でグレースの当時の夫の兄弟ダービー・スリックの作。
「Don’t you want somebody to love」のコーラス部分は、当時フリー・セックスが全盛だったサンフランシスコで、「でも本当に愛する人はいらないの?」という問いかけになっていたという(Wikipedia)。
グレース・スリックの声はやはり迫力があります。
アドリブも入り、スタジオ録音よりもぐんぐん引き込まれます。
「サタデー・アフタヌーン/ウォンチュー・トライ (Saturday Afternoon/Won’t you Try)」
これはとてもハーモニーが美しい曲。
最初グレース・スリックとマーティ・バリンがハモっていて、途中からポール・カントナーが加わり、3者で絶妙にハモっている。
ジャック・キャサディのベースがいいし、カウコネンも申し分ないかっこよさ。
映像で見る面々のヒッピー風ファッションもご愛嬌。
Jefferson Airplane Live @ Woodstock 1969 Won't You Try _ Saturday Afternoon.mpg
「アンクル・サム・ブルース(Uncle Same Blues)」
アンクル・サムはご存知アメリカ政府を擬人化した人物像。
のちにホット・ツナのアルバムに収録された曲で、ギタリストのカウコネンがヴォーカルを独演しています。
ゴテゴテのブルース、いいなー。
ニッキー・ホプキンスのピアノ文句なし。キャサディのベースも。
「ホワイト・ラビット(White Rabbit)」
ホワイト・ラビットは「不思議の国のアリス」に登場する白ウサギですが、子供向けの歌ではありません。
ドラッグのトリップで不思議の国や鏡の国を訪れ、アリス、赤の女王、ナイト、キセル芋虫が出て来たりしています。
ヒットした曲でグレース・スリックの歌唱力も分かりますが、うーん今ひとつ自分にはピンときませんでした。
グレース・スリックにしてもジャニス・ジョプリンにしても当時はドラッグ漬けだったに違いありませんが、78歳で存命のグレースと26歳で他界したジャニス。運命は残酷です。
ジョー・コッカー
2014年に他界したジョー・コッカー。
このアルバムにでは「Let's Get Stoned」と「With a Little Help from My Friend」を収録。
前者はレイ・チャールズでヒットしたR&Bナンバー。後者は言わずと知れたビートルズのカヴァーです。
両者とも元歌からの乖離が凄い。
おそらくこの人の場合、誰のどの曲を歌ってもジョー・コッカー流なのでしょう。
当時25歳にして人生に疲れ酔いどれた中年男の悲哀すら感じさせる渋い声とこの表現力。
ビートルズのカヴァーは結構鳥肌ものです。
テンイヤーズ・アフター
「アイム・ゴーイン・ホーム」
これはすごい。
早弾きのアルヴィンことアルヴィン・リーのギターの魅力が炸裂。
リズム・セクションも負けていません。
Woodstock - Ten Years After - I'm Going Home(Live)
ザ・バンド
ザ・バンドはアメリカ中心の活動をしてきているがオリジナル・メンバーはカナダ出身。
ウッドストックに参加したのは、ロビー・ロバートソン(g, v)、リック・ダンコ(b、v)、リーヴォン・ヘルム(d、v、マンドリン)、ガース・ハドソン(kb)、リチャード・マニュエル(kb、v、d)。
CDに収録されたのは「Long Black Veil」、「Loving You Is Sweeter Than Ever」、「The Weight」の3曲。
ロング・ブラック・ヴェール(Long Black Veil)はカントリーバラードで多くのミュージシャンによって演奏されています。
殺人の疑いをかけられ処刑された男。実は冤罪で、事件の夜は親友の妻と一緒に過ごしたが、情事を知られて女性を傷つけるよりも死を選んだ。
真実を知る女性は処刑の日大勢の中で人知れず涙を流し、のちに喪の黒いヴェールを風になびかせ墓にやってくるという歌詞。
素朴なハーモニーが後味の悪いドラマを淡々と語り、イントロから入るオルガンが崇高な余韻を醸し出します。
続く「Loving You Is Sweeter Than Ever」はモータウン発のR&Bナンバー。
ザ・バンドにしては意外な選曲ですが、カントリー風にアレンジをしています。
ギターの小気味良いカッティングと、バックのオルガンが印象的。
「The Weight」は何とも懐かしい曲で、初めて聞いたのが中学生ぐらいだったでしょうか。その時の演奏がザ・バンドの元曲だったかニッティ・グリッティだったかは忘れましたが、今まで記憶の奥底に沈んでいました。
映画「イージーライダー」の中でも使われたそうです。
バックのピアノとオルガンがいいですね。
中盤でベースのダンコが普通にベース弾きながらリードヴォーカルを歌ってドラマーのヘルムと掛け合いやっているのが面白い。
The Band ... the Weight 1969 @ woodstock live
ジョニー・ウィンター
ジョニー・ウィンターは弟エドガー(kb)とともにウッドストックに出演しています。ベースはトミー・シャノン、ドラムは”アンクル” ジョン・ターナー。
CDに入っているのは「Mean Town Blues」。 この曲はエドガーは入っていません。
12弦エレキを金属製のボトルネックでスライドさせて弾く極限の白人ブルースは泥臭い一方、時に繊細で可憐ですらあリます。
ギター・テクも曲も筆舌に尽くしがたい素晴らしさですが、長身のジョニーがプラチナブロンド(エドガーともにアルビノ)をなびかせてステージの上を舞うさまは、この世のものとも思われないほど神秘的で、天界から舞い降りた人の様な不思議な美しさです。
これはCDだけだと味わえないステージ・パフォーマーの魔力です。
とにかく凄いのでぜひ見てください。
Johnny Winter Live at Woodstock playing Mean Town Blues - 1969. Johnny Winter Dies July 16th 2014.