ロンドンVixen 60年代ー70年代のロックを聴く

60年代後半から70年代の黄金期を中心にロック名盤・名曲を聴く(時々乱読)

『CSN』はスティーヴン・スティルスの私小説?

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今晩は。倫敦きつね亭です。

このところ、これぞブリティッシュという作品が続きましたので、この辺でアメリカ西海岸に飛んでみたいと思います。

今日の名盤はCS&N(クロスビー、スティルス、ナッシュ)の、その名も『Crosby, Stills & Nash(以下CSN)』というアルバムです。 

このアルバムは学生時代に友人達がコピーしていたので散々聴いていましたが、あらためて通して聴いてみましょう。

今さら説明するまでもないですが、CS&Nは元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元ホリーズのグラハム・ナッシュの3人で編成されています。

この3人に同じくバッファロー・スプリングフィールド出身のニール・ヤングを加えたCSN&Yで出したアルバム『デジャヴ(Deja Vu)』とともに『CSN』は米西海岸ロックの歴史に残る名盤と言ってよいでしょう。

 

さて今日のお供は、懐かしのバーボン、フォア・ローゼズ(Four Roses)などはいかがでしょうか?

ハーモニー、ハーモニー、ハーモニー

CSNの魅力といえば、やはりハモリです。当たり前すぎると言われるかもしれませんが無視するわけには参りません。
何と言っても、スティーヴン・スティルスはあのジェリー・ガルシアにもハモり方を伝授したというから驚きです。
泣く子も黙るグレートフル・デッドのガルシアです。
ガルシアさん、『デジャヴ』収録の名曲「Teach Your Children」の特徴的なスチール・ギターを弾いているのも彼だと知ってまたびっくりです。

 

美麗なハーモニーはアルバム全曲を通じて随所で展開されるのですが、一押しは「どうにもならない望み(Helpless Hoping)」と「泣く事はないよ(You don't have to cry)」。

 

「Helpless Hoping」はアコースティック・ギターが一本のみの伴奏で、ハーモニーを聴かせるための曲と言っても過言ではありません。ぴたりと合った和音はときに鳥肌ものです。とくにリフレイン部分で、「They are one person, they are two alone, they are three together, they are for each other」の歌詞に沿って一人ずつ声が増えて被さっていく演出がニクい。

 

「You don't have to cry」は、アコギとベース、パーカッションを使ったアップテンポの軽快な曲。ここでも3人は一糸乱れることなく見事なハーモニーを聴かせます。この曲はさらに左右のスピーカーから来るギターの音が呼応しあってキラキラと美しい。


スティーヴン・スティルスのベース


初めて「青い眼のジュディ(Judy Blue Eyes)」を聴いた時、てっきりベーシストはスタジオ・ミュージシャンを入れているのかと思いました。ガンガン目立ってはいるけどセンスのいいベースだな、と。

ベースを弾いているのがスティルスだと知って、へえーという印象です。この曲はベース・ラインだけを追っていっても面白い。ただしベース音が耳に残りすぎて他の楽器とボーカルがほとんど入ってこない可能性があります。


「木の船(Wooden Ship)」のベースも面白い動きをしています。ブルース調の曲で多分スティルス自身が弾いているであろうブルース・ギターのソロとベースの絡み方がめちゃくちゃカッコいい。


「Long Time Gone(ロング・タイム・ゴーン)」は上記に比べると動きの少ないベースです。ベトナム戦争の激化、パレスチナ問題、各地の暴動という時代背景の中で、変革をしてくれるのではないかと期待したロバート・ケネディ上院議員も凶弾に倒れた。失意と怒りの中で書かれた「夜が明ける迄にはまだ大分時間がかかるだろう。だが、いつも夜明け前が一番暗い」というクロスビーの曲の中で、ベースの引き摺るような重低音が曲調の重苦しさを増幅しています。


青い眼のジュディ


ジュディとはシンガー・ソングライターのジュディ・コリンズで、当時スティーヴン・スティルスの彼女だった女性です。


写真のように青い瞳が非常に魅力的で、今ではもう80歳近いお年ですが年相応の美貌と気品を保っておられます。

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下世話な話をしますと、当時精神的に不安定で摂食障害などに悩んでいたジュディ・コリンズに恋人だったスティルスは何とか克服してもらおうと手を差し伸べようとした。

しかしジュディからは放っておいてくれという態度をとられてしまう。

そうこうしているうちにジュディは知人の俳優と恋人同士になりスティルスの元を離れてしまう。ちなみに当時ジュディは30歳、6歳年下のスティルスはまだ24歳の若さでした。


とても魅力的だが若い彼には荷が勝った存在の恋人との別れが当時のスティルスの音楽面に大きな影響を与えたのは明らかで、CSNに彼が書いた曲は「青い眼のジュディ」をはじめ「泣く事はないよ」、「どうにもならない望み」、「49 バイ・バイ」と4曲がすべて恋人との別れ、あるいは分かれるまでの葛藤を書いた作品になっているんですね。


「青い眼のジュディ」はまさに破綻直前のスティルスの心理を生々しく表現しています。もう自分には無理だ、苦しい、寂しい、だけどどうにも出来ない、でもまだどうしようもなく愛している。もう結論は出ているのに、I am yours, you are mineと言わずにはいられない。あなたは自由になれるけれど自分は心が壊れてしまいそうに苦しい。


リズム・ギターとベース、エレキギターで軽やかに走る第一部から途中ドラムス、パーカッションが加わり、転調があるものの曲に重苦しさはない。曲自体単調でドラマティックな部分もない。

しかし歌われている歌詞はグズグズと泣き言を引き摺っております。

私がジュディ・コリンズだったら、元カレが自分を名指しした歌詞など発表したらそれだけで逃げ出したくなるに違いありません。それでもこの曲のデモ・テープ作成の間、コリンズがスタジオに同席していたというのだから、アーティスト同士というのは感覚が一般人とは違うのかもしれませんね。


さてこのお二人、時が苦い経験も醸成させたのでしょうか、近年は一緒にコンサートなど音楽活動を行っているようで、ウェブには人のよさそうなおじちゃん化したスティルスと美貌のおば様のコリンズさんが腕を汲んでいる写真も散見されます。

今年9月にはStills & Collinsというアルバムも発売になります。

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まとめてみると


このアルバムのテーマは何なんだろうと考えますと、確かに「Long Time Gone」や「Wooden Ship」のような政治的なメッセージ・ソングがある。

マラケシュ行急行」や「島の女」のような異国情緒で現実逃避的な歌もある。

が、通して聴くとどうしても印象に残るのは、スティーヴン・スティルスが書いた恋愛の辛さや葛藤、破綻の苦しみを描いた4作品です。

それも時間の経過を経て昇華して抽象化した作品というより、一人の個人を対象にしたリアルタイムのいわば生々しい私小説というか日記のような曲なんですね。


また演奏面でもスティルスはナッシュとクロスビーと比べて多くの楽器・楽曲で参加しており、どう見てもスティルスのほうが目立っている。アルバム貢献度において3人はイコールではありません。


CSNは3人のスターによるスーパーグループの作品というよりも、スティルスの私小説を中心に他の二人が自分の曲をはめ込んでつくったアルバム、そんな印象を受けてしまうのです。

 

 

田園、羊達の阿鼻叫喚、死刑執行人 ストローブスの「魔女の森から」

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今晩は。バーチャル・パブの倫敦きつね亭です。


今夜の名盤は「魔女の森から(From the Witchwood)」にいたします。
ディクソン・カーの小説に似ている?惜しい、それは妖魔の森です。
どちらかといえばブレアウィッチ・プロ‥‥いえホラー映画の話は止めておきましょう。

 

ストローブスはデイヴ・カズンズをリーダーとするバンドですが、このアルバムに参加した最も有名なメンバーはリック・ウェイクマンでしょう。
魔女の森から」はリックがイエスに参加する直前のアルバムということで日本でもそこそこ知られているのではないでしょうか。

 

今日のお飲物はダーク・エールでいかがでしょうか。

英国の田園風景

まずこのアルバムの特色は、非常に数多くの楽器が使われている点です。

6弦アコースティック・ギター、12弦アコギ、エレキ・ギター、ベース、ドラムスはもちろんバンジョーダルシマー、マウンテン・ハープ、シタール等。
ウェイクマンのキーボードだけでも、ピアノ、オルガン、ハープシコード、メロトロン、ムーグ・シンセサイザー、クラヴィネットチェレスタが使われています。


これらの楽器を駆使して描き出されるのは、イギリスの田園、それも産業革命前の農村地帯なんですね。

たとえば第1曲目の「僕は天国を見た(A Glimpse of Heaven)」で歌われている天国というのは、緑のパッチワークに覆われた丘陵、崩れかけた石の塀、小川の流れといったイギリスの伝統的な田舎の景色。

この曲ではアコギ、オルガンが基調ですが、川面に踊るキラキラした光の玉を表現するかのようにチェレスタが可愛らしい音色を奏でています。

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表題曲「魔女の森(Witchwood)」は、森の奥深く入り込んだ男が森の魔女が歌う美しくも妖しい歌声を聞いて木に変えられ、森の一部にされてしまうというゴシック・ファンタジー。

ウェスタンによく使われるバンジョーによるイントロとダルシマーが不思議にも、この曲から連想されるケルトというかドルイドというか、キリスト教が普及する以前のイギリスの暗い森の光景を違和感なく表現しています。

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後半の「羊飼いの歌」では、アコギ、ピアノ、メロトロン、チェレスタシタールで牧歌的な世界を創造し、「羊飼いの銀のトランペットが雨雲を吹き飛ばしてくれた」という歌詞に呼応してムーグ・シンセサイザーがトランペットに似た音を出しています。

シープ(Sheep)―羊たちの阿鼻叫喚地獄

初めて聴いたストローブスの曲はこの「シープ」で、何といってもその凄惨さに圧倒されました。
歌詞は農家の一家が自分んちの羊を屠殺場に連れて行く話が、農家の少年の視点で描かれています。
今もイギリスの地方で行われているのかは不明ですが屋外の家畜市場が屠殺場を兼ねているようで、柵から出された羊の戸惑いと怯え、棒で追い立てる大人達、パニックになった羊の右往左往、容赦なく羊を追い込んでいく牧羊犬たちの手際よさ、断末魔の悲鳴、重なり合っていく死骸、血が溝に流れ出していく様子が直裁に描かれます。

「ドナドナ」のような視聴者の想像力を喚起する余地は全くありません。

リックの凄まじい迫力のオルガンはこの強烈な曲にまさにふさわしい。オルガンの奔流が畳みかけ、羊たちを呑み込んで殺戮していくイメージです。

曲の前半で主人公の少年は気分が悪くなりながら「どうして彼等が単なる動物にすぎないなんて思えるんだ」と考えます。

ムーグとオルガンによる間奏をはさんだ終盤にはまわりの大人達の様子を観察する余裕が出てきたようです。

無表情で屠殺を見ている大人たち自身が羊と同じ愚かな存在に思えて、彼等にも哀れみを感じはじめた、となかなか冷めた子供です。

最後は「大人になったら牧畜はしない。愛という名の種を蒔いて幸せの実を刈り取るんだ」という夢がメロトロンとアコギの柔らかなメロディで語られます。

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(写真は投稿内容と直接関係ありません)

死刑執行人が処刑するのは誰?

「シープ」とならんでショッキングな内容がこの「死刑執行人の涙(The Hangman and the Papist)」です。


王の命令に背きカトリックの信仰を捨てることを拒んだ信徒が村で処刑されることになる。

処刑台が村の広場に設置され、くじ引きで村の若者が死刑執行人の役割をすることになった。若者は直前まで誰が処刑されるかを知らされていない。

執行人の恐ろしい仮面をつけ、いざ自分の前に引き出された罪人を見たとき彼の顔は蒼白になる。毅然とした様子で立っていたのは彼自身の弟であった。

必死に嘆願する執行人の願いも空しく、すみやかに処刑せよとの命令が下る。青年は涙を流しながら血を吐くようように「神よ許したまえ、あなたの御名のもとに彼を処刑します。神よ許したまえ、あなたの御名のもとに彼を処刑します」と繰り返す。といった内容です。

 

ここでも冒頭からオルガンの効果が半端なく発揮され、デイヴ・カズンズの迫力のボーカルと相まってストローブスを代表する印象深い曲となっています。

中盤から不思議な音が入っていて、YouTubeの画像を見るとキーボードの上を塵取り用コロコロのようなものを転がしていました。

きつね亭はキーボードに明るくないので、リック・ウェイクマンが何をどう使っていたのか分かりませんでしたが、もしご存知の方がここをご覧になったらお教えください。

 

アコギとピアノ、そしてハーモニー

このアルバムを通じてアコースティック・ギターの美しい曲が多いのですが、秀逸なのは前半の「空には夢が(Flight)」と「人生はバラの花(In Amongst the Roses)」。


両者ともにアコースティック・ギターアルペジオとハーモニー、ピアノのコンビネーションがすばらしい。


Flight」のほうはベースの動きにも注目。ベースの高音がきれいに入っています。


In Amongst the Roses 」は廃屋に咲き乱れるバラを摘もうとしている少女に、バラが優しく語りかけるという幻想的な曲。この曲はドラムスを入れず、アコギ、ピアノ、ベースがハーモニーを柔らかく包み込んでいます。

 

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ムーディ・ブルースの曲を連想させるのは、メイン・ボーカルがジャスティン・ヘイワードの声質に似ているからかもしれません。

結論

ブリティッシュ・フォーク、ケルティックプログレの要素を合わせもった曲を、多種多様な楽器を使って表現しているアルバムです。


農村、緑の丘陵、牧場、森が舞台で、前世紀の英国の田舎における美醜合わせもった人々の営みが各曲ごとに短編小説のように描かれています。


物語り世界としてはケン・フォレットの小説にも通づるものがあり、イギリスの地方風土などが好きな日本人には向くのではないでしょうか。

 あ、そうそう、久しぶりにパブ飯はいかがですか?

特性のシェパーズ・パイできますよ。ラムのミンチにマッシュポテトを乗せた本場のパイです。え、羊はいらない?

そうですか‥。ではカッテージ・パイはどうでしょう?こちらは子牛のミンチです。同じ事だ?失礼しました。ではまた次回という事で。

 

 

 

ELP「展覧会の絵」はひたすら楽しい!

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今晩は。バーチャル・パブの倫敦きつね亭です。
今日の名盤はELP展覧会の絵』。


ご存知のようにELPキース・エマーソン(k)、グレッグ・レイク(b、g)、カール・パーマー(d)の3人で編成したキーボード・トリオです。

残念ながらキースとグレッグは昨年逝去されましたが、カールは今もソロ・ツアーなどを行っています。


先月にはグレッグの回想録『Lucky Man』も出ました。

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Amazon.comより引用)

スリムだった頃のグレッグ、少女漫画に出て来そうな美青年です。
今現在、日本語版はまだ発売されていないようですね。

 

展覧会の絵』はライブ録音で、ムソルグスキーの『展覧会の絵』をラベルが編曲したものがELPバージョンの土台になっています。

 

さて今夜はモスコ・ミュールをお供にアルバムの魅力を語り合いましょう。
ロシアのウォッカをジンジャーエールならぬ英国のジンジャー・ビールで割ったカクテルです。今日の音楽にぴったりでしょ?

展覧会の絵』は何と言っても全編通してひたすら楽しい。

たとえば「小人Gnome」の冒頭。パーマーのドラムスとベース、キーボードの掛け合いが実に面白い。


ドラムスの問いかけに余白で応え、次にキーボードで応え、ベースで応え、次にドラムスとキーボードの問いかけにベースが応える、という遊びがあって、演奏者3人も楽しんでるんでしょう、映像を見るとパーマーさんがキーボードのほうを見て、笑顔をみせてぺろっと舌を出しています。

 

次に「古い城」からガンガンに飛ばながら入る「ブルース・バリエーション」のノリの良さ。ちびまる子みたいなピーヒャラ、ピーヒャラに聞こえる箇所もありますが‥‥。

 

後半では「バーバー・ヤーガの呪い」。これが凄い。

ムーグのグワワワという音に続いて、短いベースのフレーズが入り、ベースとムーグが同じメロディを奏でていたかと思うと、あれよあれよという間に、ちょっと待って。
ドラムスとベース、相当面白い事していません? 
ジャズというべきかなんというべきか、全楽器がそれぞれインプロビゼーションをやっているんじゃないかと。ベースだけ聞いてもドラムスだけ聞いても各々面白いのに、キーボードと合体してもう絶妙としかありません。

パイプ・オルガンが美しい

冒頭の「プロムナード」。最初ハモンド・オルガンかと思って、でもハモンドでこんな音が出るの?どう聞いてもパイプ・オルガンに聞こえる、と思っていたら、やはりエマーソンさん、本当にシティ・ホールの40年前のパイプ・オルガンを弾いていた。どうりで荘厳で厳粛な響きです。

終章の「キエフの大門」にも使われており、しばし心を洗われる響きです。バーバー・ヤーガー婆さんの呪いもここで解けそうです。

「賢人(Sage)」と「キエフの大門」のレイクのボーカル

グレッグがベースをアコースティック・ギターに持ち替えて「賢人(Sage)」、この弾き語りはプログレ曲の中でも突出して美しい曲ではないでしょうか。
アルペジオによるコード進行がときにバロック音楽のようで妙に懐かしい調べです。

グレッグの声質はSageのような哀愁漂う曲もいいのですが、「キエフの大門」「聖地エルサレム」のような古典的な曲によく合いますね。
古い言い方をすれば朗々とした響きのある声です。「Sage」、中盤の「プロムナード」は悩みと混沌に満ちた暗い歌詞ですが、「キエフの大門」では魂が浄化を表すかのような晴れやかな歌い方をしています。

エマーソンのムーグの使い方

ムーグ・シンセサイザーの開発者ムーグさんはエマーソンに、「ムーグはステージ向きじゃないからステージで使うのは止めたほうがいい」と言ったそうです。


が、今となってはムーグのない『展覧会の絵』は想像できません。

 

たとえば「小人」。まちがってもディズニーやアメリに出てくる可愛らしい小人じゃありません。

泥から生まれた醜く邪悪そうな小人が獲物を求めて地面を這い回るようなイメージをムーグ、ベースの重低音、ドラムスで上手く表現していて、ここだけの話、オーケストラの吹奏楽で演奏しているラベル版よりも迫力があります。

小人」の最後に地の底から吹いて来たような風の唸りも、この曲に物語り性を付加しています。

 

バーバ・ヤーガ」でもニワトリの足の上に建った小屋に棲んでいて、人間の子供を攫って食うという悪い妖怪婆さんの不気味さは、ムーグのグワーグワー音なしには表現できないでしょう。

脈絡なく妖婆の家の画像です。ムソルグスキーが実際にみたハルトマンの描いたバーバ・ヤーガの小屋。小屋というよりもハト時計みたいですが。

 

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曲と曲の間のつなぎにもムーグがうまく使われています。小人からSage。
さらに「Sage」の弾き語りに対する観客の歓声と拍手が鳴り止まない中、次の「古い城」に導入する箇所。


ここは、来たかムーグ攻撃!という感じです。キィーン、ビィーンと、この辺はもう歯医者のドリルです。


  先生、痛かったら手を挙げていいですか?


あ、あまりほめていませんね。
ムーグを使っている場所はほとんど即興で演っているのだと思いますが、即興性に大きな魅力があります。

キエフの門のカウベルチューブラベル

実は全編を通して一番好きなのがここなんです。前述のパイプ・オルガンの後に、キースのピアノとカールのカウベルもといチューブラベルが何とも妙なる音色を響かせます。


繊細なレース編みというか、ひらひら舞う雪の結晶というか。実に優しく可愛らしいフレーズです。全体にテンションが高いこのアルバムの中でふっと微笑みたくなる場面です。

まとめて見ると、『展覧会の絵』はライブならではのノリのよさに満ちていて、3人の即興による面白さが大きな魅力になっていると言えるでしょう。


このライブ、知らないうちに録音されていたらしく、メンバー達は不本意だったようですが、これだけ本人達も楽しんでいて観客も視聴者も楽しませてくれるとは、やはり大成功の作品に違いありません。

さて『展覧会の絵』、皆様のお好きな場面はどこでしょうか?

 

 

60−70年代ロック第2弾 ユーライア・ヒープの「ソールズベリー」

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はい、小説家のディケンズです。「クリスマス・キャロル」や「オリバー・ツイスト」で有名な。そのチャールズ・ディケンズが住んでいた家がミュージアムになっていますので、ご興味がありましたら今度ロンドンに行かれる際にはぜひ寄ってみて下さいませね。オリバーを書いていた部屋などが残っていますし、ヴィクトリア時代の生活が忍ばれてなかなか面白いですよ。

ディケンズの「デヴィッド・カッパーフィルド」という小説に出てくるのが、ユーライア・ヒープという人物なんですね(多分発音はユライア)。

このヒープという人物はまず容姿からしてえらい無気味な男です。眉もまつ毛もほとんどなくて眼窩の窪みもなく赤茶色の目がむき出しになっているのでカッパーフィルドは彼がどうやって眠るのかと疑問に思ったりしています。口を開けば「自分はumbleな(humble=卑しい)者だと極端に卑下してみせるエセ謙遜家なのですが、実は心根も卑しい、ようは悪党であることがのちに露見します。

バンドのユーライア・ヒープディケンズ没後100年の年にディケンズにあやかって名付けられたとのことですが、なぜまたよりに寄って悪役の名前をつけたのでしょうか。

バンド名も面白いですが、このバンドの曲の日本語訳もなかなか凄いものがあります。「ルック・アット・ユアセルフ(己自身を見よ)」が「対自核」‥「対自核」。何か物理の実験みたいです。「イージー・リヴィン」が「安息の日々」って、いきなりユダヤ教かよって。

さて今夜のアルバム「ソールズベリー」はバンドの2枚目のアルバムで、陸軍練習場のあるソールズベリ平原がテーマになっています。
ソールズベリ平原といえば有名なストーン・ヘンジもありますね。

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さてお飲物はエールがご希望ですね? ジョン・スミスでよろしいですか? 
パブめしはソールズベリー・ステーキがお出しできますが‥‥え、それは普通のハンバーグじゃないかですって? 

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ギターとベースが織りなす闇夜に響くコーラスに続き、闇をつんざく怪鳥かヌエのようなけたたましい叫びで始まる第一曲目は「バード・オブ・プレイ」。

猛禽類のことですが、邦題の「肉食鳥」の方がこの曲で歌われている女の魔性(死語?)をよく表しているじゃありませんか。

ギター、ベース、ドラムスの一糸乱れないユニゾンに加え、次の「ザ・パーク」でもある曲の途中でブツリ、ブツリと入る巧妙なブレイク。

が、この曲の聴き所はなんといってもボーカルのバイロンでしょう。通常の音程とファルセットを自在に行き来させながら、恐ろしくも魅力的な女の襲来と、心を文字通り鷲掴みにされてしまった男の懊悩を鮮やかに描き出しています。

籠に入れたつもりでも男のほうが征服されてしまっている。「飛んでいってくれ」と何度も懇願しながらも彼女から離れることができない。それはセイレーンの妖しい歌声に魅せられて暗礁に乗り上げた船乗りさながらに破滅的で救いようがありません。

次の「ザ・パーク」(公園)は前曲とは対照的に美しいバラードです。

ハルモニウムとアコースティック・ギターの柔らかな旋律に導かれ、ファルセットのみのボーカルがひとり公園の中を歩いていく様子を描写しています。複数回の録音でファルセットでセルフ・ハモリングしているのが実に美しい。木々の緑、馬、子供達。のどかな公園の風景が絵のように淡々と語られていきます。

穏やかで平和な情景です、途中までは。

ブレイクとインスツルメントをはさんだエンディング部分で、その美しい情景の中に存在しない人物が語られます。ここに至って、これまでの美しい描写はすべてこの空白を浮かび上がらせるための設定であったことに気がつきます。死を語るための生の描写であったと。写真のポジとネガが見事に反転して背筋がぞくりとします。

無意味な戦争で死んだ兄、と反戦のメッセージではありますが、大上段に構えた反戦歌ではないところに心打たれるものがあります。私自身はこのアルバムでもっとも好きな曲です。

3曲目の「Time to Live」(生きる)は殺人罪で20年間監獄に入れられていた男が明日刑期を終える、これから生きるぞ、愛する女性はあの笑顔で自分を迎えてくれるだろうかという歌です。ミック・ボックスのワウ・ファズを効かせまくったギターは聴きたえはありますが、曲はあまり印象に残りません。

4局目の「Lady in Black」(黒衣の娘)はこのアルバムでおそらくもっともポピュラーな曲でしょう。全世界で何度もシングル・カットされているとか。

黒衣の、というとスーザン・ヒルの「黒衣の女」の印象もあって邪悪で忌むべき存在という印象がありますが、この曲の黒衣の娘は全く逆で人間の理性を象徴する存在、癒しと平安を与える存在のようです。

ケン・ヘンズレーは吟遊詩人のように幻想的な情景を物語ります。

冬のある日、廃墟の暗がりを歩いていた主人公の前にどこからともなく黒衣の女性が現れる。そなたの敵は誰かと問われた青年は、ある人たちの心に潜む人と抗い人を殺めることを厭わず神の愛を知らない欲望ですと答え、その敵と戦うために馬をくださいと女性に懇願する。黒衣の娘は戦いは人を獣にする、始めるのは易く終らせることは難しいと彼の願いを拒絶する。

彼女が知恵を授ける「すべての人類の母」であると知覚した主人公は自分のもとに留まってほしいと願うが、手をさしのべて癒しを与え、必要なときにはいつでもそなたの近くにいると言い残して、どこへともなく姿を消す。

青年は立ちつくし、女の黒い衣が消えていくのをなすすべもなく見つめている。そのあとも彼の人生は楽ではなかったが、あの冬の日のことを思い出すと自分は一人ではないと思えるようになった。もし黒衣の娘があなたのもとを訪れることがあったらその知恵を受けるがいい、そして私からよろしくと伝えてほしい。と、まあこんな内容です。

ゴシック・ファンタジーの雰囲気があります。Wikiによるとその時心に苦悩を抱えていたケン・ヘンズレーがある冬の日曜日に出会った女性牧師にアドバイスをもらったエピソードが土台らしいのですが、そんなネタ明かしよりも、人間の理性を呼び覚ましてくれる人知を超えた何者かがときどき人を訪れるという普遍的なメッセージと考えたほうが楽しいですよね。特定の宗教や国に対するヘイトが蔓延する今の世にも黒衣の娘が来てくれるといいですね。

この曲のバックはズシン、ズシンと引きずるように重たいリズム・セクションとアコースティック・ギター。途中で聞こえるストリングスはおそらくメロトロンでしょうか?

バイロンはなぜかこの曲があまり好きではなかったようでヘンズレーがボーカルを担当しましたがそれが功を奏したようです。この曲の評価の高さがバンド内のヘンズレーの立ち位置をさらに強くしていったに違いありません。

5曲目の「ハイ・プリーステス」。なぜか邦題で「尼僧」と訳されていますが、愛する女とこれから生きていこうという内容の歌です。その女性をハイ・プリーステスと崇めて呼んでいるのでしょう。

プリーステスは異教の女祭司であり、タロット・カードの2番であるハイ・プリーステスもスピリチュアルな存在であると同時に性愛と美を象徴しています。この曲は後半で左右のスピーカーから来るミック・ボックスのギターのソロが互いに絡まり何とも美しい。スタジオ録音ならではの楽しみですね。

ハイ・プリーステス様です。

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最後の「ソールズベリー」は15分におよぶロック交響詩です。

最初の数分はNHK大河ドラマのテーマ曲を思わせます。壮大に打ち上げたあとにどうなるのかと思ったら色んな音が溢れ出してきました。ちょっと盛り過ぎの感があります。

シンセサイザーと思った場所はオーケストラらしい。ケン・ヘンズレー自身、「色々な音が入っているので聴く度に新しい発見があるはず」と書いています。たしかに2度目に聞くと、あ、ここにフルートが、とか、このうしろに聞こえる微かな音は何だったんだろう、とか。

オルガン・ソロのあたりからのベースの動きが本当にいいです。ポール・ニュートンさん、グッジョブ。ウッドベースを思わせる柔らかい音色で高音部も綺麗です。

歌詞は終わりかけた恋愛の話でソールズベリーの英軍の訓練所と表紙の戦車とも関係ありません。じゃジャケ写真は何だったんだ、と拍子ぬけします。この曲について言えば、ヴォーカルは様々な音のひとつという位置づけではないでしょうか。


それにしてもバイロンの前半あたりの歌い方、グレッグ・レイクに似てません?全然?そうですか。

 

後半になってミック・ボックスのギターとオルガンの絡みが、左右から触手を伸ばしてもつれあっている植物のようで面白い。

ソールズベリーは、平原に息づいている生命体の集合のようです。そこに小鳥や蛙がいたり、風が吹いて草が波打ったり、花が揺れたり。見渡す限り人間はこの男女だけで、男は手から砂がこぼれるように愛が失われていくのを見つめている、そんな光景が頭に浮かびます。

*****

一言でいうと、ずっしり来る重厚なアルバムでした。
技巧はあるけれど妙に洗練されている訳ではなく、いろいろ試みている様子が伺えます。

この後、ヒープは「対自核」、「悪魔と魔法使い」、「魔の響宴」といったアルバムで全盛期を迎えます。「ソールズベリー」はその前夜祭と言えるかもしれません。

 

おまけ画像はソールズベリーの市内

 

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(冒頭写真はアルバムジャケットからの引用)

High Priestess画像は©US Games Systems, Inc. 

 

世界で一番歌がうまい男ーフリーの『ハイウェイ』

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名盤を片端から聴くバーチャル・パブきつね亭の開店一夜目の名盤はフリーの『ハイウェイ』です。


なぜフリーかと言うと、それはもうフリーというバンドが好きだからとしか言えないのですが、ポール・ロジャーズ、ポール・コゾフ、アンディ・フレーザー、サイモン・カークには、よくこの4人で組んでくださった、と感謝したいぐらい絶妙な組み合わせで独特の世界観を造りだしています。

ポール・ロジャーズの歌の上手さは黄金期のロック・ミュージシャンの中でも突出していたのではないでしょうか。「歌を歌うためにうまれてきた男」という評価もよく目にしました。


異論を恐れずに言ってしまいましょう、古今存在したロック・シンガーの中でポール・ロジャーズはもっとも歌の上手いシンガーです。ブルースを歌わせてかれの右にでる人は居ません。女性ではジャニス・ジョプリン。 ポールRはフリー全盛期に20歳前後、ジャニスは27歳で夭折していますから、その若さと表現力を考えると天性の素質としか思えません。

昨年バッド・カンパニーのUKコンサートで久しぶりに生で聴く機会に恵まれました。66歳(当時)にして声の表現力、ハリも音域も衰えることがなく、ついでにルックスについては今ひとつモッサリしていた(明治カールのおじさん似というか)若い頃よりもシャキッとした男前になっていました。若いころに老け顔だった人は、逆に年取るとそれなりに格好がつくものですね。

今年2017年の春にはフリーの曲をやるコンサートをロンドンで開いたそうで、私は「コゾフもアンディもいないフリー?」とパスしたのですが、英国の友人は行ったそうで「バドカンの時よりさらにポールの歌の上手さが際立っていた」とのメールが来ました。

ポール・コゾフのギターは25年という短い人生を凝縮したようにあまりにも哀しく美しい、まさに「泣きのギター」と銘されるにふさわしいものでしたよね。Wikiによるとローリング・ストーン誌の「古今の最も偉大なギタリスト100名」に 名を連ねているとありますが、ベスト20人ぐらいは軽くいけるのではないかと。何をもって偉大というのかは不明ですが。 

フレット間をスライドしながら粋なフレーズを奏でるアンディ・フレーザー。フリーの曲は、実はアンディのベースラインだけに集中して聴いていても結構楽しめます。

サイモン・カークは中世ヨーロッパの石工を思わせる質実剛健かつ体育会系なドラミングで‥‥はい?名前からして石工といえばニック・メイソンですか?確かに。

 

お飲物のご注文をお聞きしておりませんでした。取りあえずのビールなんて仰有ってはいやですよ。フリーには薩摩の焼酎がお勧めです。これは意外にしっくり合います。

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さてこの『ハイウェイ』はフリーの4枚目、最後のスタジオ録音盤です。比較的地味な曲が多く、オールライト・ナウのようなメガヒットを飛ばしたフリーの経歴の中では目立たないアルバムですが、あらためて聴いてみるとしみじみとよい曲が多いのです。

 

1曲名、アルバム・タイトルの「ハイウェイ」。ギター、ドラムス、ホンキートンク・ピアノの素朴なバックに、イギリスの田舎の方を徒歩で旅している若者の一行の様子が浮かび上がります。道中、少々頭の弱そうな農家の娘さんにちょっかいを出して、怒り狂った親父さんに銃で脅されてしどろもどろになったりしていますが、まあ邪気のない牧歌的な登場人物たちです。

このイノセントな世界観の中で後半、垂れ込める暗雲を示唆するようにギターがもの悲しく哭いています。

フリーのメンバーはポールRを除いて全員がロンドン近郊生まれですが、同アルバムの「ライド・オン・ポニー」にもあるように田舎への憧憬のようなものが時々見られます。これはイギリス人に共通した感覚かも知れません。

 

2曲目。来ました。「スティーラー」です。私的にはフリーの代表作のように言われる「オールライト・ナウ」よりも、「3大ER」と勝手にこちらで名付けさせていただきました「THE STEALER」, 「THE HUNTER」, 「I'M A MOVER 」のほうがよりフリーらしい曲と思っております。 

この「スティーラー」はまず曲の歌詞ははっきりいって陳腐です。街の中心街に出かけていってナンパした女を相手に「俺はお前のハートを盗みに来た恋泥棒だぜ」などと粋がっているどうしようもない男の話です。この曲は何といってもベースとギターの圧勝と言えましょう。独特なギターのイントロに続き、アンディのベースがスライドしながら上へ上へと昇りながら、サイモンの渾身のドラミングと一体となって重厚な柱を形成して参ります。コゾフのレスポールは最初は柱に添う蔦のように、途中からは絹糸のように、女の髪のように柔らかく絡み付いていきます。男と女。剛と柔。鋼鉄と絹。この絶妙な絡み合いがもたらす音の快感をフリー的と言わずになんと言えましょうか。

次の「オン・ザ’・ウェイ」は打って変わってレイド・バックした曲調で、傍らを共に歩いてくれる大切な女性をようやく見つけたのであろう男が、「君は僕のものになってくれると言うけど、本当なんだね」と問いかけています。ほかの事はもうすべて後回しでいい、と。素朴ながら美しい小品です。が、この曲何だかロッド・スチュアートに歌わせたら妙に合いそうで、途中から勝手に脳内変換しておりました。別にロッドが好きなわけではありません。

4曲目の「Be My Friend」は数あるフリーの名曲のなかでも秀逸の一品と言えますでしょう。ポール・ロジャーズの凄まじいまでの歌唱力が愛を知った者の孤独と渇望を切々と訴えています。天性のシンガーの歌とはこういうものかと思い知らされます。

この曲はジャニス・ジョプリンのカバーでも結構行けそうです。ジャニスはこのアルバムが収録された1970年9月の翌月にはこの世を去りましたので、現世では実現しませんが。曲全体を通して流れるアンディのピアノも美しく、ポールKのギターの旋律と呼応しながら背景の模様を織りなしています。何度でも聴きたくなる曲です。

 

まだ夜は長うございます。お湯割りでもう一杯お作りしましょうか。

 

「Sunny Day」。このアルバムには失恋の曲が3曲入っていますが、そのひとつ。サニー・デイという明るい題名とは裏腹に、「晴れの日は消え去ってしまった」と歌っています。つまらない女に掴まったんでしょう。言う事は嘘ばっかりで、中身のない女、付き合う男に害しかもたらさない女だった、と言いながらまだ未練たっぷりで苦しい、助けてくれと言っています。勝手にしてくださいという感じです。

 

6曲目は「Ride On Pony ライド・オン・ポニー」懐かしい曲です。初めて聞いたフリーの曲がこのポニーでした。フリーの演奏ではなく、学生のコピーバンドの演奏で。当時は日本ではフリーはかなりメジャーでコピーしている学生バンドも多かったんですね。「お前は俺たちの関係がもう終わりだって言うけどマジじゃないよな。今ポニーに乗って夜道をそちらに向かっている。明日の朝にはそちらに着くからな。話はそれからだ」と大雑把にいうとそんな内容の歌です。ギター、ピアノ、ベース、ドラムスが同じフレーズを繰り返し刻み、真夜中の道にポニーの蹄の音が響いてくる様子が伺えます。

でも‥ポニーって、これですよね?

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大の男がまたがって100マイルも山道を下ってくるにはちょっと心もとなくありません?せめて普通のウマにして欲しかった‥。

 次の「I love you so」はPaul Rとサイモンのバドカン組の作です。別れ行く恋人たちの美しいバラードで、右のスピーカーから聞こえるコゾフのギターのフレーズが繊細で美しい。この曲も声質からいってロッド・ス‥‥しつこいですが特にロッド・スチュアートが好きな訳ではありません。なんというかポールRの声にはもっとゴテゴテのブルース曲のほうが向いている気がして。


ちなみにこの曲はコゾフの追悼フィルムで彼の子供時代から成長してトップに上り詰めるまでの映像のバックに流れて、何とも切ない雰囲気を出しておりました。

 

8曲目は「ボニー」。田舎の青年ボニーが街に出て来てガールフレンドが出来る。彼女によって世間というものを知ったボニーは少しずつ変わっていく。都会の女はそれでも抜け目がないのでちゃっかりとボニーの妻に納まる、という内容です。軽いタッチのメロディでフリーらしくない。この曲はいい動きをしているアンディのベースラインにご注目。

 

最後の曲は「Soon I will be gone」はまた重い別れの曲です。ピアノとギターを背景にしたボーカルがこの世の暗さをかき集めたような調子で始まり、ストリングス、ドラムス、ベースが入って徐々に絶望感を盛り上げていきます。この曲の聞き所はアンディの弾くピアノの美しい旋律で、さすがクラシックのピアニストとしてプロを目指していただけのことはあります。

 

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全体を通して聴いてみると前期のフリーのアルバムに比べてブルース色がかなり薄くなっている印象があります。それでいてバドカンのようなコマーシャリズムにも寄っていない。どこか微妙な所にとどまっていて、その微妙さが今ひとつ売り上げが伸びなかった理由なのかもしれません(私は好きですが)。

このアルバムが米国はもとよりイギリスでも思うような評価を受けなかったことはメンバーに少なくないショックを与えたようで、とくにポール・コゾフはこの頃からドラッグにのめりこむようになっていきます。
Wikiによれば彼は、オールライト・ナウのヒットにプレッシャーを感じていた一方、本当に好きなのはこのアルバムに収録されている「ビー・マイ・フレンド」のようなシリアスな曲だったとか。

このアルバム収録時には20歳になったばかりの、非凡な才能に恵まれたロック・ギタリストはそれから5年後あまりにも儚い人生を終えることになります。
アルバム・ジャケットの写真はまだ幼さを残す笑顔で、こんな童顔の青年がいちどきの名声からドラッグ中毒になって凋落していったなんて本当に可哀想で胸が痛みます。
バッド・カンパニーのShooting Starそのものの人生でしたね。

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コゾフの生家はハムステッド、墓所はゴルダーズグリーンとのこと。どちらもロンドン北部でかつて私が住んでいた場所からそう遠くない場所にあります。


次にロンドンに行く時はお墓参りに行ってみようかしら。

 

(冒頭および最後の写真はCDジャケットから引用)

 

ようこそバーチャル・パブきつね亭へ

お小遣いを、あるいはバイト代を握りしめてレコード屋に走る。お目当てのLP
アルバムを手に入れて、家に走って帰り、ビニール盤に針を落とす瞬間のわくわくドキドキ。 私と同世代の方々なら、そんな経験を共有していただける方も多いのではないでしょうか。
時は流れ、今や音楽はダウンロードするものになりましたけれど、あの頃のわくドキ感はなかなか得がたい経験でしたよね。

 

ロックの原体験は子供の頃、家族に連れられていった大阪万博でした。やれアメリカ館の月の石だの、ソ連(!)館がいいだの言う両親を尻目に、私を釘付けにしたのは、カナダ館の前の会場で長髪を振り乱し大音量で演奏していたロックバンドでした。バンドの名前も知らず、子供ながらに「これは目茶苦茶カッコいい」と呟いたものです。今思えば、あれはカナダを代表するバンドGuess Who (ゲス・フー)だったに違いありません。


中学・高校時代は、もっぱら深夜放送でロックを聴きまくっておりました。(親は私が自室で遅くまで勉強をしていると信じていたのでしょう)このころがロック黄金期のピークともいえる時期で大物アーティストがどんどん来日していましたが、堅い家庭の高校生が自由にコンサートに行けるわけではありません。最初にいったのは高校を卒業した春に行ったムーディー・ブルースの武道館のコンサートでした。

 

大学に入ってからはバンドに入り、一気に世界が広がりました。女子校でしたので、周囲はハードなロックよりもフォーク系のファンが圧倒的に多く、他校の男子学生と組んでジェフ・ベック・グループのコピーなんぞをやったりしていました(あまりにも無謀というか、身の程知らずというか‥。)大学時代に最初に行ったのはバッド・カンパニーのコンサートでした。


つい最近、イギリスに暮らしていた際にはムーディー・ブルースとバドカンのコンサートに行く機会に恵まれました。まさにムーディーズとバドカンに始まり、ムーディーズとバドカンに終ると言うか。(まだ終ってはいませんが)

1987年に私のロック生活にちょっとした異変が起こりました。Bicentennial、アメリカ建国200年とそれにまつわるカルチャーとの接触です。当時のポパイやオリーブといった雑誌の影響もあったのでしょうか、学校にもシャンブレーのシャツにバンダナ、ターコイズの青いジュエリーを身につけたアメリカ西海岸ファッションの人々が現れ、イギリス一辺倒だった私もミーハーに「それ、カッコいい」と反応したのですね。それからEagles, CSN&Y、Loggins&Messinaあたりからさらに遡って、Poco、バッファロー・スプリングフィールド、なぜかNGDB (ニッティ・グリティ・ダート・バンド)辺りまで飛んでいきました。

ちょっと自分語りが長くなりました。
このたび、バーチャル・パブきつね亭を開店するに当たり、お店では当時愛した、いえ今でも愛する音楽をひとつひとつ丹念に聴いていきたいと思います。
当時、ビニール盤が擦り切れるほど聴いた音楽、せっかく買ったのに数曲しか聴かなかったアルバム、ジャケ買いしてほとんど聴かなかったLP(私の場合、Nicoとベルベット・アンダーグランドがそれでした。アンディ・ウォホールのバナナにやられました)など多々ありますが、ブリティッシュプログレ、米西海岸を中心に片端から聴いて参ります。


私と同世代の皆様がもしこのブログに立ち寄られましたら、ブリティッシュ系には生温いスタウトを、西海岸サウンドにはキリリと冷えたソノマの白ワインあたりをお供にお付き合いいただけたら嬉しいです。
もし若い方々が来られましたら、親父とオカン、もといジイジとバアバはこんな音楽を聴いてたんだーとこれを機に音源に接して頂けたらとても嬉しいです。

ではお出でを心よりお待ち申し上げております。

 

バーチャル・パブ ロンドンきつね亭
女主人 London Vixen