カンタベリー系の2枚目にお勧めのハットフィールド&ザ・ノースの『ザ・ロッターズ・クラブ』
今晩は、ヴァーチャル・パブのロンドンきつね亭です。
今日はハットフィールド&ザ・ノース(H&TN)の『ザ・ロッターズ・クラブ』でいってみます。
H&TNは、以前当店で『ピンクとグレイの地』を取り上げたキャラバンのリチャード・シンクレア(v、b)、Eggに居たデイヴ・スチュアート(k)、マッチングモール出身のフィル・ミラー(g)、ゴング出身でフィルの幼馴染みのピップ・パイル(d)の4人で1972年に結成され、カンタベリー・ロック界のスーパー・グループと言われました。
今回の『ザ・ロッターズ・クラブ』は、バンドの2枚目にして最後のアルバムです。
あまり評判がよくないこのジャケット、往年の女優風赤毛美女が何やら絵を描いています。裏を見ると広場に集まった大人と子供、空にはペガサスに乗って空を駆ける金髪女性、暗雲に包まれ地獄の使者らしき者に連れ去られる人物、と不思議な絵。イラストレータは何を思って描いたのでしょうか。
系
さて、今日は英国産スパークリング・ワインがお勧めです。
シェア・イット(Share It)
1曲目の「シェア・イット」は軽くノリのいい曲。
曲が始まってすぐに「あれ、どこかで聞いたことがある」という印象。
この曲、キャラバンそのものなんですね。同じ人が書いて歌っているのだから当然ですが、曲調といい節回しといい、『ピンクとグレーの地』の一曲と言われても全く違和感がありません。
耳についてすぐに覚えられそうなメロディ。ブリテッシュ・フォークの片鱗も垣間見えます。リチャード・シンクレアの声は耳に心地いい。
ヴォーカルとユニゾンで走っているキーボード、中盤に入るシンセサイザーのソロがすごくいい。
なお、このアルバムを通じて歌詞の意味はほとんど理解不可能です。難解というより脈絡なく話が進むので何の話なのか見えない。
「Don't take it seriously」と歌っているように彼ら自身歌詞に意味を持たせる意図がないのかもしれません。
ラウンジング・ゼア・トライング(Lounging There Trying)
ギタリストのミラーの作。
インプロヴィゼーションらしいジャズ・ギターのソロ。それに絡んでいる恐らくこれも即興のフェンダー・ローズ・ピアノの高音の煌き。途中から入っていくベースの音の美しさ。ドラムが刻む変則的なリズムの心地よさ。
このアルバムでもかなり好きな曲です。
インストゥルメンタル3曲
「ジョン・ウェインは心理学の顎にパンチを見舞う(John Wayne Socks Psychology on the Jaw)」、「脂っぽいスプーンの混沌(Chaos at the Greasy Spoon)」、「イエス、ノーの間奏(The Yes No Interlude)」という頭を抱えたくなる題名の3曲が組曲形式に演奏されます。
「ジョン・ウェイン云々」はファズを利かせまくったオルガンとギター、吹奏楽器が入り一体どこが西部劇のスターなのかと訝る間も無く終わり、瞬く間に「脂っぽいスプーン」へ。
キース・エマーソンを思わせるムーグの一節にホルン。たしかに音による汚いスプーンの状況説明ですが、これもサッと終わって「イエス・ノー」に移っている。
「イエス・ノーの間奏」これはノリのいい楽しい曲です。
初めはプログレ、ファンク、さらにジャズへ。サックス以下吹奏楽器とギターのクワ・クワ音。エレピの陰鬱げなソロ。リズムが楽しくてもう少し聴いていたい感じです。
「フィッター・ストークは入浴中(Fitter Stoke Has a Bath)」 と「大した事ないよ(Didn't Matter Anyway)」
「フィッター・ストーク」は軽快な曲で、エレピがヴォーカルとユニゾンになっています。
例によって歌詞は意味不明で「君は俺の人生をかっこいいと思っているんだろう。毎日多くの人に会って外国の色々な場所にも行けて。でもたまに正気になるとお笑いなんだよね、これが」という一番は分かるとしても、2番でいきなり「みんなが君のことをスウェーデン人だといってたね。君はチョコレートをねだったよね」と脈絡がない。
挙句に「誰かが俺を探していたら、今風呂で溺れている最中だから」と。
このユーモアだか支離滅裂だか分からない歌詞をリチャード・シンクレアが甘い声で淡々と歌っています。途中でブクブクという泡の音とともに水中で歌っているような仕掛けになっているのも面白い。
中盤のフルート・ソロが絶妙にいいし後半のギター・ソロもいい。
銅鑼が鳴る辺りからはシンセサイザーによる宇宙空間のような不思議な音世界です。
そこから「Didn't Matter Anyway」の美しい景色へ。
この曲のジミー・ヘイスティングスのフルートの美しさは圧巻。
恋人との淡白な別れの歌ですが、曲調はお伽話を紡いでいるようでもあり、朝露に濡れた英国の田園風景を見ているようにも思える。
フルートとキーボードが絡み合っている箇所は2本のフルートの澄んだ音色が絡んでいるように聞こえます。
Hatfield and the North – Live (1990)
8曲目の「アンダーダブ」はビニール盤ならB面の1曲目。
短い曲ながら王道のジャズロックです。
主役はローズ・ピアノだけどこの曲のベースがめちゃくちゃカッコいい。
「おたふく風邪(Mumps)」
Mumpsは20分に及ぶ大作で、3部で構成される組曲形式になっています。
冒頭のエレピ、オルガン、彼方で歌う女声のクワイアーによる静謐な数分間のあと、突如ドラム、ベース、ギター、Eピアノが参入。
前半はギターのソロ、エレピのソロ、女性のスキャットで同じテーマが展開されます。
ここは乾いた音のベースの動きに注目。
シンクレアがミュージカル調の節回しで歌う「ABCの歌」というまたもや意味不明の歌が入って、後半の見せ場はヘイスティングスのサックス・ソロ。
右から入ってくるサックスに左のギターが呼応する絶妙な掛け合い。
一旦フェードアウトした後の終盤には同じくヘイスティングスのフルートが女声コーラス(ノーザレッツ)のスキャットとかぶさる。
夜の静寂に響き渡るようなフルートはまさに鳥肌ものです。
ボーナス・トラックでは「Halfway Between Heaven and Earth」 (ドラムがかっこいけど、一体どうしてこんな予測不可能なコード展開で歌っているんだ)とか「Oh Len's Nature!」(カンタベリーにヘヴィーロックをやらせるとこんな感じ)のような面白い曲が入っていますが、スタミナ不足なのでこの辺で。
終わりに
圧巻の演奏テクもさることながら、すっと入って来やすい曲が多く、癖になるような節回しや小気味のいいリズム、うっとりと聞き惚れる美しい演奏などが散りばめられています。
私のようなカンタベリー入門者にはキャラバン『ピンクとグレーの地』に続く2枚目として入りやすいアルバムと思います。
注)本記事中の日本語題名はきつね亭が勝手に付けたものです。
B級?好き嫌いが分かれるR・ストーンズの「ブラック・アンド・ブルー」
今晩は。ヴァーチャル・パブのロンドンきつね亭です。
さて今回はローリング・ストーンズの『Black and Blue』をやって見たいと思います。
ミック・テイラーが辞めてしまった当時、ストーンズは後任のギタリストを探していました。
候補に上がっていたのはジェフ・ベックを筆頭にロリー・ギャラガー、ハンブル・パイにいたスティーブ・マリオットとピーター・フランプトン等々。
ってそんな個性が強いギタリスト入れてどうするんだという感じもしますが。
このアルバムはギタリストのオーディションの意味合いもあったと聞きます。
最終的にはフェイセズを辞めたロン(ロニー)・ウッドが正式にメンバーになり、このアルバムで初登場していますが、8曲中ロンのギター参加は3曲のみ。
他の候補者の一人であったキャンド・ヒートのハーヴェイ・マンデルとセッション・ミュージシャンのウェイン・パーキンスが他曲のセカンド・ギターを務めています。
このアルバムは正直万人受けはしないかもしれません。
現に1976年のローリンング・ストーン誌の記事をみると、「以前と同じバンドと思えない」、「彼らの特色だった凄まじいエネルギーの代わりにテキトーさが目立つ」、「いくつかの演奏やヴォーカルの巧さはあるものの、魂が入っておらず曲の構成も手抜き」と、もうボロクソです。
一方で、ストーンズのアルバムのトップ5に入ると言っている人もいます。
私に関しては初めて買ったストーンズのアルバムがこの『ブラック・アンド・ブルー』で、2000年を超えるまでこの一枚とベスト・アルバムの合計二枚しか持っていませんでした。
視聴者としては後発もいいところですが、その後他のアルバムを聴いてから改めてこのアルバムを聴いてみて、「かなり好き」というのが率直な感想です。
では聴いてみましょう。
お勧めはレゲエ調の曲に合わせてラムとシェリーを使ったジャマイカ・マティーニというカクテルです。
ファンキーな曲
このアルバムはファンク、ロック、レゲエ調の曲、バラード、ジャズ系の曲が混在している印象です。
第1曲目の「ホット・スタッフ(Hot Stuff)」はファンキーな曲です。
ディスコ文化全盛期の音です。
ギターのカッティングがカッコいい。
リズムセクションがひたすら同じリズムを刻む中、ピアノ、ギター、ヴォーカルがアドリブで入ってきます。ビリー・プレストンのピアノもいいし、ハーヴェイ・マンデルのギターソロも時々妙なノートが入っているものの悪くない。
ただし全体としてバラけた感があります。ベース、ドラム、リズム・ギター、パーカッションのリズムがなんとかツナギになっているという印象です。
ストーンズらしいロック
2曲目の「ハンド・オブ・フェイト(Hand of Fate)」はいかにもストーンズらしい曲。後ノリのリズム、引きずるヴォーカル、キーズ・リチャーズらしいギター。「ブラウン・シュガー」にも通じるところがあって、誰が聞いてもストーンズ以外ありえない曲です。
最終曲の「クレイジー・ママ(Crazy Mama)」も従来のストーンズらしい曲です。
この曲ではキースがベース、ロン・ウッドとミック・ジャガーがギターという変則的な入り方をしています。
それにしても、スタジオ録音でこれほど揃わないコーラスも珍しい。ライブならかろうじて許されるレベルで各自が蛮声を張り上げています。
この曲と比べると「ギミー・シェルター」辺りがいかに端正な曲であったかと気付かされます。ギターも同様です。ある程度意図的にやっているような気もするし、面白いっちゃ面白いんですけど。
レゲエ調の曲
3曲目の「チェリー・オー・ベイビー(Cherry Oh Baby)」はアルバム中唯一のカバー曲で元歌はジャマイカのレゲエ・ソングライター。
ロン・ウッドのギター、ニッキー・ホプキンスのオルガンが入っています。
この曲のチャーリー・ワッツのシンバル、ハイハットの入れ方がいい。
コーラス部分は、ジャマイカ辺りの集会所で地元の人たちが歌っているようなローカル感が漂っています。
大昔の学生時代の夏にカリブ海の某島で2週間ほど仕事をした際、地元の小学校の構内から聞こえてきたレゲエの節回しを、燃えるように真っ赤な花が咲く火炎樹とともに思い出しました。
「ヘイ・ニグリータ(Hey Negrita)」はレゲエ、ファンク、ブルースが混ざった曲。
ニグリータは黒い娘さん、の意味で差別用語だと批判が出たところ、ミック・ジャガーから「ニカラグア人妻(当時)のビアンカをニグリータと呼んでるけど何か?」という発言が出てさらに物議を醸しました。
重いけど歯切れのいいリズムの心地よさ。さすがワッツとワイマン、だてにストーンズのリズム・セクションやってません。ビリー・プレストンのピアノもいい感じです。
バラード
4曲目の「メモリー・モーテル(Memory Motel)」。このアルバム中一推しの曲です。
ノスタルジックで美しい。
この曲ではミック・ジャガーがピアノ、キーズ・リチャーズはエレピ、ハーヴェイ・マンデルがリード・ギターという編成です。
海に面したメモリー・モーテルで一夜を過ごしたハシバミ色の目をした女性。
しっかりした自立心を持った女性のようで翌朝はピックアップ・トラックを運転してボストンに行ってしまう。自分はバンドのツアーでバトン・ルージュに行かなければいけない。一夜限りの相手だけど強い印象に残った女性。
ハーヴェイ・マンデルのギターソロがいいです。
ミックの歌唱力が際立つ曲ですが、後半にCo-Vocalとしてキース・リチャーズのソロ・パートが入っているのも一興。
7曲目の「愚か者の涙」はこのアルバムで唯一ヒットチャートに登場した曲。
ブルース系のバラードですが、ミック・ジャガーの歌の上手さに感嘆します。
歌詞は、「私」が家に帰ると、幼い娘がやってきて「パパ、どうして泣いているの?泣くなんておかしいよ」という。愛する家族がいるはずなのに虚しさを感じている男の涙と、無邪気な娘の対話が描かれています。ちょうど娘のジェイド・ジャガーが幼少だった頃の曲でしょうか。
ミック・ジャガーってこんなに心の機微を歌えるシンガーだったのか、と。
ニッキー・ホプキンスがピアノとシンセサイザーで参加。
シンセサイザーによるストリングスの音も優しく美しい。
ジャズ系の曲
「メロディ(Melody)」はビリー・プレストンのピアノから始まる気だるいジャズがかったブルース。
のったりのったりと重いリズムを刻むドラムとベースの上に、インプロヴィゼーションであろうピアノ、ギターのフレーズが乗っていきます。
「メロディ、それが彼女のセカンド(ミドル?)ネーム」というフレーズが延々と繰り返され、この倦怠ムードが何ともいい。
場末のクラブで半分酔っぱらって聞きたい感じです。
歌詞で「俺は彼女を探していた。まるでマスタードがハムを必要とするように」という辺りが妙に村上春樹っぽかったり。時折ジャングルのサルの叫びのようなミック・ジャガーの奇声が入っていたり。
「メモリー・モテル」に次いで好きな曲です。
終わりに
ブライアン・ジョーンズ、ミック・テイラーというギタリストの時代を見てきた人たちは、ファンクをやってみたりレゲエに感化されているストーンズに「こんなのストーンズじゃない」と思ったかもしれません。
また少々粗雑な印象の曲もないとはいえません。
その一方で「メモリー・モテル」や「愚か者の涙」のような名曲もあり、レゲエ調、ジャズ系の曲も面白い。(ビリー・プレストンの貢献も大きい)
賛否はあるけれど、過渡期にあるストーンズの記録として、個人的にはかなり楽しめるアルバムだと思います。
ポップスを侮っていけないスティーリー・ダン『プレッツェル・ロジック』の密度
今晩は。ヴァーチャル・パブのロンドンきつね亭です。
今回はスティーリー・ダンの第3作目、1974年発表の『プレッツェル・ロジック』を聴きたいと思います。
このバンドはこのアルバム収録の「Rikki, Don't lose the number(リッキーの電話番号)」や「ドゥー・イット・アゲイン)(Do it again)」のヒットで知っていましたが、アルバムをまともに聴くのは初めてです。
スティーリー・ダンは後年ジャズ・フュージョンのミュージシャンとして高く評価されるようになりましたが、このアルバムの頃はポップスを基調にロック、ジャズ、ブルースが同居している印象です。
では、NYのセントラル・パークのプレッツェル売りのおじさんのジャケットに敬意を表してマスタードをたっぷり塗ったプレッツエルをおつまみにバドワイザーでアメリカ気分を。
Rikki Don't Lose the Number(リキの電話番号)
ビルボードの4位となったヒット曲。
離れていくガールフレンドのリッキーにこの番号無くさないで、気が変わったら電話くれ、と言っている歌詞なのですが、マリファナを暗喩しているという説もあり真偽のほどは不明です。
フラパンバ(マリンバの親戚)の印象的な音のイントロに続き、ウォルター・ベッカーのベース、ピアノが入ってきます。
ヴォーカルのバックを彩るいい感じのピアノはマイケル・オマーシャン、あれ最近どこかでお会いしたと思ったらロギンス&メッシーナの1枚目にも参加してました。
ドラムは「いとしのレイラ」にも参加した名手の誉れ高いジム・ゴードン(彼はのちに精神に異常をきたし大変な事件を起こしますが、それはさておき)。
このアルバムの後ドゥービー・ブラザーズのメンバーとなったジェフ・バクスターのギターソロが冴えています。
リズムもよくハモリも心地いい。ヒット曲になるべくしてなった曲と言えるでしょう。
ちなみにバック・コーラスにポコのティム・シュミットも参加していますが、これは言われなければ分かりません。
RIKKI DON'T LOSE THAT NUMBER (1974) by Steely Dan
2曲目の「ナイト・バイ・ナイト」はファンキーな曲。ドラム、クラヴィネット、リズムギターが一体となって密に刻み続けるリズムの心地よさ。ドラムは19歳のジェフ・ポーカロで後のTOTOのドラマー。いい仕事しています。
「Any Major Dude Will Tell You(気取り屋)」
表題曲、リキと並んで人気のある3曲目です。
気取り屋という邦題に違和感がありますが、これは落ち込んでいる友人を慰めている曲です。
フェイゲン、ベッカーの二人がNYから南カリフォルニアに来た時、Dude(奴)というスラングをしょっ中耳にして面白いと思ったのでタイトルに取り入れたとのこと。
アコギのイントロから始まり電子ピアノとエレキの音色が優しくハーモニーが美しい。
ウェストコースト・ロックの曲という印象です。
4曲目の「Barrytown(バリータウンから来た男)」。
アコギ、ピアノ、フェイゲンの爽やかなヴォーカルで軽やかに流れるようなフォーク・ロック調の曲。
ビートルズの「テル・ミー・ホワット・ユー・シー」にやや似た節回し。
が、楽しげな曲調と相反して歌詞は半端なくキツい。「あんたの出身がどこか知ってるよ。あそこの連中はかなり奇妙だからね」「あんたのおかしな服装、髪形」「敵とは言わないけど、仲間が欲しいなら他に行って探しなよ」「理由のない偏見と思うなよ」とモロ差別発言。
ちなみにバリータウンはフェイゲンとベッカーが行った大学の隣町で、統一教会の拠点があるため教会信者のことか?という誤解釈も見られますが、統一教会がこの土地に拠点を設けたのは1975年のことで曲が出来た後なのでおそらく無関係。
5曲目、LPのA面最後は「East St. Louis Toodle-OO」。アルバム中唯一、フェイゲン&ベッカーではなくデューク・エリントンとババー・マイリーの作。ラグタイム風の演奏の中、プランジャー・ミュート奏法(トランペットのベルの前にトイレ詰まりに使うゴムの吸着カップを当てて音を籠らせる奏法)をギターのワウファズで模して興を添えています。
6曲目の「Parker's Band」はチャーリー・パーカーへのオマージュ。
ドラムの歯切れの良さが心地いい。ピアノ、サックス、トランペットを配したジャズの要素を持ちながらヴォーカルのコーラスによってサザン・ロックの様相も呈している面白い曲。
次の「Through with Buzz(いけ好かない奴)」はピアノ、ストリングスで始まり、所々チェレスタらしい高音が入る。アメリカのロックというよりもヨーロッパのプログレのバンドがやりそうな曲です。
Pretzel Logic (プレッツェル・ロジック)
表題プレッツェル・ロジックの意味はわかりません。
食べ物のプレッツェルとは関係ないようですが。 吟遊詩人の一行に入って南の国に行ってみたい、とかナポレオンは会ったがないけれどそのうちに時間を作って、とか歌詞も支離滅裂のように思えます。
アメリカ人の評論家が「分からないことを言っているが、自分たちには分かってるんだろうよ」と言っていますので、日本人の自分が分からなくても仕方ありません。
別のバンドの時も書きましたが、こういう重たいブルース系のシャッフルは好きです。
特にズッタ、ズッタと繰り返すブルースのベースから時々遊びに出てくるベースライン。
ジム・ゴードンの重たいドラミングの間にタイミングよく入るシンバル。
その上に被さっているヴォーカルとギターの掛け合い。
この曲のリードギターはウォルター・ベッカーですが、かなりの部分をインプロヴィゼーションで弾いているように聞こえます。中盤のギターソロはドラマチックで秀逸です。
後半に入ってくるオマーシャンのピアノ、さらにサックス、トランペットもいい。
この曲にもコーラスでティム・シュミットが参加しています。
9曲目は「With a Gun (銃さえあればね)」。
君を見たことがある、このドアから走り出してきたのを見た。
金が払えなくなって、手に握った小さな塊で決着をつけたのか。
雨の中に倒れる彼を置き去りにして。
もうすぐ町を離れるつもりなんだろうが、捕まりそうになっても俺に連絡しようと思うなよ。
物騒な歌詞ですが、アコギと美しいハーモニーが印象的。
曲調はアメリカというよりもブリティッシュ・フォークを連想させ、ストローブスの曲だと言われても信じてしまいそうです。
10曲目の「Charlie Freak (チャーリー・フリーク)」
チャーリーはスラングでコカインの意味で、コカイン中毒のホームレスの死を歌っています。
チャーリー・フリークの全財産は宝石の付いていない金の指輪だけ。
もう5日も何も口に入れていないし、寝る場所もない。
「私」はチャーリーの窮状につけ込み金の指輪と引き換えに端金を渡す。
その金すらもドラッグに使われることを知りながら。
チャーリーが死んだ時、「私」はさすがに罪悪感を覚えて指輪を遺体の上に投げ返す。
この悲劇的な歌詞がピアノ、ベース、ドラムをバックに淡々と歌われます。
後ろに聞こえる女性コーラスのような音声は美しいながら寒気を感じます。
最後の鈴の音は現世の苦しみから解放されたチャーリーの死を暗示しているのでしょう。
最後の「Monkey in Your Soul(君のいたずら)」。
君は僕を縛り付けて置きたいらしいけど、もう御免だ。君の心に巣食う「サル」が怖いからね、と言う。
「サル」は罪のない「いたずら」ではなくて何かの依存症の意味でしょう。
ファンキーな曲でブラスが多用されています。
バクスターのギターソロは悪くないけど、全体として最後を飾るには今ひとつインパクトに欠ける曲という印象です。
最後に
一曲一曲は短いけどかなり密度の高い曲ばかりです。
日本発売時の帯には「さわやか革命」と副題が付いていたようですが、いえいえ逆にかなりズッシリ来る作品群です。
ジム・ゴードン、ジェフ・ポーカロ、マイケル・オマーシャンといったメンバー以外のミュージシャンも高い実力を誇る面々です。
スティーリー・ダンが5人編成の体裁を保っていたのはこのアルバムが最後。
バクスターはドゥービー・ブラザーズに入り、フェイゲンとベッカーの2名はさらに洗練された自分たちの理想の音を求めてジャズ・フュージョンで境地を開拓していきます。
その頂点が「Aja(彩)」と「ガウチョ」2アルバムではないでしょうか。
ベッカーは昨年(2017年)に亡くなり、フェイゲンはその後スティーリー・ダンとしてドゥービー・ブラザーズと合同で全米、英国でツアーを行っています。
ユーライア・ヒープ1枚目はジャケはエグいが中身は粒ぞろい
いやー何というか閲覧注意レベルといいますか。
ブラック・サバスじゃないんだし、ちょっと考えてくださいよ。
一気に食欲減退するじゃないですか。
ヒープの1枚目(1970)はその名も『Uriah Heep』で『Very ‘eavy, very ‘umble』という副題が付いています。
バンド名はディケンズ作のデイヴィッド・カッパーフィールドに登場する悪役ユライア・ヒープが由来や(おっと滑りましたか)いうことは『ソールズベリ』の記事で触れました。
その悪党ユライアの口癖が ”I am very ‘(h)umble” 。
それをもじってVery (h)eavyと名付けられたこのアルバムはまさにヘヴィーロックの金字塔というべきでしょう、
今日のお勧めはアルコール度数もトップクラスにヘヴィーな「ゾンビ・カクテル」です。
ジプシー(Gypsy)
いきなりヘヴィー・ロックの王道で来ましたね。
「ジプシー」はシングル・ヒットもしたかなり有名な曲です。
ファズの効いたオルガンに続いてベース、ドラム、ギターが入ってくるイントロ、ヒープらしいポーズの繰り返し、ファズを利かせまくったギターとオルガンの間奏、重厚なリズム・セクション、バイロン(v)の多重コーラス、終盤のオルガンとギターの破茶滅茶な絡み方。全てカッコいい。ケン・ヘンズレー(k)とミック・ボックス(g)、ナイス・ジョブです。
70年代のロックには、トラフィックのパーリー・クイーンを始めとしてジプシー女がらみの曲がやたらに多い気がするのですが、既存の価値観が崩れ去り異質なものに対する憧憬が出て来た時代背景なのでしょうか。
続く2曲目の「Walking in Your Shadow」。リズムとギター・フレーズが心地いい。
ベースの高音部分も美しいです。
バイロンの歌唱力はさすがと言うべきでしょう。
カム・アウェイ・メリンダ (Come Away Melinda)
アルバム中で唯一ヒープのオリジナルではない曲。
古いアルバムを見つけた少女メリンダと父との会話によって曲が構成されています。
アルバムに出てくる少女たちやメリンダの母は戦争によってすでにこの世にいない。
誰なの?誰なの?と無邪気に尋ねるメリンダと言葉少ない父の対話。
フルート(おそらくメロトロン)の音色に導かれ、アコギが紡ぎ出していくひたすら美しい曲。途中メロトロンによるストリングス、女性コーラスも美しい。
ベースラインも秀逸です。
『ソールズベリ』の「公園」と並んで、ヘヴィー・ロックのアルバムに敢えてこの曲を入れた意思を感じます。
Lucy Blues (ルーシー・ブルース)
4曲目は正統派ゴテゴテのブルースです。
ヘンズレーのピアノもオルガン・ソロも申し分ない。
このベースのドッタ、ドッタがいいですよね。ドラムも達者だし。
バイロンの歌唱力も素晴らしいです。が、欲をいえば声質にもう少し泥臭さがあれば満点かも。
5曲目の「ドリームメア(Dreammare)」。
オルガンによる鄙びたメロディのイントロの後、どっとヘヴィーなロックです。
ファズ利かせまくりのギターもドラム、ベースのズッシリ感もいい。
リアル・ターンド・オン(Real Turned On)
この手のブルース系の重たいシャッフル、文句なしに好きなんですよねー。
ミック・ボックスもヒープにこのギタリストあり、という存在感を出しています。
リード・ギターの多重録音でツインリードのように互いに絡んだり、ハモったりしているのがカッコいい。
7曲目のアイル・キープ・オン・トライング(I'll Keep on Trying)。
重たいコーラスで始まり、これぞヘヴィーという曲調。中盤にメロウな部分が入りさらにヘヴィーな終盤へ。
ポール・ニュートンのベースラインが絶妙。ミック・ボックスのギター・ソロもさすがです。
ウェイク・アップ(Wake Up)。
かなり変拍子の多い曲ですが、リズム・セクションが素晴らしい。とくにベース。
ヴォーカルと一緒に入ってくる冒頭のベースの高音も美しい。
女性コーラスとメロトロンによるストリングス音もいい感じです。
が、何と言ってもバイロンの歌唱力が生きている曲です。
ボーナス・トラックの最終曲の「ボーン・イン・ア・トランク(Born in a Trunk)」は本編とは多少違いドライブのかかった軽妙なリズムのロックで楽しい。ギターのカッティングがカッコいいし、ドラムのバタバタも結構快感。
最後に
大半の曲がデヴィッド・バイロン、ミック・ボックス、ポール・ニュートンによって書かれており、ケン・ヘンズレーが中心になっていく最盛期のヒープとは大分趣きが違い、プログレ的な要素も微かに察せられる程度です。
バイロンの特徴的ななファルセットも少ない。
しかしこのグイグイと押してくるヘヴィー・ロックの感覚。聞き終わった後にむしろ清清しさすら感じます。
『対自核』からが本番、それ以前は試行錯誤のような意見もネットに見受けられますが、私的にはこの1枚目とソールズベリ時代のヒープ、ブリティッシュ・ロックの中でもかなり高順位になっています。
クマのプーさんも登場するロギンス&メッシーナの1枚目『Sittin' In』
今晩は。ヴァーチャル・パブきつね亭です。
冬季オリンピックも無事閉幕しましたね。
今季はフィギュア・スケートは男子、スピード・スケートは女子の活躍が目立ってましたね。
さて金メダルの連覇を成し遂げた羽生結弦さん。羽生選手といえばクマのプーさん。
クマのプーさんが住んでいるのはプー横丁の家。洋楽界広しといえどもクマのプーさんを題材にしたミュージシャンはケニー・ロギンスぐらいでしょう。
ということで今回はロギンス&メッシーナの『シッティン・イン(Sittin’ In) 』を聴いてみたいと思います。
バッファロー・スプリングフィールドからポコを経て、ミュージシャン兼プロデューサー兼レコーディング・エンジニアをやっていたジム・メッシーナがポコ時代から知己のあったシンガー・ソングライターのロギンスと組んで売り出した1枚目です。
学生の頃は毎日のように聴いていたアルバムですが久々の登場です。
カリフォルニアはロシアン・リバー・バレーのピノ・ノワールがお勧めです。
ロギンス&メッシーナといえば、ハワイ気分満載のフル・セールについても記事をアップしましたので、よかったらこちらもご覧ください。
L&Mのアルバムは、ロギンスが書いた曲、メッシーナが書いた曲が各々の個性を光らせて混在しています。アルバムの順序とは不同になりますが、ロギンス、メッシーナ、共作の順で数曲を取り上げていきたいと思います。
ケニー・ロギンスの曲
ダニーの歌(Danny's Song)
このアルバムにはケニー・ロギンスが作詞・作曲・ヴォーカルを担当している曲が5曲入っていますが、最も有名なのがダニーズ・ソングでしょう。数多くのミュージシャンによってカバーされていて、アン・マレーのバージョンが有名になりましたが、何と言っても本家のが圧倒的にいい。
この曲はケニーの兄のダニー・ロギンス(ちなみに「Please come to Boston」がヒットしたデイヴ・ロギンスは再従兄弟(はとこ)らしい)が息子を授かったときに贈った曲。
今聴いてみてもいい曲です。
ロギンスによる弾き語りで始まり、右スピーカーから入ってくるメッシーナのギター。
2台のアコギの織り成す調べの美しさ。フィンガリング・ノイズすら美しい。
さらにピアノ、アル・ガースのヴァイオリン、ミルト・ホーランドのテンプル・ブロックを思わせるパーカッションの音。後半のヴァイオリン・ソロもいい。
Even though we ain’t got money, I am so in love with you, honeyのような「お金はないけど愛があるから」のように訳せばベタすぎる歌詞ですらメロディーの美しさで全然気にならなどころか、いつの間にか一緒に歌っている自分がいる。曲の力恐るべし。
続く3曲目のヴァヒヴァラ(Vahevala)。昔船乗りだった時のことを思い出す。大海原を漂い、ジャマイカにでも寄れば可愛い娘たちが出迎えてくれる‥。
この曲は作詞作曲のクレジットがダニエル・ロギンスとダン・ロッターモーザーとなっているので、おそらく曲を書いたのは「ダニーの歌」を贈られたケニーの兄。 のちの「フル・セイル」を思わせるカリプソ風の陽気な曲でパーカッションが活きています。
5曲目のバック・トゥー・ジョージア(Back to Georgia)はファンキーな曲。ロギンスは弾き語りの歌もファンキーなノリの良い歌もともに得意としています。のちにフットルースでブレイクしたことを考えると当然とも言えますが。
プー横丁の家(House at Pooh Corner)
A.A. ミルンの原作の児童文学を主題歌にしたこの曲は最初ニッティ・グリッティ・ダート・バンドのアルバム(Uncle Charlie and His Dog Teddy)に収録されてリリースされました。
L&Mバージョンは、意外にもムーグ・シンセサイザーとハモンド・オルガン、オーボエによるイントロ。ロギンスの伸びのある声が、ほのぼのした童話世界を紡ぎ出します。2台のアコギのコンビネーションの美しさは「ダニーの歌」同様です。
ミルト・ホーランドのコンガ、シェイカー(シャッシャッという音)、テンプル・ブロック、ゴングも面白い。
このほのぼのした物語世界「クリストファー・ロビンとプーがいた時代」はそこにあるようで、もう存在していない。だけど森の一画に行くと、まだそこにクマのプーさんがいてミツバチの数を数えたり、空に流れる雲を見上げたりしているような幻想がある。シンセサイザーの音が森に立ち込める靄のようにプーの世界と大人の現実世界を薄いヴェールで隔てているかのようです。
ジム・メッシーナの曲
リッスン・トゥ・ア・カントリー・ソング
ジム・メッシーナ自身はこのアルバムに3編の曲を書いていますが、アル・ガースとの共作のこの曲はいかにもメッシーナらしい作品です。
古きよき時代のことでしょう。土曜の夜にカントリー・ミュージック好きの親戚が集まって音楽大会。
父さんと伯父さんはギター、兄さんがフィドル、母さんはマンドリン。町の老シェリフまでがふらりと入ってきてバンジョーを手にしている。親戚の男が背後からスウ姉さんに近づいてくけど、柔道の心得がある姉は振り向きもせずに背負い投げを食らわすというコミカルなエピソードも入っている。
メッシーナのつぶれた声はカントリー調のロックンロールによく合っています。さらにマイケル・オマーシャンによるホンキートンク・ピアノとアル・ガースのフィドル(ヴァイオリン)のソロがかっこいい。これぞカントリーのフィドルという感があります。ドラムはブラッシュ・ドラムでチャッチャッという音を出しているのが面白い。
途中にスチールギターのソロが入ったかと思ったら楽器リストにスチールギターが載っていないのでエレキで出した音なのでしょう。
メッシーナがソロの前に「Take it, Alex」とミキサーのAlex Kazanegrasに指示した掛け声まで入っていて、スタジオ録音なのに親戚が集まって田舎の家で楽しくセッションしている和気藹々の雰囲気が醸し出されています。
L&M共作の曲
トリロジー(Lovin' Me, To make a Woman Feel Wanted, Peace of Mind)
このアルバム中、ロギンスとメッシーナの二人で共作したのはこの三部作のみ。
しかもLovin’ Meはメッシーナが、Peace of Mindはロギンスが書いているので、真ん中のTo make a Woman Feel Wantedのみが二人による作品です。
この3部作、まず二人のハーモニーが非常にきれいに決まっている。さらにファンキーな1部目からロックンロールの2部目のつなぎのオルガン・ソロがすごくいい。
2部目はラグタイム・ピアノも入って縦ノリの曲。交互にヴォーカルが入ってやがてハーモニーになるという、のちのL&Mにもよく出てくるヴォーカルのパターンを取っています。
1部目、2部目ともにラリー・シムズのベースが素晴らしい。
3部目はロギンスによる美しい曲でフルートもいい。
全体を通してみて、バッファローともポコとも違うL&Mの音がこの3部作で出来上がっていると言えます。
最後に
ジム・メッシーナのプロデューサーとしての力量は「フル・セイル」の記事でも触れましたが、ケニー・ロギンスという稀有なソングライターを見出し「売れる商品」に作り上げた能力はやはり流石というべきか。
一方で、ポコでもバッファローでもなく、ケニー・ロギンス単体とも違うL&Mの音というのができていて、このアルバムでは上記にあるようにトリロジーでその端緒が窺えます。
また、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド出身でポコのメンバーでもあったアル・ガースが器用にもテノール・サックス、アルト・サックス、リコーダー、ヴァイオリン(カントリー調のフィドル弾きも含め)、ヴィオラ、スチールドラムを演奏しているのも特筆に値するでしょう。
近年また二人で活動している映像がネットで見られます。上からで恐縮なのですがハモリに今ひとつ往年の冴えが無いように思えてちょっと残念です。
プロコル・ハルム『グランド・ホテルの夜』で酔いしれましょう
今晩は。ヴァーチャル・パブきつね亭です。
今日の名盤はプロコル・ハルムです。
そこの若い方、イスラム過激派の話じゃありませんよ。あれはポコ・ハラムですから。
プロコル・ハルムといえば、ある程度の年齢の方であれば、特に洋楽が好きでなくてもきっと1曲はご存知でしょう。そうです、「青い影」、原題は「A White Shade of Pale」。
私が若い頃は部費集めのダンス・パーティ(俗称ダンパ)というのが時々ありまして、大学の1年生なんかだと上級生にパー券を押付けられて、大して行きたくもないダンパにやや強制的に行かされたものです。ダンス曲の合間に照明がすっと落ちて、チークタイム(うわあ)が始まると、決まって流れた曲がなぜかこの「青い影」だったものです。
ちなみに青い影はミリオンセラーどころか一桁上の一千万枚売れたそうです。ラジオの深夜放送などでもよく流れた曲でした。
『グランド・ホテルの夜』はかなり好きなアルバムで、プロコル・ハルムの6枚目のスタジオ録音、1973年の作品です。
今日はちょっと豪奢にシャンパンの代名詞ドンペリのヴィンテージで行きましょう。たまには、ね。
グランド・ホテルの夜(表題作)
今夜は絹のシーツにくるまって寝よう。高級なワインを飲んで、レアの肉を食べて。キャンドルの明かりにシャンデリア、銀の皿にクリスタル‥‥。
今度はオテル・リッツの食事、金の食器、鏡張りの部屋、ベルベットの緞帳、とパリの豪華な夜を表す言葉を尽くせば尽くすほど、成金臭が半端ない。
言葉の端々に「ギャンブルで財産はあっという間に膨れ上がり、そして消えて無くなる」などと言っています。挙句の果てに「そういえば、ヨーロッパ女の妻(一夜妻?)はどこに消えたんだろう」「フランス女は喧嘩好きだから、早朝につねったり噛み付いたり」と滑稽な展開です。
ピアノの単純な繰り返しの上にヴォーカル、ベース、さらにドラムが入ってきて、ギターが粋な入り方をしたかと思うと、すぐにストリングス、コーラスが入ってワルツが始まる。リッツでの晩餐のシーンでは、ドラムのシンバルでしょうか、食器の触れ合うが聞こえます。
さらにワルツのモチーフが入り、今度はどんどんとテンポが上がって、いきなりオーケストラが哀愁に満ちたメロディーをドラマチックなまでに盛り上げていく。さらにワルツ、また円舞のテンポが上がって今度はギターのソロ。これがなかなかいい。
ワルツの繰り返しの合間にドラマチックなオーケストラの旋律、ロックの部分が次々に現れて面白い。
狂ったような円舞曲とオーケストラのメロディが大袈裟であればあるほど、滑稽というか、猥雑というか、デカダンというべきか。フランスの艶話をイギリス人が語っているような不思議な楽しさがあります。
表題作の次は「Toujours L’amour (トゥジュール・ラムール)」。永遠の愛という皮肉な題とは裏腹に、女が勝手に出て行って、取り残された男の歌です。ネコを連れて置手紙を残して彼女は出て行った。「フランスのヴィラを借りようかな。フランス娘と恋が芽生えるかも」、あるいは「スペインに行きリボルバーを買って自分の頭を吹き飛ばす方がいいかな」という剣呑な歌詞。
初期のビートルズにありそうな旋律の曲。ピアノ、さらにオルガンが効いていてギターのソロもいい。
ラム・テール(A Rum Tale)
小曲ながら好きな曲です。ピアノとベースが刻む3拍子が心地よく、メロディも可愛く美しくどこか懐かしい。途中から入ってくるオルガンもいい。作曲者のゲイリー・ブルッカー自身も、「メチャクチャ美しい曲を書いた」と言っている自信作です。
女に骨抜きにされた男が、南の島でも買ってラム酒漬けで暮らそうか、回想録でも書こうかと言っています。
4曲目のTV 「シーザー(TV Ceasar) 」。湿った印象のギター・ソロが印象的です。
テレビの皇帝マイティ・マウスが各家庭の壁の穴に潜んでいて人間を観察しているよ、という歌です。
ビッグ・ブラザーが見張っているオーウェルの小説のような状況でありながら相手がネズミだけにコミカル。大仰なオーケストラ仕立、大真面目なヴォーカルの語り口でシュールな曲です。
次の「スーヴェニア・オブ・ロンドン(A Souvenir of London )」では、2重のアコギとパーカッション、マンドリンにズシンと響くバスドラにのせて、ブルース調のヴォーカルが「嬉しくないロンドン土産」について歌います。親に言えず税関でも申告できない、医者に見せなければならないこの「お土産」はVD(性病)ということで、この曲はBBCで放送禁止になったという逸話が残っています。
6曲目の「Bringing Home the Bacon」はロックらしいロックです。途中のギター・ソロがいい。
「For Liquorice John」は恥辱にまみれ精神に異常をきたした男の歌で、最期は手を振りながら海に沈んで言ったという救われない歌詞。変拍子が面白く、後半のオルガンからのドラマチックな展開がプロコル・ハルムらしい。
ファイアーズ(Fires(Which Burnt Brightly))
粒ぞろいの作品中、表題作、ラム・テールと並んで好きなのがこのファイアーズです。
この戦いは負ける寸前で、大義名分は亡霊と化している。かつて煌々と燃えていた火は勢を無くしている。規律と進軍ラッパは塵にまみれ…。
悲惨な描写の背景に流れるのは冒頭からのピアノの旋律の美しさ。効果的なオルガン・ソロ。
さらに何と言ってもゲスト出演しているクリスティアーヌ・ルグランのソプラノ・ヴォーカルがいいのです。特に後半のスキャットは圧巻で何度も聴きたくなります。
下は2006年のライブ録音。ルグランのソプラノの代わりに合唱が入っています。
Procol Harum - Fires (Which Burnt Brightly) // Denmark - 2006
最後は「ドクター、私が病気なの分かりません?金ならいくらでも払うから何とかしてくれ」という歌詞が壮大なシンフォニーにのせて歌われるという「Robert's Box」でアルバムは幕を閉じます。
最後に
ピアノのゲイリー・ブルッカーが全曲を作曲し、作詞は楽器を演奏しないメンバーのキース・リードが担当しています。クリムゾンにおけるピート・シンフィールドの小規模版といった役割でしょうか。
死、病、失望といったテーマが何とも仰仰しくドラマチックな演奏や、美しいメロディに載せて歌われる辺り、プロコル・ハルムのブラックユーモアというべきか英国人らしい皮肉じみたものを感じます。
ポール・コットンのソロ1枚目は隠れた名盤
今晩は。ロンドンきつね亭の今夜のアルバムは、ポール・コットンの『Changing Horses』です。
ポール・コットンはアラバマ生まれのシカゴ育ち。ジム・メッシーナ脱退後のポコに参加しリード・ギターとシンガーを務めましたが、1990年に1枚目のソロ・アルバムを発表しています。
1990年。1960年代から1970年代の名盤を聴くというのがブログのコンセプトじゃなかったんでしょうか。
今回ブログのサブ・タイトルに「を中心に」というファジーな語を入れて見たりします。もう何でもありという感じですが、一応70年代の延長ということで。
ネバーマインドとか言って「赤ん坊がドル札と水泳をしている某バンドのジャケ」なんぞを出しましたら、「そりゃ守備範囲と違うだろうが」と突っ込みを入れてください。
このアルバムとの出逢いは、当時レコード屋で1曲目がかかっていたのを「今かかっている曲が入ったCDください」といういわば一目惚れならぬ一耳惚れだった記憶があります。
今日はラム、ライムとコーラのカクテルをお出ししましょう。
「アイ・キャン・ヒア・ユア・ハート・ビート(I can hear your heart beat)」
とにかくノリのいい1曲目。踊れます。
原曲はクリス・レアで、本アルバムで唯一のカバー曲になっています。
クリス・レアのオリジナルが入っていたCDも以前持っていましたが、そちらはもう少しアンニュイな雰囲気があったように思います。
ピッツバーグの工場にいても華やかなパリのクラブにいても僕は君のもの、という内容。「ヨーロッパのディスコ、若者が集まるジュークボックスがあって、冷えたコカ・コーラでも何でも手に入る」という歌詞の部分が特に好きで、昔のパリのディスコでティーンエイジャーたちがたむろしている様子が目に浮かぶようです。
イントロから入るドラムのキレの良さ。ドラマーは元スティーブ・ミラーバンドにいたセッション・ミュージシャンのゲイリー・マラバー。
この曲には「Sailing」のヒットで知られるクリストファー・クロスもバック・ボーカルで入っています。
1曲目のノリの余韻を残したまま始まる2曲目の「アイ・ウォーク・ザ・リバー(I walk the river」。このバックビート、このドラマー本当にいいです。
3曲目の「タイガー・オン・ザ・ローン」はクラブ・ミュージックの影響を感じる曲。好き嫌いはあるかもしれませんが、個人的にはギター・ソロも今ひとつ平凡な気がして印象が薄いのです。
次の「ヒア・イン・パラダイス」、パーカッションとテナー・サックスが活きています。ギター・ソロもいい感じ。
このアルバムではトロピカルなテーマが3曲にわたって登場しますがこのパラダイスは比喩で使われているようで、「彼女と自分は同じ港から違う方向に航海をする」、「ここに長居をしても同じ事の繰り返し」、「肩にオウム、背中にサルがいたけど、片方をもう一方と交換しなくてはいけなくて」という歌詞から察するに余り楽しい場所ではなさそう。
モラトリアムのような、あるいは煮詰まった状況のようですが、この曲の「のたり、のたり」感は結構心地いいものがあります。
ワン・ロング・ラスト・ルック (One Long Last Look)
1曲目と並んで好きな曲です。曲調はロックでバッド・カンパニーがやりそうな曲。
ボーカルのバックのミック・ラルフス風のギターもピアノもいい。
サビもいいし、Moving On以下は歌い方もブルースになっていて、ポール・コットン意外とブルースもいけるんじゃないかと新たな発見があります。
ハート・オブ・ザ・ナイト(Heart of the Night)
ポコ時代のヒット曲のアレンジ版です。
面白いことに、アルバムの英語の題名が「Changing Horses」になのに、日本発売時の邦題が「ハート・オブ・ザ・ナイト」になっているんですね。
ポール・コットン、忘れられているかも、でもポコのヒット曲なら知っている人がいるかも、みたいな発売元の思惑なんでしょうか。
ポコのカントリー・ロック的な要素は全くありません。のっけから入ってくる女性ボーカルのポーシャ・グリフィン、ソウルシンガーのようですが、この曲の魅力の半分以上は彼女に取られています。只者ではありません。
アコーディオンとサックスのアレンジもよくポコ時代と比べて洗練された曲になっています。
7曲目のアフター・オール・ディーズ・イヤーズはラテンのテイストが入ったラヴ・バラードですが、特に印象に残る曲ではないので軽く聞いて次へ。
ジャマイカン・レイン (Jamaican Rain)
「ジャマイカの雨」というタイトルなのに、歌詞にジャマイカは出てきません。我が心の奥に雨が降る、と歌っています。縦ノリのレゲエ風のリズムですが、軽快さがなく重厚。このベースがかなり快感です。ピアノがやたら自己主張していますが、雨音のようでこれも心地いい。おそらくキーボードだと思いますが、雷鳴を表すかのように爆音が所々に入っています。
ハイ・ウォーター(High Water)はパーカッションで始まるラテン系のけだるげな美しい曲。記憶とイマジネーションの中の南の海の情景を歌っています。特にハーモニーが美しい曲で、これもクリストファー・クロスがバックに入っています。
フロム・アクロス・ア・クラウデッド・ルーム (From Across a Crowded Room)。人が大勢いる部屋の向こうから彼女が近づいてきて始まった恋。映画のシーンのようですね。この曲もドラム、ベース、パーカッションのリズム・セクションが秀逸。中盤の歌うようなギター・ソロも綺麗に決まっています。
最後に
1曲目に魅かれて衝動買いしたアルバムですが、通して聴いてみるとかなり後半はラテン音楽の影響が感じられます。ポコらしさは殆ど感じられません。
ロック、ブルース、ラテンとこなすポール・コットンのヴォーカルもさることながら、このアルバムを支えているドラム、ベース、打楽器、それにバックグラウンドのヴォーカリスト達に拍手です。