ホテル・ツェッペリンはグレイトフル・デッドのファン必見のホテルだった
サンフランシスコのこのホテルの前を通るたびに、すごく気になっていたんです。
その名もホテル・ツェッペリン。
気になりますよね。
オーナーさんが飛行船のファンなのか、はたまたロックファンなのか。
取り合えずホテルのサイトを見て飛行船のファンではないらしいことは確認できました。
で本日ついにホテルの奥深くまで探訪することに。
入った途端にバッド・カンパニーの「シューティング・スター」の曲がお出迎え。
アフリカ系アメリカ人の男性とキュートな金髪女性が座っている受付に向かいます。
「あのー、ブログに載せたいんですが、ここのホテルの内部を写真に撮っていいでしょうか。」
この一言を言うのにそれは心臓がバクバクしました。
もう駄目もとです。虎穴に入らずばブログ記事を得ずです。
すぐに男性の方が支配人に許可を得る電話をかけてくれました。
その間キュートな女性は「大丈夫に決まってるわよ、どんなブログなの?」とすごくフレンドリー。
「クラシック・ロックのブログをやっているので、ロックっぽい内装があったらと思って」
「それだったら地下と4階の通路がおすすめよ」
そこで男性が電話を切ります。
顧客や従業員が画像に入らない限りホテル内の写真撮影はオーケーですとのこと。
やったー!
さっそくお勧めの地下に。
ロックではありませんが、60年代です。モッズです。
娯楽エリアのこんなピースマークとか、
会議室のこんなイラストとか。(真ん中の黒いディスプレイは余計ですね)
下のほうの黄色とオレンジの花、めちゃ60年代です。
さらに4階の回廊に行くと、そこにはグレイトフル・デッドのアルバム・ジャケットのディスプレイが。
各階の突き当たりにもデッドのメンバーとサンフランシスコの風景を重ね合わせたアートがクローゼットドアになっています。(写真だと今ひとつ分かりにくいですね)
受付に戻って来た私はさらに厚かましいお願いを。
「客室も見ていいですか?」
きつね亭はサンフランシスコから1時間ほどの場所に住んでいますので、わざわざ宿泊代を払って泊まるのは辛いものがあります。
が、ここまで来たら客室はぜひ見たい!
金髪の女性が空室を調べて、自ら連れて行って下さることになりました。
このバスルームの壁紙が見たかったんです、実は。
右上の切れている部分はサンタナです。スティーブ・ミラーバンドの名も。
他は知らないバンドが多いのですが、なぜか下のほうにブライアン・ジョーンズの名前があります。
グリーン・デイのような新しめのバンドも載っています。
ツェッペリンはおろかパープルもピンク・フロイドもありませんが、かなりのこだわりを持って特注したのでしょうか?
「天井は撮らなくていいの?」と聞かれて、見上げたら照明でこんなマークが。
今回見せていただいた部屋ではないですが、部屋によってはLP用のターンテーブルと貸出用のLPレコードを置いている部屋もあるらしい。
最後に散々御礼を言って、
「それにしてもレッド・ツェッペリンの画像やオブジェないんですね」と聞くと
「そうなのよ。でも画像を使ったらすぐ訴えられちゃうしね」との返事が返って来ました。
でも館内ではよくLed Zeppの曲はかかるけど、と。
ふーん、ということはデッドについて肖像を使う権利を買ったのかな?
実はサンフランシスコ内の3件ホテルを持っていて、他の二つも「Z」で始まるのでこのホテルも自然にツェッペリンと名付けられたとのこと。
ツェッペリンの名前で検索してこの記事見られた方がもしいたらごめんなさい。レッド・ツェッペリンとは関係ありません。
グレイトフル・デッドのファンの方や60年代モッズが大好きな方がサンフランシスコに来られる際にはお勧めです。
スタッフさんが感じがいいのに加えて客室もとても気持ちのいい落ち着いたお部屋でした。今回写真は載せていませんが、入口近くのティールームもなかなか素敵です。
Hotel Zeppelin San Francisco
545 Post Street, San Francisco, CA 94102
hotelzeppelin.com
415-563-0303
Union Square から歩いて3分位です。
キャラバン「グレイとピンクの地」でカンタベリー系にデビュー
今晩は。ヴァーチャル・パブの倫敦きつね亭です。
なぜかご縁がなくて全く聴いていない音楽の領域というのがあって、カンタベリー系(The Cantebury Scene) というのがまさにそのジャンルでした。
プログレを真面目に聴いていなかったといえばそれまでですが、全くレーダーに引っかからなかったというのも不思議で、最近までカンタベリーといえばチョーサー、ぐらいしか連想できませんでした。
あ、一応英文学出身です。
売り方が地味なのか、これがアルバム・ジャケがイエスのようにロジャー・ディーンとか、ピンク・フロイドのようにヒプノシス辺りを採用していたら
ミーハーに飛びついていたような気もしますし‥。(後期キャラバンでヒプノシスをジャケに起用)
いえ、ひとえにプログレ不勉強の所為です。
という訳で、今回キャラバンの『In the Land of Grey and Pink(グレイとピンクの地)』でカンタベリー系ロックにデビューを飾りたいと思います。
まずこのアルバム・ジャケがトールキンの物語のようなメルヘンチックな柄で、フォークロア系のとっつき易い曲が多いのではないかと踏んだのですが、この読みは半分当たり、半分はずれました。
では聴いてみましょう。
今日は、第2曲目のタイトル「Winter Wine」にちなんで、秋から冬のジビエ料理にも合うマルベックはいかがでしょうか。
ポップスもバラードも全楽器が楽しい
聴き始めてすぐ頭をガーンと殴られたような衝撃‥‥はありません。
第1曲目「ゴルフ・ガール(Golf Girl)」と第3曲目「ラブ・トゥー・ラブ・ユー(Love to Love You (and tonight Pigs Will Fly))」は可愛らしいポップス調の曲です。
ゴルフ場の紅茶売りの女の子が可愛かったので3杯紅茶をお代わりしてたら雨が降ってきて二人で雨宿りをしてキスをした。何ですかこれは、という歌が第一曲から出て来て、微妙なガッカリ感が。
もっとも二度目に聴いてみてガッカリはすっかり解消されました。出てくる楽器出てくる楽器が楽しい。サックスあり、ピアノあり、ピッコロの高音の実に美しいソロが入り、オルガンのソロ。 チェレスタみたいな音も聞こえますが合成音?チャカポコいってるのはテンプル・ブロックみたいな打楽器なのでしょうか。
3曲目は何やらきわどい歌詞ですが、ノリのいい曲であのテンプル・ブロック(みたいに聞こえた)楽器が最初からリズムを取っています。この曲もフルートとピッコロが美しい。
どちらも妙にクセになる、しばらくすると又聴きたくなる不思議に楽しい曲です。
第2曲目の「ウィンター・ワイン(Winter Wine)」と第4曲目の表題作「グレイとピンクの地(In the Land of Grey and Pink)」は、これぞイギリスという安心感のある英国正統派フォークの流れを汲んだ作品です。
アコースティック・ギターの美しい調べから始まって、芳醇な美酒がもたらす幻想の世界をリチャード・シンクレアの声が吟遊詩人のように描きます。
1小節入るピアノのフレーズ、ギターと聞きまがうデイヴィッド・シンクレアのオルガンの圧倒的なソロ、「ベルがなって」という歌詞のところで入る鈴の可愛い音色、と聞き所は多いものの、この曲で圧巻なのは何と言ってもリチャード・シンクレアのベースライン。
このベースを聴けただけでこのアルバムを買ってよかったという気になれます。
、
第4曲目の「グレイとピンクの地」。
この曲もケルトを思わせる美しい旋律です。少し前に取り上げたストローブスの曲にも似ていて、デイヴ・カズンズもリチャード・シンクレアもこうしたバラードものに向いた声質です。
ピアノのソロが雨音のようで可憐です。
シンクレアxシンクレアの圧倒的なパワー
アルバムのどの曲もリチャード・シンクレアの圧倒的なベースラインが支配していますが、圧巻なのは前述の「ウィンター・ワイン」、「グレイとピンクの地」と「9フィート・アンダーグラウンド」。
なんてセンスがいいベースなんだろうと。自分が学生だったら必ずコピーしてみたくなるベースラインです。
昔のライブの画像を見たら、このベースを弾きながらボーカル部分を歌っているんですね。Wow! きつね亭が選ぶベーシスト10傑(まだ選んでいませんが)に必ずランクインされると思います。
リチャードのベースと双璧をなすのが従兄のデイヴィッド・シンクレアのキーボード。キーボードが弱い、あるいは存在しないプログレ・バンドというのも考えつきませんが、この人はすごい。
シンセサイザーやメロトロンも使っていますが、何といってもオルガンのソロ、ピアノ・ソロがカッコよすぎます。
キーボードに明るくないのでハモンドとの違いが分かりませんが、オルガン・ソロの部分はFarfisa社のオルガンに目一杯ファズを効かせているのでエレキ・ギターに似た音になっているとか。
自分がギタリストだったら泣きたくなりますよね。「ちょっと、そこ俺がソロやる場所だろ!」って。
ロック史のなかで、なぜこの人がキース・エマーソン、リック・ウェイクマンと並んでメジャーじゃないのか。 いや、単に自分が知らなかっただけなのかもしれませんが。
インプロヴィゼーションの魅力
最後の「9フィート・アンダーグラウンド」はジャズ・フュージョン系の20分以上におよぶ大作。
ベースとドラムスの下地の上に、オルガン、サックス、ギター、またオルガン、シンセサイザー、ボーカル、ピアノ、メロトロンが次々と登場する。
それぞれおそらく即興でやっている部分が多いのだと思うが、入り方、間合いが天才的に仕組まれています。
とくにオルガンとベースが絡む場面が何カ所もあるが後半のクライマックスは「いいもの聴かせていただきました」と御礼を言いたい気分です。
楽器のリストに「キャノン(大砲)」と載っていたけれど、大砲の音入っていましたっけ?
「9フィート・アンダーグラウンド」の意味が分からないけれど、ふつう「6フィート・アンダー」というと6フィート掘られた穴に葬られた棺に入っている(つまり死んでいる)ことなので、9フィートはそれより深いけれど同じ意味で死者の立場から現世に遺した女性を思って歌っている歌なのか?歌詞が抽象的なのでこの部分は分かりません。
最後に
密度の高いアルバムで聴き終えると心地よい疲労感があります。
とくに最後の「9フィート・アンダーグラウンド」は23分弱の曲だけど、徹頭徹尾テンションが高いので飽きることがありません。
初めてのカンタベリー系ロック、楽しい経験でした。
シド・バレットは天才なのか?
今晩は。ヴァーチャル・パブ倫敦きつね亭です。
コアなピンク・フロイドのファンで一枚目『The Piper at the Gates of Dawn(夜明けの口笛吹き)』が一番好きだという人を何人か知っています。
彼らはシド・バレットこそ不世出の天才、と口をそろえます。
破滅型の天才 ー かつて私がシド・バレットに抱いていたイメージです。
当時の録画を見ると大きな瞳の魅力的な表情でカリスマ性が古い画像でも伝わってくるものの、どこか危うさを感じさせる人物。
彼が2006年(わりと最近)60歳で糖尿病と膵臓癌を併発して亡くなったと聞いたときは少々驚きました。
当時のエピソードを聞く限り、70年代には廃人、死というコースを辿るかと思っていたので。
実際は精神科の治療を受けながら、母親の家に隠遁して絵を書いたり美術史の原稿を書いていたようで、ピンク・フロイドとは縁のない生活を20年以上送りミュージシャンとして復帰する意思もなかったとか。
20代で詩作をきっぱりやめた詩人アルチュール・ランボーを思わせます。
収録セッション中に、いつものようにふらりと外に出たと思ったらイビザ島まで行ってしまっていた、
コンサート前にステージの袖でグッタリしているのでロジャー・ウォーターズが無理矢理ステージに押し出したら、ギターを首からさげたまま棒切れのように突っ立っていた、
といった数々の逸話。エゴでしかも行動がエキセントリックすぎて他メンバーと共同作業が不可能になり、結果的に追い出される形で2枚目の『神秘』作成途中にピンク・フロイドを去った男。
強いエゴ、芸術家としてのこだわりに加えてLSDの多用がエキセントリックな行動の要因になっていたのは間違いありません。
バレット自身はコンサートでは「LSDを使って演奏の限界というのを試してみる」と言っているので、アーティストとしての実験としてLSDが使われていたのでしょう。
今では考えられない事ですが、LSD(アシッド)がイギリス、アメリカで非合法ドラッグとされたのは1966年のこと。
それまでは危険性もさほど認識されていなかったのでしょうね。
翌1967年にピンク・フロイドが1枚目のアルバムを作った時点でミュージシャンの彼らにLSDが入手困難であったとは思いにくい。
それを考えるとLSD中毒ではあったが、一概にバレットが破滅型の性格だったため、と言うのは早計かもしれません。
では「天才」という評価についてはどうなのでしょうか。
今日はシド・バレットが中心になって作成した『夜明けの口笛吹き』を聴きたいと思います。
1967年発表なのでちょうど半世紀前(!)のアルバムということになります。
ジン&トニックをお供にお付き合い下さい。
作詞家としての才能
シド・バレットはミドル・クラス出身で美大で絵画を選考しています。
当時のロック・ミュージシャンにワーキング・クラスの出身が多かった一方で、シド・バレットは子供のころからケネス・グレアムの『たのしい川べ』やトールキンの文学などに親しんでいたのでしょう。
『夜明けの口笛吹き』のタイトル、作品には知識のポケットの多さの片鱗を感じさせるものがあります。
アルバム・タイトルは、バレットが自身を『たのしい川べ』に登場するパン神になぞらえてつけたもの。(パン神が吹くのは口笛ではなくパンパイプという笛だと思いますが、『夜明けの笛吹き』ではカッコがつかないので口笛とした辺り、翻訳者さんも苦労しますね。)
「地の精(Gnome)」については、トールキンに出てくるホビットに似ています。
また「Chapter 24」の歌詞は易経の書物から取った易学らしい。「6のステージで完成し7番目で元に戻る」などと言われても私には何のことやらさっぱり分かりませんが。
また絵画科の学生だったことを裏付けるようにバレットの詞には色彩が多く使われています。
「Astronomy Domine(天の支配)」にはライム色、澄んだ緑、青と青のせめぎ合い。
「Flaming(フレイミング)」 にはバターカップとタンポポの黄色。
「地の精」が着ている明るい赤のチュニックに青緑色のフード。
「Scarecrow(黒と緑のかかし)」は表題通りの黒と緑。
「バイク」では赤と黒の上着。
というようにビジュアル面の美学が伺われます。
しかし彼の「詞」が天性の才能を発露しているかというと、私には分かりません。
「チャプター24」を除いて、前世代の子供部屋の情景だったり、宇宙旅行だったり、ネコに声をかけていたり、自分の彼女に持ち物を説明していたり、とシュールな印象はあるものの非常に分かりやすい。
クリムゾンのような難解さがある訳ではない。もし単純明解な歌詞に何か深い意味があるとしても、凡人の私には分かりかねます。
作曲者としての才能
このアルバムはビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』と同年に、同じアビーロード・スタジオを使って製作されていて、1967年当時、『夜明けの口笛吹き』は『マジカル・ミステリー・ツアー』と肩を並べうる位置にいた、という意見がネットに散見されます。
もしビートルズとシド・バレットに共通項があるとすれば、今までになかった曲作りをしているという点ではないでしょうか。
60年代の英米のミュージシャンの多くはR&Bの影響を強くうけていますよね。
ピンク・フロイドという名前もブルース・ミュージシャンのピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前を取って命名されたとか。
しかしフタを開けてみるとシドの音楽にはブルースを感じさせるところが全くといっていいくらいありません。
ジャズ、クラシック音楽の影響が強いのかといえばそうでもない。
敢えて言えば、多国籍に色々なものを取り入れて融合させることでオリジナリティを出しています。
例えば、『マチルダ・マザー』の間奏にはインドか中近東の音楽に使われそうな音階が使われているし、『黒と緑のカカシ』のイントロにいたっては、クロサワの『七人の侍』に使えるような田植え歌か馬子唄か何かを連想してしまうし。
冒頭の『天の支配』と『ルシファー・サム』は、聴いた事がない不思議な旋律。前者はとくにLSDのトリップ中に作曲したらしい。
シド・バレットはギターを弾きながら(あるいは鍵盤を叩いて)の作曲だけではなかったようで、ふらっと外に出かけたかと思うと、新しい『バイク』のメロディーを口ずさみながら戻って来た、という逸話も残っています。
そんなところも彼が天才であるという証なのでしょう。
結論
曲作りという点では後のプログレッシブ・ロック全盛期のほうが斬新性はあるのではないでしょうか。
シドの偉業、天才性は、あの時代にオリジナリティのある曲作りを一人で(LSDの助けを借りたにせよ)楽々とやり遂げていたことでしょう。
シド・バレットが亡くなったときデヴィッド・ボウイは「彼は自分にとってインスピレーションの源だった」と言っていますが、曲自体だけでなく全てオリジナルでイノベーティブなものを作りだす姿勢がボウイのインスピレーションをかき立てたに違いありません。
ピンク・フロイドの1枚目は「サイケデリック・ロック」という部類分けをされることが多いですが、今となってはサイケとかプログレとかの分類はあまり意味がないのではないでしょうか。
シドは自ら言ったとおりの、プログレ時代の夜明けを告げる笛吹き(パイパー)だったのだと思います。
蛇足ですが。。。シド・バレットを核にこのアルバムを聴きましたが、個人的にはピンク・フロイド全員で作った「Pow R. Toc H.」という曲も好きです。ジャングルの効果音に続くジャズのパートさらに「吹けよ風呼べよ嵐」を思わせるベースが。
フリーの伝記本『ヘビーロード』をゲット!
といっても新刊本をいち早く入手したわけではないので騒ぐほどでもないのですが、オーダーしていたフリーの本が届きました。
ペーパー・バックかせいぜい普通のハードカバーの大きさかと思っていたら、大きな箱からドサっと図鑑のような本が現れました。
2000年のイギリスの出版で、写真も文章も満載。メンバーの生い立ちからフリーの結成、バンド活動、その後の各メンバーの動き、コゾフの死まで克明に書かれています。
この本、日本では今年の10月6日に『フリー・ザ・コンプリート~ブリティッシュ・ブルース・ロックバンド「フリー」の栄光と奈落(仮)』という題で、改訂翻訳本(前回は自費出版で写真なし)が1500部だけ限定出版されるらしいので、結果としては新刊本をいち早くゲットしたような。
しかし1500部って。1万5000部ではなく、たったの1500部ですか?
日本では1971年に共立講堂とサンケイ・ホールでコンサートをやっていて、初日には5000人のファンを熱狂の渦に巻き込んだと書いてあります。
当時コンサートに行っただけでも万人単位だったはず。中にはデートのお付き合いとかで仕方なく行った人も居るかもしれませんが。下の私世代やもっと新しいファンなんかもいると思うので万はさばけると思うのですが。
もっとも当時のファンはすでに年金生活に入っていて、息子夫婦に遠慮しつつ年金からフリーの伝記本を買‥‥わないですよね、ふつう。
1972年にもELPが後楽園と甲子園でコンサートやったときの前座として来ています。フリーが前座とはえらく贅沢かと思いますが、当時のELPは何といっても飛ぶ鳥を落とす勢いだった一方、フリーは最盛期を過ぎていた訳で‥‥。
この時のメンバーはコゾフとアンディの代わりにテツ・山内さんとキーボードのラビットが入っています。『ハートブレイカー』と同じ編成ですね。
ロサンゼルスの知人が見せてくれた1972年当時のコンサート・パンフによれば、テツ・山内さんはロンドンでは大親友のサイモン・カークの家に一緒に住んでいて二人で飲みながら家で演奏したり、同じく仲のいいポール・ロジャーズの家に二人で遊びにいって朝まで三人でセッションしていることがしばしばだったとか。
そういう生活がふつうの日々とは何という贅沢。めちゃ楽しそう。テツさん、さすがすごいです。
その後はフェイセスのベーシストも務めておられましたね。
それにしてもこの表紙のポール・ロジャーズですが、後光がさして何か怪しい宗教の教祖に見えません?
60−70年代ロック 最も美しい曲ランキング!
今晩は。ロンドンきつね亭です。
今回はちょっと趣向を変えて、60-70年代ロックの最も美しい曲ランキングのトップ10をやってみたいと思います。
美しい、と申しますと非常に漠然としておりますが、取りあえずメロディが美しい、ボーカルや楽器の音が美しく心の琴線に触れる、という全く主観的な立場から独断と偏見で決めさせていただきます。
お酒はお休みにして、紅茶にキュウリのサンドイッチとスコーンでおくつろぎください。もちろん自家製のクロテッド・クリームと苺のプリザーブもお付けいたしましょう。
では第10位から参りましょう。
イーグルスの「ハリウッドワルツ(Hollywood Waltz)」
『One of these Nights』収録
「春、アカシアの花が咲く頃、南カリフォルニアの一日がまた始まる」という出だしのこの曲を聴いて以来、LAに行くたびにどれがアカシアの木だろうと気になっておりました。そのうち現地の人がこれがアカシアだと教えてくれたときには素直に感激したものです。
何人もの男達に尽くして利用され捨てられる、愚かだけど愛すべき女性。
彼女にワルツを捧げよう。欠点はあるが彼女を愛そう、彼女は得るよりも多くのものを与えてきたから。
滑らかなスチール・ギターと繊細なマンドリンの音色をバックに、ドン・ヘンリーが切ないけど癒しと希望を暗示する歌詞を歌っています。
ちなみにドン・ヘンリーのインタビューによると、この女性は具体的な人物ではなくLAを擬人化したもの、との事。
娼婦のように奔放だけど野心のある者たちに夢を見させてくれる天使の街、ロス・アンジェルスということでしょうか。
第9位 ローリング・ストーンズ「As Tears Go By(涙あふれて)」
ミック・ジャガーとキース・リチャーズが作詞作曲し、女優で歌手のマリアンヌ・フェイスフル(のちのミックの彼女)によるシングルがヒットし、のちにストーンズのバージョンが発表された曲。
フェイスフルのバージョンもYouTubeで聴いてみましたが、やはりストーンズのほうが断然いい。
キースの6弦と12弦のアコギ、さらに途中からは弦楽のアンサンブルをバックにミック・ジャガーが淡々と歌っています。
「私」は広場に座って子供達が遊ぶのを見ている。
子供達の笑顔。でもそれは自分に向けられたものではない。
お金はあるのに子供達の歌声を買うこともできない。ただ地面に落ちる雨の音が聞こえるだけ。
子供達は自分が昔やっていた遊びをしている。彼らはそれを新しい遊びだと思っているけど。
まだ若いミックとキースが自分たちが失ったイノセンスを歌っているのか、はたまた老人が昔日を惜しむ気持ちを想像して書いたのかは不明です。
若き日のストーンズ。ブライアン・ジョーンズがカッコいいです。
第8位 クイーンの「39」
『A Night at the Opera オペラ座の夜』収録
ロックには珍しいSFの曲。1年間のスペース・トラベルから戻って来たら、地上では長い年月が過ぎていて愛する者たちはもうこの世にいなくなっていた、という浦島太郎のような歌です。
リード・ボーカルはブライアン・メイですが、フレディ・マーキュリー、ロジャー・テイラーを加えたコーラスが美しく、ジョン・ディーコンがコントラバスを弾いているのも面白い。
スペース・オデッセイの歌なのに、どこか懐かしく曲調がむしろ私の好きな大航海時代の遠征を思わせるところがトップ10入りの評価になりました。
第7位 カンサス「Dust in the Wind (すべては風の中に)」
『Point of No Return』収録
この曲をはじめて聴いた時に、これって平家物語の冒頭そのものじゃない?と思いました。
英語版Wikipediaを見たら案の定、日本の戦記物語The Tale of the Heikeに酷似していると記載されていて、やはり考えることは皆同じかと。
「奢れる人も久しからず。ただ春の世の夢の如し。猛き者も遂には亡びぬ。偏に風の前の塵におなじ」(朝日新聞社 新訂『平家物語」より抜粋)
ネイティブ・インディアンの詩にも似たものがあるそうで、作詞・作曲を手がけたケリー・リヴグレンはそちらのほうの影響を受けたのかもしれませんね。
しかし無常の思想が非仏教社会でロックの歌詞になっているとは、お釈迦様でも知りますまい。
ヴォーカルのハーモニー、チューニングの異なる2台のアコースティック・ギター、中盤のヴァイオリンとヴィオラが、メロディーの美しさを引き立てています。
第6位 ジェスロ・タル「Cheap Day Return (失意の日は繰り返す)」『Aqualung(アクアラング)』収録
Cheap Day Return というのはイギリスの鉄道のオフ・ピークの格安日帰りチケットのこと。この邦題は少しずれていますね。
この歌の登場人物はプレストンの駅のプラットフォームでぼうっとして、タバコの灰がズボンに落ちるのも気がつかない。
看護婦がちゃんと父親の面倒を見てくれるんだろうかと心配している。
看護婦ときたら俺にはお茶を振る舞い、サインまでねだってくるんだから、笑えるじゃないか、と言う。
これはイアン・アンダーソン自身の父親が入院して見舞いにいったときの体験らしい。
クラシック・ギターの高音と低音がきれいに絡み、ケルティックな印象を醸し出しています。背景に微かに聞こえるのはオルガン?アコーディオンでしょうか。
1分20秒の短い作品ですがインスツルメントの美しさで6位入りを果たしました。
さて、上位5曲の発表です。
第5位 ELP 「Sage (賢人)」
『展覧会の絵』収録
前回『展覧会の絵』をデーマにしたときにも触れましたが、アコースティック・ギターのフレーズとグレッグ・レイクの声の圧倒的な美しさで5位が決定しました。
第4位 ジェネシス「For Absent Friends」
『Nursery Cryme (怪奇骨董音楽箱)』
これも1分48秒と短い曲です。
美しいピアノとギターをバックにフィル・コリンズの声が心地よく、え、もう終っちゃうの?3分ぐらいの曲にしてほしい、という感じです。
いろいろな解釈がウェブにも載っているようですが、自分には4人の仲良しの少年少女のうち2人がこの世を去って、残った2人がある寒い日曜の夕方に教会に行って亡くなった友達のために祈るという文字通りの状況に思えます。
どのような経緯で4人が2人になったのか。何かシュールな物語の一章のように思える曲です。
第3位 ユーライア・ヒープ
『Salisbury(ソールズベリー)』収録
『ソールズベリー』をテーマにした際、この曲についても触れました。
バイロンがファルセットの多重録音でハモっているのが美しい。
のどかな公園とそこに居ない人間の優しくも哀しい情景です。
第2位 ジャニス・ジョプリン「Little Girl Blue」
『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!(コズミック・ブルースを歌う)』収録
突然ですがきつね亭はジャニス・ジョプリンと誕生日が同じです。
加えて言えば、宇多田ヒカルと松任谷由実とも同じ誕生日です。
残念ながら3人の方々とは違い音楽的素養はありませんが、誕生日が同じというのは何となく親近感が湧きます。
ジャニス・ジョプリンの歌はどれを聴いても、凄いなーとただひたすら感嘆するばかりです。
この「リトル・ガール・ブルー」は、もう何と言おうか、何度聴いても後半には鳥肌が立ちます。
この曲でジャニスは実際の少女に話しかけているというよりも自身のインナーチャイルドに語りかけているように聞こえます。
Janis: Little Girl Blue というジャニス・ジョプリンの回想映画が作成されていますが、ジャニスはこの絶望的に孤独な少女である自分を短い生涯を通して引き摺っていたのではないでしょうか。
まだ聴いておられない方は、とにかく聴いて下さいとお願いするのみです。知っている方ももう一度聴いてみて下さい。
名盤『Pearl』にもこの曲のライブ版が収録されていますが、これはスタジオ録音のほうがよいと思います。
さて、第1位の発表です。
第1位 PFM 「Just Look Away (通り過ぎる人々)」
『The World Became the World (蘇る世界)』
ああ何だ、イタリアのバンドのきれいなフォークね。と思ったあなた、ひょっとしてまだお若いですね。
この曲の哀しさ、怖さを実感として感じられるのはアラカン以上です(というわけではありません)。
調子の狂った曲を弾く老バイオリン奏者、公園にたむろして世の中に対して唾を吐いている老人達、「記憶」というオーバーコートを着て、「自己中心」という名のスーツに身を固めている老人達。
この歌詞にはOldという言葉が5回使われています。
この曲の英語版を作詞したときピート・シンフィールドはまだ20代。
彼の視点で見れば、見向きもされない、もっと言うと目をそらされる老人達(今の日本で言えば下流老人)は単なる社会現象にすぎなかったことでしょう。
でも彼らにもおそらく栄光の日々はあったし、夢や希望に心燃やす若者だった時もあった。いま現役の人々がそうであるように。
そうした輝く過去の諸々を「記憶という名のオーバーコート」として着込むことさえ侮蔑と哀れみの対象になってしまう。
こんなやりきれない人々の世界を美しいメロディーでしらっと歌ってしまう。
メロトロン、ピッコロ、フルートの音色が悲しいほど優しい。目をそらして通りすぎていった人々より確実に残酷な気がします。
だから老人に優しくしましょうとか、年を経ているという理由でリスペクトしましょうという気は毛頭ありません。
自分がその立場になったら、ストーンズの「As Tears Go By」のように「自分がやってきたことと同じ事をやっているのに、彼らは斬新だと思っているんだよね」「彼らは生き生きとしていて笑顔で生きているけど、自分は彼らの一員じゃないよね」と寂しく呟くかもしれません。
いずれにしてもボーカル、インスツルメント、少々効いた毒、の全てを総合して「Just Look Away」を一位とさせて頂きました。
写真と投稿内容は直接関係ありません。
振り返ってみると、プログレ・バンドによる非プログレ曲が上位に幾つかランクしていること、選んだ曲がアコースティック曲中心であったことは予想の範囲でした。
また多くの曲目を通じて「無常」がひとつのテーマになったようです。移ろいゆく世の中。取り残される人たち。美は滅び行くもの。
我が世、誰ぞ常ならむ。
色即是空、空即是色。
聴けばハワイに行きたくなる!ロギンス&メッシーナの『フル・セイル』
今晩は。ヴァーチャルパブの倫敦きつね亭です。
先日のCSNに続き、バッファロー・スプリングフィールドつながりで、ロギンス&メッシーナに行ってみたいと思います。
バッファロー解散後のジム・メッシーナの活動、ケニー・ロギンスとの出会いはWikipediaなどに詳しく載っていますのでここでは割愛いたしましょう。
私的にL&Mは70年代の好きなミュージシャンのランキングでトップ10入りは間違いなく、アメリカ部門ではおそらくトップ3に入るだろうという、なかなか思い入れのあるデュオです。
L&Mの3枚目のアルバム、飲み物は1曲目にちなんでラム酒を使ったカクテルにいたしましょう。マイタイはいかがでしょうか。
ハワイ名産スパムのおにぎりもご用意しております。
気分はもう南の島
一曲目の「ラハイナ(Lahaina)」はリコーダーではじまる陽気なカリプソ風の曲。
マウイ島のラハイナでのんびりとラム酒のカクテルを待っていたら、ムカデがやって来ます。
サトウキビが育つラハイナ
時がゆっくりと過ぎていくラハイナ
マンゴーが甘いよ、ラハイナ
だけどムカデが足の上を這い回る
といった歌詞に、曲を通して奏でられるリコーダー、パーカッション、さらにスティール・パンの澄んだ音色がトロピカルな雰囲気を盛り上げます。
ハワイに行きたくなるというより、すでに南の島にいる気分ですね。
さらにこのアルバムの中盤には「Coming to You」というレゲエ曲が入っています。
ファンキーな「You Need a Man」という曲のあとに間隔をあけずメドレーのようにレゲエが入ってくるのが面白い。
レゲエはレゲエなんだけど、この曲はフルートが入って垢抜けた感じがします。
「ラハイナ」も「Coming to You」にしても、ジム・メッシーナの声はどちらかというとカントリー・ミュージック系のつぶれた声なのですが、こうしたラテン音楽にも違和感がありません。
「Watching the River Run (川の流れのように)」
これはいい曲です。
時間がない方はこの曲だけ聴いてお帰りいただいてもいい位です。
日本で発売当時に「川の流れのように」の邦題がつけられていました。
今となっては秋元康か美空ひばりの顔しか連想できないですが‥。
いえ、もちろんあちらもすばらしい曲です。
もう過去のことで悩まなくてもいい。
君は一人じゃない。僕は川、君は川岸。川の流れを一緒に見つめよう。
流れるにつれ、過去はひとつひとつ遠ざかっていく。
僕たちの人生は、まだ始まったばかり。
川の流れを見てその音に耳を傾け、その流れのように経験を増やし前を向いて行こう。
大まかな内容はこんな所です。
アコースティック・ギターとフルートの美しいイントロに続き、ケニー・ロギンスの包み込みようなソロ・ボーカルが始まります。
アコギのこのフィンガリング・ノイズがいいですね。
やがてメッシーナのマンドリンが入り、短いフルートとマンドリンの間奏につづきメッシーナがコーラスに参加。
この辺りから小川にだんだん広がりが出てきて、古い柳の下を流れ、恋人達に優しい歌を歌ったりする。
コーラスの間からマンドリン・ソロ、メッシーナとロギンスのボーカル・ソロがさざ波のように立ち上がります。
二度目のリフレイン "and it goes on and on' あたりからは、バックも入ったフルコーラスでエレキ・ギター、アコギ、ドラムス、ベース、フルート、マンドリンが総力で力強く、今や大河となって海に向かう川を表しているかのよう。
L&Mのアルバムは、各々の得意分野の曲が併存している部分が多いのですが、これは二人の合作のよる美しい名曲です。
「Pathway to Glory」
アメリカではこのアルバムで一番評価の高い曲のようです。
インストゥルメンタルの部分が長く、ドラムスとベースがリズムを刻む中、まずギターとピアノ、次いでハーモニカ、ヴァイオリン、エレキギターと次々にソロが入り、最後はエレキギターとヴァイオリンが絡みます。おそらくソロ部分はインプロビゼーションでやっているのではないかと。
アル・ガースのヴァイオリンが美しい。
L&Mの曲にしては英国プログレに近い曲という印象で、アメリカで一番高い評価というのは意外な気がします。
「Sailing the Wind」
船のロープの摩擦音と微かな波の音。
イントロから曲を通して効果音を入れているこの曲は、アルバムのフィナーレにふさわしい幻想的な航海の風景を歌っています。
自分は空の高いところをスカイ・シップで飛びながら、何マイルも下の海上で航海をしている自分自身を眺めているというファンタジックな歌詞。
ゆったりとしたメロディーとロギンスのボーカルが、帆をはらませる優しい風を感じさせ、エレキギターのソロとサックスが日没に近づきつつある海の寂寥感を漂わせています。
ラリー・シムズのベース
最後に特筆したいのがラリー・シムズのベースです。
シムズはL&Mのデビュー作からすべてのアルバムに参加しているベーシストで、このアルバムでもオープニングの「ラハイナ」から「Sailing the Wind」に至る全曲で実に存在感のあるベースを聴かせてくれています。
きつね亭的にはとくに「Didn't I know you When 」のベースのノリが好きです。
まとめると
アルバム・ジャケはもとよりレゲエ、カリプソなどでトロピカル・テイストを全面に出してはいるものの、それに終始した作品ではありません。
ロックンロールあり、ファンキー系もカントリー寄りの曲も弾き語りもあり、と盛りだくさんになっている。雑多なものが混在しているようでそれぞれが面白く、アルバム全体を見た時に多様性が魅力になっている。
アルバムを何度か通して聴いても飽きがこない作りになっているという点で、プロデューサーとしてのジム・メッシーナの狙いは成功していると言えます。
『CSN』はスティーヴン・スティルスの私小説?
今晩は。倫敦きつね亭です。
このところ、これぞブリティッシュという作品が続きましたので、この辺でアメリカ西海岸に飛んでみたいと思います。
今日の名盤はCS&N(クロスビー、スティルス、ナッシュ)の、その名も『Crosby, Stills & Nash(以下CSN)』というアルバムです。
このアルバムは学生時代に友人達がコピーしていたので散々聴いていましたが、あらためて通して聴いてみましょう。
今さら説明するまでもないですが、CS&Nは元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元ホリーズのグラハム・ナッシュの3人で編成されています。
この3人に同じくバッファロー・スプリングフィールド出身のニール・ヤングを加えたCSN&Yで出したアルバム『デジャヴ(Deja Vu)』とともに『CSN』は米西海岸ロックの歴史に残る名盤と言ってよいでしょう。
さて今日のお供は、懐かしのバーボン、フォア・ローゼズ(Four Roses)などはいかがでしょうか?
ハーモニー、ハーモニー、ハーモニー
CSNの魅力といえば、やはりハモリです。当たり前すぎると言われるかもしれませんが無視するわけには参りません。
何と言っても、スティーヴン・スティルスはあのジェリー・ガルシアにもハモり方を伝授したというから驚きです。
泣く子も黙るグレートフル・デッドのガルシアです。
ガルシアさん、『デジャヴ』収録の名曲「Teach Your Children」の特徴的なスチール・ギターを弾いているのも彼だと知ってまたびっくりです。
美麗なハーモニーはアルバム全曲を通じて随所で展開されるのですが、一押しは「どうにもならない望み(Helpless Hoping)」と「泣く事はないよ(You don't have to cry)」。
「Helpless Hoping」はアコースティック・ギターが一本のみの伴奏で、ハーモニーを聴かせるための曲と言っても過言ではありません。ぴたりと合った和音はときに鳥肌ものです。とくにリフレイン部分で、「They are one person, they are two alone, they are three together, they are for each other」の歌詞に沿って一人ずつ声が増えて被さっていく演出がニクい。
「You don't have to cry」は、アコギとベース、パーカッションを使ったアップテンポの軽快な曲。ここでも3人は一糸乱れることなく見事なハーモニーを聴かせます。この曲はさらに左右のスピーカーから来るギターの音が呼応しあってキラキラと美しい。
スティーヴン・スティルスのベース
初めて「青い眼のジュディ(Judy Blue Eyes)」を聴いた時、てっきりベーシストはスタジオ・ミュージシャンを入れているのかと思いました。ガンガン目立ってはいるけどセンスのいいベースだな、と。
ベースを弾いているのがスティルスだと知って、へえーという印象です。この曲はベース・ラインだけを追っていっても面白い。ただしベース音が耳に残りすぎて他の楽器とボーカルがほとんど入ってこない可能性があります。
「木の船(Wooden Ship)」のベースも面白い動きをしています。ブルース調の曲で多分スティルス自身が弾いているであろうブルース・ギターのソロとベースの絡み方がめちゃくちゃカッコいい。
「Long Time Gone(ロング・タイム・ゴーン)」は上記に比べると動きの少ないベースです。ベトナム戦争の激化、パレスチナ問題、各地の暴動という時代背景の中で、変革をしてくれるのではないかと期待したロバート・ケネディ上院議員も凶弾に倒れた。失意と怒りの中で書かれた「夜が明ける迄にはまだ大分時間がかかるだろう。だが、いつも夜明け前が一番暗い」というクロスビーの曲の中で、ベースの引き摺るような重低音が曲調の重苦しさを増幅しています。
青い眼のジュディ
ジュディとはシンガー・ソングライターのジュディ・コリンズで、当時スティーヴン・スティルスの彼女だった女性です。
写真のように青い瞳が非常に魅力的で、今ではもう80歳近いお年ですが年相応の美貌と気品を保っておられます。
下世話な話をしますと、当時精神的に不安定で摂食障害などに悩んでいたジュディ・コリンズに恋人だったスティルスは何とか克服してもらおうと手を差し伸べようとした。
しかしジュディからは放っておいてくれという態度をとられてしまう。
そうこうしているうちにジュディは知人の俳優と恋人同士になりスティルスの元を離れてしまう。ちなみに当時ジュディは30歳、6歳年下のスティルスはまだ24歳の若さでした。
とても魅力的だが若い彼には荷が勝った存在の恋人との別れが当時のスティルスの音楽面に大きな影響を与えたのは明らかで、CSNに彼が書いた曲は「青い眼のジュディ」をはじめ「泣く事はないよ」、「どうにもならない望み」、「49 バイ・バイ」と4曲がすべて恋人との別れ、あるいは分かれるまでの葛藤を書いた作品になっているんですね。
「青い眼のジュディ」はまさに破綻直前のスティルスの心理を生々しく表現しています。もう自分には無理だ、苦しい、寂しい、だけどどうにも出来ない、でもまだどうしようもなく愛している。もう結論は出ているのに、I am yours, you are mineと言わずにはいられない。あなたは自由になれるけれど自分は心が壊れてしまいそうに苦しい。
リズム・ギターとベース、エレキギターで軽やかに走る第一部から途中ドラムス、パーカッションが加わり、転調があるものの曲に重苦しさはない。曲自体単調でドラマティックな部分もない。
しかし歌われている歌詞はグズグズと泣き言を引き摺っております。
私がジュディ・コリンズだったら、元カレが自分を名指しした歌詞など発表したらそれだけで逃げ出したくなるに違いありません。それでもこの曲のデモ・テープ作成の間、コリンズがスタジオに同席していたというのだから、アーティスト同士というのは感覚が一般人とは違うのかもしれませんね。
さてこのお二人、時が苦い経験も醸成させたのでしょうか、近年は一緒にコンサートなど音楽活動を行っているようで、ウェブには人のよさそうなおじちゃん化したスティルスと美貌のおば様のコリンズさんが腕を汲んでいる写真も散見されます。
今年9月にはStills & Collinsというアルバムも発売になります。
まとめてみると
このアルバムのテーマは何なんだろうと考えますと、確かに「Long Time Gone」や「Wooden Ship」のような政治的なメッセージ・ソングがある。
「マラケシュ行急行」や「島の女」のような異国情緒で現実逃避的な歌もある。
が、通して聴くとどうしても印象に残るのは、スティーヴン・スティルスが書いた恋愛の辛さや葛藤、破綻の苦しみを描いた4作品です。
それも時間の経過を経て昇華して抽象化した作品というより、一人の個人を対象にしたリアルタイムのいわば生々しい私小説というか日記のような曲なんですね。
また演奏面でもスティルスはナッシュとクロスビーと比べて多くの楽器・楽曲で参加しており、どう見てもスティルスのほうが目立っている。アルバム貢献度において3人はイコールではありません。
CSNは3人のスターによるスーパーグループの作品というよりも、スティルスの私小説を中心に他の二人が自分の曲をはめ込んでつくったアルバム、そんな印象を受けてしまうのです。